『聲の形』レビュー記事で伝えたかったことと、編集部からのアドバイス。

マンガサービス「アル」で記事を書いている江口ひろです。

私が書いた『聲の形』のレビュー記事がアルで公開されました!

このnote記事では、『聲の形』のレビュー記事ができあがるまでをご紹介します。
まず前半部分で、
・なぜ『聲の形』のレビュー記事を書こうと思ったのか?
・この作品を自分はどのように解釈したのか?
をご紹介します。

後半部分で、
・私が書いた記事は編集部からどのような指摘を受けたのか?
・ライターとして何を学んだのか?
を書いていきます。

<こんな方におすすめの内容です>
・『聲の形』の内容について考えてみたい方
・マンガのレビュー記事の書き方に興味がある方

『聲の形』のレビュー記事を書こうと思った経緯

罪悪感との向き合い方について考えてみたいなと思い、『聲の形』のレビュー記事を書きました。

2020年5月、とあるテレビ番組に出演していた方が亡くなるという悲しい事件がおき、SNSでの誹謗中傷が問題視されていました。

私もその番組を毎週観ていたのですが、あの番組を観ていた人ならば誰もが(誹謗中傷していない人でも)大きな罪悪感を抱いたと思います。番組の構成上、出演者の言動をみんなで面白おかしく議論する構成になっていたので、「出演者は苦しんでいた」という事実を突きつけられた視聴者は誰もが罪悪感を抱いたはずです。

その罪悪感にフタをするのかのように、自分より罪の重そうな人を見つけてバッシングする状況がSNSで発生していたと思います。そんな状況を見ていて、「罪悪感ってどうやって向き合っていけばいいのだろう?」と思うようになりました。

過去の罪との向かい方が描かれている『聲の形』

『聲の形』は、いじめに関わる人々の群像劇が描かれています。

その中でも主人公は、いじめをしていた自らの過去にずっと苦しんでいました。

罪悪感に苦しめられる主人公が過去の罪と向き合っていく姿が、このマンガには描かれています。

そこで思ったのです。
『聲の形』を題材にして、過去の罪との向き合い方について記事を書けないかな?と。 

以上が記事を書こうと思った経緯です。

『聲の形』では、どのように過去の罪と向き合っていったのか?

ここからは私が作品をどう解釈したのか? について書いていきます。

いじめの加害者になっていた過去を持つ主人公・将也は、どのようにして罪悪感と向き合っていったのか?

読み進めていくと、いじめていた西宮のことを「嫌いだ」と言っているセリフが多いことに気づきました。

1巻目の最初のページ ↓

将也がいじめを受けているとき ↓

最終回のシーン ↓

何度も出てきた「嫌いだ」というセリフは、最後に「嫌いだった」と過去形になっています。
この「嫌い」→「嫌いだった」という変化は、将也の他者との向き合い方の変化を表現しているのだと思いました。

●Before
<他者拒絶期>
「嫌いだ」 ➡ 西宮を拒絶 ➡ いじめていた過去を忘れ去りたい!(➡けれどうまくいかない)
After
<他者受け入れ期>
「嫌いだった」 ➡ 西宮を受け入れる ➡ いじめていた過去と向き合う
●変化のきっかけ
出会いを通して周囲と関係性を見出せるようになった。
関係性が変わる➡行動が変わる➡考えが変わる

他者を拒絶しても苦しみから抜け出せなかった将也は、次第に他者を受け入れるようになりました。その結果、過去の罪と向き合えるようになっていったのだと思います。

最後の「他者を受け入れる」➡「過去と向き合う」の流れに関しては、なにかの本で「他者を受け入れることで、はじめて自分のことを受け入れられるよ」といった文章を読んだことがあります。

まとめると、私の解釈はこのようになりました。↓

聲の形図解1

この順番で、将也は自らが犯した過去の罪と向き合っていったのではないか?というのが私の解釈です。

※「解釈違うのでは?」と思う方がいましたらご指摘いただけると嬉しいです。_(._.)_ この作品を深く理解したいです。

以上の解釈の元、「罪悪感に悩んでいるなら、『聲の形』を参考にして、まずは他者と向き合うところから始めてみては?」という記事を書きました。↓

編集部からの指摘

思いはじゅうぶんに理解しているし、切り口も承知です。ただ、いじめをテーマにしている以上、やっぱり被害者目線への配慮も必要です。

といった趣旨の指摘を受け、締めの文章を一部変更することになりました。

修正前の記事は、100%加害者目線で書いていました。いじめをテーマにしていながら、被害者のことには触れていなかったのですね。その点を編集部の方は指摘してくれたのです。

改めて読み返すと、修正前の記事には2つのリスクがあったのだと思います。

・いじめ被害者を傷つけてしまうリスク
・記事の読者が作品を誤解してしまうリスク

いじめに悩んでいる人からしたら、加害者を救う話は苦痛を与えてしまう可能性があります。「アル」という楽しいサイトで、悲しい思いをさせてしまっていたかもしれません。

また、「このマンガは加害者に偏った話をしているのか!」と作品に対して誤解を与えてしまう恐れもあります。(実際には、『聲の形』は群像劇としていじめを様々な視点で描いています。)

自分の書きたいことが優先しすぎていて、作品や記事の読者に配慮ができていなかったんですね。

修正した点

編集部からの指摘を受けて、最後の締めの文章を大きく修正しました。

修正前:加害者に絞ったメッセージ
修正後:加害者だけでなく被害者にも当てはまるメッセージ

内容の切り口は尊重してくれたので記事のメインは加害者の視点のままです。ただ、締めの部分では被害者にも救いとなれるような祈りをこめたメッセージを伝えることになりました。

今回のライターとしての学び

配慮することの重要性を痛感しました。

自分の伝えたい気持ちが強すぎると、配慮することに意識が回らず、結果的に誤解を与えたり、読者を不快にさせてしまうこともある。ということを学びました。

読者の気持ちの想像力をもっと伸ばさないといけないんだろうなと思います。

今回の学びを意識しながら、引き続きマンガレビュー記事を書いていきたいと思います!

これからもこのnoteでは、マンガに関することライティングに関することを書いていきますので、よかったらフォローしてください!


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