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京都よ、今どんな姿をしてる?

京都の好きなところ。気持ちが落ち着く水辺と居心地がいい喫茶店がたくさんあるところ、散歩していて気持ちいい道と景観。作り手を受け入れる土壌があるところ。きっとまだある。


学生の頃京都に修学旅行に行き、それから数年後友人と旅行へ。
そのあとも一人で2度旅行へ行っている。

自分でもなぜこんなにも京都を気に入っているのか、絶対にこれだと言い切れる理由はわからない。でも小さな好きがいくつも詰まっていてどうしようもなく惹かれてしまうのが京都なのだ。



好きなところ。
ひとつ、気がつくと川がすぐそばにあるところ。

旅行という短い日数の滞在でも記憶の中には必ず川の景色がある。

中心地へ行くと何度も通ることになる四条あたりの鴨川。その辺りから少し逸れた方向には路地裏の景観に溶け込む高瀬川。だだっ広くて気持ちがいい嵐山の桂川。

小さい頃から海が大好きだった私にとっては、水辺のそばというだけで気持ちが落ち着くのだ。


鴨川にはいつも人が集まっている。飲食物を買って食べている人、友人とおしゃべりに花を咲かせる人、ジョギングを楽しむ人など皆それぞれが思い思いの時間を過ごしているのがいいと思う。(中でもダントツに多いのは恋人同士だが…)


私だったらまだ人気のない朝にここで朝ごはんを食べたい。朝から開いているお店で食べたいものを買って、飲み物は家から持参。本を読んだり気まぐれに写真を撮ったりしたい。それで人気が出てきたら午前中からやっているカフェに場所を移す。京都なら早い時間からやっているお店がきっと多い。いい一日が始まる予感しかしない。




好きなところ
ふたつ、居心地がいい喫茶店(カフェ)が多いところ。

京都では街を歩いていると至る所で喫茶店を見かけた。今風のカフェ、昔からあるような街の喫茶店、飲食店以外のお店にカフェスペースが併設されていたり、喫茶スペースのある和菓子屋も多くあった。京都は喫茶文化が根付いているように思える。裏付けるように〝京都といえば〟の喫茶店の名前がすぐに出てくるところも物語っている気がする。(これは単に私の興味関心が高いから知っている可能性も否めないが)


東京にもお店があるイノダコーヒ、スマート珈琲店、喫茶ソワレ、進々堂など。古くから続いているお店が今も変わりなく常連から愛され、学生や観光客など今の世代が足を運んでいる様子も見受けられる。


また生活に馴染むように街のいたるところに和菓子屋さんがあるのも興味深い。商店街や裏路地に路面店としていくつもお店がある。


タイムスリップしたかのような威厳を保つ店構え。こんなにかっこいい和菓子屋さんが街中にあるなんて痺れてしまう。華美に飾るわけでも大声で謳うわけでもなく街中にそっと佇む姿は憧れそのものだ。

和菓子は季節行事に合わせた菓子や練り切りなどに季節のうつろいが表現されていて本当にうつくしい。以前は洋菓子にしか興味を向けていなかったように思えるが、和菓子の魅力に気がついてからは虜になった。お菓子で季節を感じられて、且つそれを口に出来るなんて粋な体験だと心底思う。


ここの大極殿本舗六角店もそうだが、京都の喫茶には中庭があることが多いように思う。

町家で営業しているお店が多いのも理由のひとつかもしれないが、こうやって中庭が見えたり川が望めたりするする店が数多くある。

中庭があることで少し空間に抜けができるというか、光が入り外の景色をぼうっと眺めていると心が凪いでいくのがわかる。

中庭の写真の鳩居堂「聞香処」では奥のカフェスペースで聞香体験ができる。電気式の香炉で温めたお香を心を傾けて聞くのだ。(馴染みのない人にはピンとこないかもしれないが、お香を鼻で嗅ぐと言う言い方はせず心で嗅ぐと言う表現方法をするのが聞香)


馴染みのない格式高く思える体験も気軽にできるのはうれしい。静かな室内でお香を聞くのに集中する時間はとてもよかった。普段雑念ばかり抱えている頭が無になれる時間はとても貴重だ。



好きなところ
みっつ、散歩していて気持ちいい道と景観。


石畳、柳の木、緑道の木漏れ日、広い空。敷地が広い神社やお寺。

町家に囲まれた石畳や柳の木のある道は、歩いているだけで何か物語が始まるような気さえする。明るいうちもいいけれど日が落ちてからの雰囲気はいっとう素敵で、この地に刻まれていった歴史に思いを馳せたくなる。月並みだけれども時間がひと昔前に巻き戻ったみたいだ。


京都の街に馴染むように建てられた建物たち。
元からある町家をリノベーションしたカフェなども年々増えているように思う。古くからある町家を生かしたお店は見慣れない若い人には新鮮に映り、年配の方にとっては入りやすさを生むのではないだろうか。

桜の季節が終わると青々とした緑からは木漏れ日が差す。その景色のなんとうつくしいことか。東京でだって木漏れ日は撮れるのに思わずシャッターを切りたくなってしまう。

普段は特に神社やお寺にわざわざ行こうとは思わないけれど、京都のお寺や神社はみんなに開かれた場所という感じがして好きだ。

もちろんこういった場所は建てた意味も訪れる意味もあって、作法もあるのは重々承知している。けれど、下鴨神社の川のある風景が好きだなとか、初めて見たときはその佇まいに言葉を失った南禅寺の水路閣だとか、言葉にするのは難しいけれど自然に溶け込んだ京都のお寺や神社が好きなのだ。

開かれた場所というのはすべての人に平等に居場所を与えているように思う。

好きなところ
よっつ、作り手を受け入れる土壌があるところ。


これは京都に思うように足を運べなくなってから雑誌などの京都特集を買って得た知識に過ぎないのだけれども、京都は長年続いてきた文化を継承したり、物作りする人を受け入れようとする土壌があるように思う。気軽に多種多様な文化に触れる場が多くあるのだ。


どんなものを芸術や文化に当てはめるかは人によって様々だと思うが、小さいところで言えば本屋だって人の創作物や知識が詰め込まれた発表の場だと思う。

そして京都にはそのお店の色が色濃く出ているユニークな本屋が数多くある。お店の一角では野菜を売っていて食や暮らしの本を販売している「本と野菜 OyOy」フリーペーパー専門店「只本屋」(本店は休業中)ミュージアムの図録を自由に読むことができるカフェ「H2O」

きっとこういった本屋に行くことでしか普段は目にせず出会えない本がたくさんあるのだろうなと思うと、行くのもさらに楽しくなる。


古くから続く伝統あるお店や文化が変わることを厭わない姿勢もかっこいいと思う。


祇園で300年続く和菓子屋さん「鍵善良房」が「ZENBI-鍵善良房-KAGIZEN ART MUSEUM」という美術館を新たに作ったり、350年の歴史があるお香や和紙を取り扱うお店「鳩居堂」が気軽に聞香を体験できるカフェスペースを作ったりしている。

もちろん変わらずに一途に突き詰めていく姿勢だって到底真似できることではない。だけどお店を続けていくために、知識と興味を新たな層へ広げていくために、柔軟に変わっていけるのは純粋に素敵だと思うのだ。


ほかにもまだある。商店街にミニシアターがあるのも、閉じた喫茶店の場所やメニューを引き継いだりするのも、ギャラリーや書店と印刷工房が一緒になったアート複合施設があるのもかなりいいなと思う。文化とその継承だ。


気軽に、最初は低い姿勢から。京都には人の作ったものに触れられる場所がたくさんあるのだ。物を作る人にとってはきっといい刺激になるし、居心地がいいだろうと思う。そして作ることとは無縁だと思っている人にもここには色々な新しいきっかけが眠っている。

物作りをする人が多くいる街、大なり小なり発表する場所がある街が存在しているということに、なんとなく勝手に救われるような気持ちにもなる。いざ訪問が叶った時には実際に自分の目で見て確かめてみたい。

あまりにも京都に行きたくて、でもこのご時世と自分の都合で行くことが難しくて。京都へのちょっとしたエッセイを…と思ったらとても長い恋文のようになってしまいました。

もしこの文章を読んでくださった方の中に京都に在住の方、または京都に思い入れがある方がいらっしゃったらコメント欄であなたの好きな京都の食べ物、場所など教えてくれたらうれしいです。

京都に特に知り合いがいるわけでもなく、行きたい場所の多さからいつも一人で訪れているのもあって毎回自分の主観だけで行き先を決めてしまうので、同じく京都に縁がある人のお話もよければ聞かせてほしいです。そしてこの街により親しみをもてたらなあと思うのです。(一人で知らない土地に滞在するのは楽しくもあり心細くなる時もあるので…)


実はもう京都の行きたい場所リストはできているので、あとは1日でも早く京都への再訪が叶いますようにと祈るばかり。
その日まで脳内妄想旅行を細々と続けるぞ。







(2023年6月追記)この記事は2022年3月に執筆、公開されたものです。
この度再編集をし、note創作大賞2023エッセイ部門へと応募することにしました。







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