見出し画像

映画を軸に新しい文化体験を作り出す「シネカルライブ」プロジェクト開始、7月7日に対談企画を実施

映画は、”何を”観るかも重要だが、”どこで”観るかも大切ではないだろうか。

最近では、爆音上映や応援上映といった、映画コンテンツを楽しむための仕掛けを行う映画館も増えてきた。映画館という場所からすると、いかにして特色ある機能や設備を打ち出し、誘客を図るかが求められる。

これらの取り組みは、映画のコンテンツとしての側面をより良いものにしていこうとする動きといえる。せっかく1800円とか2000円と支払い、2時間弱もの間、スマホもマナーモードなり機内モードにして、いわばネットから断絶された状態のなかで映画だけをじっくり体験するのは、現代においてとても貴重な場所なのかもしれない。

たしかに、映画を楽しむことの良さは増したが、それ以上に、映画を体験させてくれる、映画館という場そのものの価値を見直すことが必要ではないだろうか。

古くから、映画館は親子のお出かけ、パートナーとのデート場所など、人生の成長とともにさまざまなコンテンツを体験する一つの場所だった。初めて映画を観た映画館、人生のなかでも感動した映画を観た映画館など、映画作品のみならず、映画館での思い出と合わせて記憶を巡らせる人も中にはいるだろう。

映画館のビジネスモデル

映画館は、様々な映画と出会うメディア的な機能がある。大手の映画製作会社の映画だけでなく、フランス映画などの海外作品や中国などのアジア映画、最近だと、インドやタイなどの映画作品も注目されている。映画館は、文化の発信地として、映画作品を通して社会に対する批評性を感じ取ったり喜怒哀楽さまざまな感情を想起させたりする、個々人にとってなくてはならない場所として存在していた。映画一つとっても、映画監督の思想やメッセージが色濃く出てるものから娯楽として楽しむものまで、「映画作品」と一括りに言っても、ジャンルもテーマの様々である。

そうした多様な作品を選定したり、時には無名な監督が指揮する作品を世に引っ張り出したり、海外作品を日本に伝える手段として、映画館はプログラミングや作品の仕入れそれぞれによって強みを持っていた。

しかし、映画館をビジネスとして捉えた時、近年は経営難から閉館する映画館も多い。特に、地方の映画館は人口減少やスマホやネット上で映画なり映像コンテンツが視聴できる時代において、実空間としての映画館の価値を見直す時代にきているのかもしれない。先の爆音上映や応援上映といった動きも、そうした映画館なりの生き残り策の一つでもある。

事実、データで見ると映画館そのものの数は2000年まで減少傾向にある。2000年以降からは映画館自体の数ではなく、スクリーン数での統計となるため、映画館そのものの数はなかなか調べるのは難しい。しかし、外資系シネコンが90年代から上陸し、複数スクリーンを常設した映画館が次第に広がり始めた現在、通常の映画館、もっといえば、ミニシアターや地域の小規模映画館が減少し、それ以上にシネコンが設置され、結果としてスクリーン総数は増加していることが見て取れる。

シネコンは、資本力のある大手が運営する映画館というだけあり、そこで上映されるものは大手の映画製作会社やメジャー作品が上映リストに並ぶ。近年では、4DXなどの映画上映システムや映画館とレストランが一体化したレジャー施設としてのあり方など、映画需要とあいまって映画館という場所が大規模な商業施設のなかに組み込まれることが多くなった。結果として、集客の見込める作品をかける傾向にあるだろう。

それこそ、日本でブームを起こした『カメラを止めるな!』も、最初の上映はミニシアターなど一部の映画館でしか上映されていなかった。その後、様々な要因や製作者らの努力が実ったことで、後追いで大手のシネコンが上映するというこれまでにない流れが起きたことは記憶に新しいだろう。

つまりは、シネコン側からすると、大雑把に言ってしまえば、確実に売れるものを優先する構造と言わざるをえない。もちろん、ビジネスとしてみたときにはそれを否定するつもりはないが、映画という文化がそれだけで駆動することの違和感はやはり拭えない。

売れる映画、大衆映画だけではない、映画が持つ文化性

映画は、売れる作品や大衆映画だけではない。例えば、日本ではなかなかドキュメンタリー映画の需要は厳しいと言われている。新人作家による尖った作品や、海外映画や社会的な話題をテーマにした映画は一部のファンやテーマに関心のある人以外は足を運ぶ機会を作るのが難しい。

けれども、マイナーであっても上映し、誰かの目にふれる機会を作ることに価値があるものもあるはずだ。作り手にとっても、売れる作品でなければ上映されなくなる映画環境になれば、本当に撮りたいもの、映画として作りたいものという創造性に枠を作ってしまうようなものだ。

これらの現象、なにかに似てる?と思ったら、出版業界や本屋の現状と類似点が多い。売れるものだけが本ではなく、文芸や人文書など、作家の創造性や社会批評のある本があることにより、世の中が豊かに、それでいて、多様な考えや思想を持つことができるはずだ。その文化発信の担い手となっていたのがミニシアターや小規模映画館だ。文化発信の拠点としてのミニシアターが、いかに持続的な営みをするのかは大きな課題といえる。

映画館の主な収益は、興行収入やポップコーンや飲み物の販売によるコンセッション収入、パンフ販売などのショップ収入、上映前にCMを映写するシネアド収入などがある。とはいえ、やはりこれらの収入はどれもがつながっており、映画の内容による客足によって左右される事が多い。興行収入も、チケット代の約半分を配給会社に支払う。時にはレベニューではなく買い切りで「一作品をこの期間上映するならいくら」とすることもあるという。後者の条件だと、客足がまったく入らなければ映画館側は赤字になる可能性は大きい。それだけのリスクを背負わないと映画が上映できないのが映画館を取り巻く経営環境なのだ。

この問題は、都心部だけでなく地方になればなるほど顕著だ。最近では、大手のシネコンが地方にできてくる一方、小さな映画館やミニシアターが閉館し、近所に映画館がなくなった地域もある。事実、私の地元も昔は小さな映画館が駅前にあったが10年以上前に閉館し、いまや車で1時間ほど走らせたところにあるシネコンに行く以外に映画を観る手段はない。

映画を軸に新しい価値を提供する「シネカルライブ」プロジェクト

映画館としても、新たな収益モデルを確立していかなくてはいけない。同時に、映画のコンテンツを楽しむための機能や装置だけでなく、映画作品を観る場所のみならず、映画館としてのファンを獲得する必要がある。「せっかく観るからこの映画館で」「この映画館が上映してる作品ってことは、無名の監督の作品だけど面白いはずだ」というような位置づけにならなければ、機能や設備をいくら推しても資本がなければ導入もできないし、仮に導入できたとしても、同じような装置や機能が別の映画館にあれば、比較検討されるだけだ。その場所ならでは、その場所だからこその体験をいかに提供するかによって、場所性による唯一性を保つことができるはずだ。

そんな場所こそ、ミニシアターは作るべきだと思った。そこから、生まれたのが「シネカルライブ」というプロジェクトだ。

シネカルライブは、映画館という空間を活用し、映画を軸に映画以外のコンテンツによってお客さんに対して新たな体験を提供する活動を生み出していく活動体だ。また、それらを通じて、映画館としての新たな収益源を模索してく。によってを作ることでお客さんに対して新たな顧客満足度を高め、新たな収益源を作りだすことを視野にいれている。

その第一弾として企画したのが、7月7日開催のイベントだ。

6月28日から上映される映画『新聞記者』に合わせた対談企画だ。映画の楽しみの一つに、映画を観た人同士が、感想を言い合ったり、作品の考察や批評をしあったりすることで、映画の楽しみ方がまた一つ奥深いものへと変貌していく。作品を観たという共通体験をもとに、対話や議論を重ねることこそ、文化的営みであると私は強く思う。

『新聞記者』で「リアル」を浮き彫りにする「フィクション」

映画『新聞記者』は、政府のメディアに対する介入など、権力とメディアによる関係性を紐解きながら、権力とジャーナリズムのあり方を問う、サスペンスエンターテインメント作品だ。同作品は、現実世界で起きたこの数年の事件を模した事件や出来事をトレースしながら、新聞記者とエリート官僚との関係を描いた作品だ。具体的に言えば、首相肝入り案件として医療系大学の新設が極秘で進んでるというリーク情報を掴んだ新聞記者がその調査に乗り出していく。対して、政権を守るための情報操作を行う内閣情報調査室(内調)による様々な動きと、内調に出向したエリート官僚が、自身の正義と体制維持のための正義とがぶつかりあうなか、「組織」と「個人」の狭間で揺れ動く様子を描いている。「リアル」と「フィクション」が交差し、観てる人たちにとっては、「フィクション」なのか現実世界で起きているのかが倒錯されるような感覚を持つ。

こうした、権力とジャーナリズムの関係を描く作品は洋画では近年の作品だけでも『スポットライト 世紀のスクープ』『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』などいくつもある。しかし、これらの作品は1970年代や2000年代といった、少し前に起きた事実をもとに映画としてフィクションにしたものであり、あくまで歴史的な出来事を振り返る立ち位置だ。しかし『新聞記者』はまだ記憶に新しい出来事をトレースしつつもドキュメンタリーではなく「フィクション」として描きながら現実社会にリンクさせようとするところは今までにない作品といえる。

監督の思いや考えは、いくつかのインタビューからも感じ取ることができる。 

試写を観させてもらったが、映画作品としての物語もしっかりしながらも、現実世界で起きてる出来事をもとに、フィクションとしながらもそこで問いかけるのは現在の政治のあり方とジャーナリズムのあり方、そして日々の生活を営む私たち自身の行動や考えを問いかける作品となっている。この映画そのものもそうだが、ここで描かれた内容をどう読み解き、なにを考え、行動するか。それぞれなりに思うところがあるだろう。

こうした映画関係のトークイベントは、これまでは多くが配給会社などが主導で行うものが多かった。そのため宣伝的な色合いが強く、映画上映後に30分程度、映画監督や主演俳優などが映画の裏話を話すような、ある種のファンサービスに近い取り組みで参加費も無料のことが多い。

それとは違い、この映画は観て終わりではなく、観たあとに何を考えるのかが大切な作品だと私は考えた。だからこそこれらを語り議論する場とした。映画の内容そのものを語ると同時に、それが現実世界としての動きを語ることにつながり、ひいては私たち自身の行動を問いかけるものにもつながる。だからこそ、対談企画では映画の内容から派生して2人のジャーナリストらの対談をもとに様々な思考を巡らせる機会にしたいと考えた。当日は、物販コーナーも用意し、2つの著作など関連作品も販売するなど、映画だけでなく出版とのつながりも用意している。

また、7月4日から告示される参院選のまっただなか、選挙が始まった最初の日曜日にこのイベントは開催される。映画のテーマと社会的な流れを踏まえたときの、開催日時としてのタイミングも考慮したことは言うまでもない。

トークイベントの直前に映画を観ることができるので、映画を観てその流れでトークを聞くもよし、事前に映画を観てトークを聞くもよし、トークを聞いてから映画を観るもよし。いろんな楽しみ方があるはずだ。

映画鑑賞だけではない、新たな価値観を提供できる「場」へ

今後、シネカルライブとしては、映画以外のコンテンツ提供を映画館ができることを実証しながら、映画館が主体的に様々な分野とのコラボを展開していきながら、映画館のハードとしての可能性を広げていくことを考えている。

映画館としても、映画を上映するだけではなく、例えばアミューあつぎ「映画.comシネマ」のような「市民交流の場」かつ「高齢者保養施設」の認定施設であったり、札幌「シアターキノ」のような市民出資型のNPO型映画館といった運営体制そのものの特徴など、特出すべき取り組みを行う映画館も注目されている。京都の映画×本屋×カフェの融合ビル「出町座」は、立誠シネカからの流れを組みながら、新しい文化の発信地として本屋やカフェを併設し若い人たちが切り盛りしている。他にも、全国各地で気骨を持った人たちが映画館を軸に文化発信のための仕掛けをしている事例がたくさんある。シネカルライブは、そうした各地の特色ある思いを持った映画館の人たちと一緒に連携しながら、新たな文化発信のための企画づくりをしていきたいと考えている。

映画作品を楽しむだけでなく、文化を発信する場所としての映画館そのもののファンを作り、映画館が主体となることでの様々な活動に展開をしていけたら、と思う。映画館そのものが、それぞれに個性を発揮し、主体性を持つことによって、よりその場所性に意味が出てくるはずだ。ゆくゆくは、配給会社と映画館が対等にコラボし、映画館としての個性を活かしながら、作品そのものの魅力や楽しみ方を引き出すような体験を提供していくことも可能だ。

こうしたプロジェクトを立ち上げるきっかけとなったのは、兵庫県豊岡市にある豊岡劇場を運営する石橋さんと出会ったからだ。石橋さん自身、豊岡で映画館をやりながら、文化の発信地としての映画館のあり方を模索しようとしている。豊岡のみならず、映画館全体としての可能性を広げるために、石橋さんからユーロスペースの支配人をつないでもらい、企画実施へとつながっていったのだ。

今回、ご縁あってユーロスペースとともに企画を作ることとなったが、ユーロスペースのみならず、他の映画館での企画も考えたい。映画館から飛び出して、映画館と近隣書店がコラボし、映画作品をもっと楽しむようなフェアやキャンペーンなども企画したいと思う。

観て、聞いて、読んで、喋って、食べて、楽しんで。五感を通じて文化を体験する場所へと、映画館はもっとなれるはずだ。

****

シネカルライブプロジェクトを一緒に作りたい人達も随時募集しています。特に、自分の地元の映画館でなにか仕掛けをしたい人、もしくはうちの映画館で面白いことを仕掛けたいと考える映画館オーナーたちからの連絡をお待ちしています。

シネカルライブは、映画館側だけではできない取り組みを、幅広いネットワークをもとにジャンルや分野を超えてクリエイターやプロデューサーらとコラボしながら、仕掛けをしていきたいと考えています。興味がある人は、私まで連絡をお願いします。


今後の執筆活動や取材、リサーチ活動として使わせていただきます。