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詩仙堂


詩仙堂 (シセンドウ)


正しくは、六六山(ロクロクザン)詩仙堂丈山寺
(シセンドウ ジョウザンジ)と号されてる曹洞宗
(ソウトウシュウ)の寺院である。


江戸時代の文人、石川丈山(イシカワジョウザン)
が、寛永18年(1641年)に隠棲の為に建立
をした山荘は『凹凸窠』(オウトツカ)と呼ばれ
これの意味は凸凹(デコボコ)した土地に建てた
住居を意味する言葉で、昭和41年(1966年)
に正式に寺に改められた建物となっている。


詩仙堂の名は、狩野探幽(カノウタンユウ)らの
筆による三十六人の中国の詩人の肖像画と、丈山
自らが喜いた各詩人の詩が四方の壁に掲げられた
『詩仙の間』に由来するものである。


丈山は、三河国(ミカワノクニ、現在の愛知県)
安城に生まれ、徳川家康に仕えていたが、禄を辞し
京都に住み、詩作に励むとともに哲学者であった
林羅山(ハヤシラザン)ら一流の文化人と交わり
茶道においては煎茶の奥義を極めた。


晩年はこの地にて悠々自適の生活を行い、寛文
12年(1672年)九十歳の天寿を全うした。


回遊式の庭園は白砂と皐用(サツキ)の刈り込み
美しく、藤(フジ)、花菖蒲(ハナショウブ)、
杜若(カキツバタ)、紫陽花(アジサイ)、萩
(ハギ)、山茶花(サザンカ)と、四季折り折り
の美しい花の姿が楽しめるものとなっている。


東には滝が配置され、この水を利用されたもので
誰もが知るあの『鹿脅し』(シシオドシ)である。


これは鹿や猪などから庭園を荒らされるのを防ぐ
目的と、山荘そのものの静寂を慰める為のものと
丈山が自身で考案したもので、これが鹿脅しなる
害獣避けの道具の始まりとなった。


丈山は、これを『添水』(ソウズ)と名付けた。
この『添水』の、原型は『僧都』からくるもので
奈良時代の終わりから平安時代にかけ、玄賓僧都
(ゲンビンソウズ)なる高徳の僧がおられ、彼は
奈良、丹波、備中、の田舎を転々とする。世間で
これら山田を転々とする僧都の事を『山田僧都』
(ヤマダソウト)と呼ぶ様になる。


備中国の湯川寺に滞在していたその当時山田僧都
は、収穫の秋に雀や烏を追い払う為に農夫を装い
これは農民たちから大変感謝された。


『山田の案山子』とは、案山子役のを引き受けて
くれた山田僧都の事を農民たちが親しみを込めて
呼んだもので、石川丈山はこの故事が気に入って
おり、鹿や猪を追いはらうこの道具を、玄賓僧都
の陰徳を偲んで『僧都』と名付けたのである。


詩仙堂の静かな空間の中、耳に入る音は雨により
流れを増した川の音と、僧都が定期的に響かせる
竹の打つ音、そしてモリアオガエルの鳴き声。


この庭園は目と耳を楽しませてくれる格別な場で
訪れていた人々は、静かにこの庭園を眺め、耳で
その音の余韻を楽しんでおられた。





詩仙堂のその名称が日本全国に知られるきっかけは
昭和61年(1986年)5月9日にダイアナ妃が
チャールズ皇太子と共に訪日の際に訪れたその場に
京都の有名な寺社仏閣のある中、小さな庭園だった
この詩仙堂を訪れたのがきっかけとなっている。

この時にダイアナ妃フィーバーが日本国内で旋風を
引き起こす中、ダイアナ妃が着ておられたのが赤い
水玉模様のワンピース。これは単に赤い水玉模様を
選ばれたのではなく、日本の日の丸を沢山つけての
『I❤️JAPAN』の意味が込められていたもの。


詩仙堂の庭園の緑色に、ダイアナ妃のワンピースの
赤いドットがとても映えて美しかったのである。




名称 詩仙堂 (シセンドウ)
   六六山詩仙堂 (ロクロクザンシセンドウ)
   丈山寺 (ジョウザンジ)
   凹凸窠 (オウトツカ)
所在 京都府京都市左京区一乗寺門口町27
山号 六六山 (ロクロクザン)
宗派 曹洞宗
本尊 馬郎婦観音(メロウフカンノン)
創建 寛永18年(1641年)
開基 石川丈山
文財 詩仙堂(国指定史跡)


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