そのビジネスに愛はあるのか。

最近、図書館から借りてきて、十分の一も読まずに終えてしまった本で気づいたことがあった。
著者の思い出話がまとめられている本で、一話の長さから推測するに、もしかしたら何かの雑誌に連載されていたのかもしれない。
内容は笑える。
けれど、一話を読み終えるごとに、一抹の嫌味が残る。
「自分がこのおもしろさを満喫できていないだけなのか」と疑問にも思って、読み進めてみたが、やはり、後味が悪い。
別に誰かを傷つけるような話ではないのだが、思い出話の登場人物たちに対する愛を感じないのだ。
それで、三、四話を読み終えたところで、図書館に返却しようと思ったのだった。

著者はおもしろい人なのかもしれない。
だが、いい人ではない気がした。
何かの本か小説で、「強くなければ生きることはできないが、優しくなければ生きる価値はない」という一節があったと思うが、まさに、優しさを感じなかったのだ。
もっとぼくが敏感になっていれば、優しさを感じていたのかもしれないし、鈍感であればおもしろさを満喫できたのかもしれない。
けれど、今のぼくには、そのどちらもできなかった。

これはひとつ勉強になった。
ぼくは、優しさを感じないものが苦手なのだ。
昨年観た映画の中で『イエスタデイ』にとても感動した話は以前にしたが、この映画に出てくる人たちはみんな優しさがあった。
ひとり、マネージャー(プロデューサー?)の女性が悪役として描かれるけれど、その人だって、自分の仕事に対して熱心なだけと思えるほど、優しさのある映画だった。
有名なミュージシャンを題材にした映画はたくさんあって、破天荒ぶりや悲惨さぶりを描きがち(それが事実だから仕方がないけれど)になるけれど、『イエスタデイ』に限って言えば、「音楽っていいよね」や「ビートルズってやっぱいいよね」と素直に言いたくなるハッピーさがあった。
どんなにいいものを作ったり、どんなに便利なものを作ったとしても、大前提に、優しさがないとダメなんだ。
愛、愛こそすべてだ。
そんなことを言いたくなる瞬間が、ぼくにでもある。
 
ビジネスをやろうとするとき、「不安や不満、不便と言われることを解消させることに、人はお金を払う」というのは当たり前の話だが、お金を儲けようと思って不安などを解消させるのか、不安などを解消させたい相手がいるからビジネスをはじめるのか、ではビジネスの当事者として全然異なる。
そこに愛がなければ、やめた方がいい。
そういうことを平気で言えるぼくは、経営者として甘ちゃんなのかもしれないね。

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