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なんなら、プロになるかそれともやめるかって選択肢で音楽をやめられるなんてちょっと音楽に対して失礼な態度な気もする。

「ギターの話 その4」

共通言語としての音楽

だからと言ってどうということはないのだけど、音楽はうちの家族の共通言語の一つだ。もちろん、日本語も英語も家族の共通言語なのだけれど、おそらくそれと同じくらい音楽もそうだ。

うちの父親は46歳の時にボストンのバークリー音楽院に入学し、ジャズコンポジションの勉強をした。若い頃からアメリカでジャズの勉強をしたい、と願い続け、20年ごしにそれを実現させ、49歳で音楽大学を卒業した。

うちの兄は幼少期からバイオリンを習っていて倉敷ジュニアフィルハーモニーオーケストラという子供オーケストラに所属していたのだけれど、結局大学の専攻を選ぶ段階で最終的に音楽の道を選び、オクラホマ州にあるタルサ大学を音楽専攻で卒業した。その後、フロリダ州の大学院へと進み、ルイジアナ州だかアーカンソー州だかのオーケストラ団員になった。そのままバイオリニストとして生きていくのかと思いきや、ある時から学校の先生になり、その後仲間と共にツーソン・レパートリー・オーケストラというオーケストラ団体を立ち上げ、自ら指揮者に就任した。

弟は昔からピアノやらエレキベースやらを弾いていて、音楽専攻ではなかったにも関わらずコントラバス奏者としてオーケストラに所属することで奨学金をもらっていて、大学の学費はほとんどそれで賄えていた。ラジオ番組やミュージカルのオーケストラの演奏に参加してちょこちょこと音楽の仕事もしていた。今はプログラマーとしてシリコンバレーで暮らしていて、最近はもっぱらチェロを弾いている。

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人の曲はあくまでも参考資料であって、そもそも自分のモノではない

僕は、と言うとほとんど楽譜も読めない上に地道に楽器の練習をし続けるような根気もなかったので、演奏者になりたい、と思ったことは一度もないけれど、自分の曲を書きたい、という願望はやたらと強かったので、中学生の頃から歌詞を書いてみたり、メロディーを作ってみたり、かっこいいと思う言葉をノートの端っこに書き溜めておいたり、知っている曲のコード進行の分析して感心したりなんてことは常日頃からしていた。人の曲はあくまでも参考資料であって、そもそも自分のモノではないのでそんなに深入りしない、というスタンスで音楽と関わってきたような気がする。

24歳の頃にアメリカから帰国して東京で暮らし始めた後、一応プロの作詞家として仕事をさせてもらえるようになり、ゲームの主題歌だったり、キャラソンだったりをたくさん書かせてもらった。もう普通の人の一生分以上のラブソングをその時期だけで書いた気がする。

演奏者になりたい、と思ったことはないにせよ、ギター、ピアノ、ベースあたりの基本的な楽器は一通り弾けるので、楽器を弾きながらメロディーを口ずさむ、というネアンデルタール人のようなやり方で長い間オリジナル曲の制作にはげんできた。10年くらい前までは弾き語りでのライブ活動も結構やっていた。

家族が集まる時はとりあえずライブを企画する

東京で暮らし始めてからも家族はみんなアメリカで暮らしていたので、たまに日本に帰ってくるとなると、じゃあ、一緒にライブでもやろうか、というのが割と定番になっていて、家族ライブを何年かに一度くらいのペースでやっていた。やる場所はライブハウスだったり、行きつけのお店を貸切にしたり、まちまちだったけれど、毎回たくさんの人が集まってくれて、楽しい時間をいつも過ごすことができていて、家族ってこういうことをするものだと思っていた。

去年の夏は兄のオーケストラ、ツーソン・レパートリー・オーケストラが日本公演を行なった。大阪、岡山、名古屋、広島の4都市でコンサートを開催することになっていて、僕も今回はベース奏者として一曲のみだけれども参加することになった。

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父親が編曲し、ピアノを演奏、弟がチェロを弾き、兄貴がバイオリン、そしてその伴奏を兄が率いるオーケストラがする、といううちの家族的には超豪華企画だった。うちの兄が選んだ曲はまだ日本にいた頃の僕らがよく聞いていたT-Squareの「Omens of Love」という曲だった。

その時の動画がこちら。


たかが音楽、されど音楽

子供の頃から音楽をすることだったり、何かしらの演奏活動に触れることが多かったので、それがごく当たり前だと思って過ごしてきたせいか、多くの人が20代の頃に直面する「音楽を仕事にするか、それともやめるか」みたいな選択肢に悩んだ記憶がなく、音楽は生活の一部であり、別に仕事でも趣味でもない位置付けにそのままあるし、それでいいと思う。なんなら、プロになるかそれともやめるかって選択肢で音楽をやめられるなんてちょっと音楽に対して失礼な態度な気もする。

日本語や英語を話す感覚とギターやピアノを弾いている感覚は僕にとってはほぼ同じようなものなので、ある日を境にやめるっていう選択肢はない。だったら、プロのライターを目指してたいたけどやっぱり諦めることにしましたって言う人たちがその日を境に日本語で喋るのもやめますっていうのと同じくらい違和感がある。

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音楽で世界は変えられないし、音楽の力なんてたかが知れてる部分もある、それでも僕をアメリカに連れて行ってくれたのも音楽だったし、ボストンに引っ越したばかりの頃に日本語が恋しくて聞いていたさだまさしの曲は今でも耳にすると心を締め付けられるし、辛い時や悲しい時にラジオから流れる曲に心を救われたこともある。

音楽との接し方なんてその人自身が勝手に決めちゃえばいいし、上手いか下手かとか、それが仕事かどうかなんて大した問題じゃない。ただ一つ言えるのは音楽がある環境とない環境が選べるのであれば、音楽がある環境を僕は必ず選択する。音楽は人間が発明したものの中でもっとも美しい付属品、というかおまけの一品な気がする。音楽なんてなくても生きていけるけど、ない人生って例えて言うなら味噌汁のない定食、みたいなもんだよね。

6月15日 まいるす・ゑびす

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