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永田町から赤坂付近を 緩く歩いてみた

東京駅方面から新宿まで歩く時に 永田町付近は、良く通るのですが何故か「国会議事堂」の写真を撮った記憶がほとんどありません。

その周りにある、「皇居のお堀端」や「国立劇場」などは、好んで撮ることは多いのですが。

3月に歌舞伎座から四谷駅まで歩いた時に撮った写真もこんな風でした。

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遠くに、帝国劇場が見えます。通りの向こうは日比谷公園です。

今回は 少し前の1月になりますが初詣も兼ねて、 赤坂から永田町付近を緩く歩いてみました。

日枝神社

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「日枝神社 > アクセスマップ」より引用した 全景です。地下鉄のように出入り口の多い構造であること、エスカレータも用意されてることから小高い丘を登っていくような神社ではないかー地図からはそんな事が想像できます。

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西参道側の階段です。迂回していることもありますが、数えてはいませんが結構な段数がありました。

今回は見るだけになってしまいましたが、山王橋側の入り口にはエスカレーターも用意されています。

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西参道にある山王鳥居です。山王鳥居は 表参道と裏参道にもあります。

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表参道側の山王鳥居(山王男坂)。

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門番にも見える狛犬。赤坂の街を見下ろしているようです。

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手水舎。

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社殿

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神猿像。 何か貰ってます。可愛いと徳(得)をするようです。

日枝神社 末社

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寶物殿

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新年の国立劇場

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夜の庭園

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参考)日枝神社 由来

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主催神  大山咋神(おおやまくいのかみ)
相殿神  国常立神 (くにのとこたちのかみ) 
               伊弉冉神(いざなみのかみ)
               足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)

御祭神大山咋神は須佐之男神の御孫神で、またの御名を 山末之大主神と申上げる。山水を司り、万物の生成発展を守護し給ふ神である。

日枝神社の歴史は鎌倉時代初期に秩父重継が江戸貫主を 名乗り、その居館に山王社を勧請したことに始まる。

文明年間には太田道濯が江戸城築城にあたり川越山王社を 再勧請し、更に徳川家康入府以降は城内鎮守の神、将軍家の 産土神と崇められ、紅葉山から麹町を経て萬治二年に当地に 移遷された。

日本三大祭のひとつ、また江戸三大祭の筆頭として知られる 山王祭は、江戸時代にはその神幸行列が城内に入り、将軍自ら 上覧したことから天下祭また御用祭とも評された。

明治維新によって江戸城は皇居となり、日枝神社は皇城鎮護の神として皇室の御崇敬殊に篤く 大正天皇御即位 当日には官幣大社の極位に列せられた。昭和ニ十年五月の 空襲によつて壮麗を極めた園賓の御社殿は灰燼に帰したが 氏子崇敬者の赤誠により昭和三十三年に再建され、星ヶ岡上に 再び大社の威容を拝するに至った。

氏子匹域は慶く千代田、中央、港、新宿医の七十余町に 及び、生業の隆昌を始め子孫と家門の繁祭を守護し給ふその 御神徳はまさに宏大無辺である。






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