素数ゼミの本を読んだ
吉村仁さんの素数ゼミの本を読んだ。とても面白かった。
素数ゼミっていうのはアメリカに生息する蝉のこと。これには和名がなくて、日本にはいないので、たぶん聞いたことがないと思う。この蝉は13年ごとに大発生するという変わった性質を持っている。17年ごとに出てくる種類もいる。どちらも素数周期を持っているんだけど、どうしてこういう振る舞いをするのかはよく知られていなかった。そもそも、アメリカでは蝉という生き物自体がマイナーで関心がないらしい。それを、日本の研究者が調べ上げてできた本、ということらしい。
覚えている範囲で適当に説明してみる。まずなんで周期性を持つようになったか、というところの推論。
普通のセミは周期性とかは持ってなくて、5年とか7年とか時間をかけて十分育ったら地上に出てくる。十分に育つためには木の根っこにある導管から樹液を吸って育つ必要がある。木の養分が多くなるのは光合成しやすくなる気温が高い時(日照時間が多い時)だから、平均気温が高めの地域とか季節には栄養が取りやすくなってよく成長する。そういう理屈で日本のセミは毎年夏に出てくる。カブトムシとかも同じ性質らしい。
アメリカのセミはそうではなく周期性を持っている。これは、おそらく氷河期とかそういう時代に進化したんではないかと言われている。アメリカは氷床に覆われる地域が多くて、かなりのセミが絶滅した。それでもギリギリ生きていけるオアシスのような場所(レフュージア)が存在しうる。どういう場所かというと、地下水が湧いているような場所。地下水は気温に影響されず、温度が常に一定なので寒くても氷に覆われることがない。そういう地域に入れば氷漬けになって死ぬというのは免れるけれども、日照時間が短いのでなかなか木が成長しない。それに依存しているセミも成長できない。普通なら5年とかで成長できるはずだけどその2倍も3倍もかかる。10年〜20年という長い時間をかけてゆっくりと成長する。しかし10年も20年もかけて成長しているとモグラに食べられたりとか衰弱死したりして生存率が悪い。うまく成長できたとしてもセミ人口が減少している氷河期では、パートナーを見つけるのが非常に難しい。なので「とりあえず夏に出る」では出会えないくらい厳しい状況になっていた。そういうなかで突然変異によって体内時計を持っている個体が発生してきた。その変異種は育ちきったとしても、生まれてから13年立つまでは地上に出ず休眠する、といった戦略を取る。これによって、パートナーを見つけやすいので生き残った。周期性を持たないセミは散っていった。
周期性が獲得できたら、あとはどういう周期で出てくるべきか、という議論になる。結果を言えば素数で地上に出てくるのが良い。素数以外の周期ゼミは、他の周期ゼミと地上に出るタイミングが重なってしまう頻度が多い。すると、似た種類であるために交雑が発生し、血統を保てなくなる。血統が保てなくなると、周期が乱れてしまい仲間と同じ時期に地上に出ることができなくなって途絶する。そうして14年周期とか15年周期の戦略を選んだセミは篩い落とされてしまったのではないかと言われている。その後氷河時代が終わって暖かい時代が戻ってくるが、進化してしまったセミは元に戻れない。こうして13年周期、17年周期の素数ゼミだけがアメリカに残った。
一方、日本のセミはアメリカほど過酷な状況に陥らなかったので周期性を獲得するのに至らなかった。ただ、季節風とかに乗って東南アジアから虫がどんどんやってくる+温暖化の影響でセミの種類が増えていった。同時にいろんな虫も増えたので賑やかになった。結果、適当に騒がしく鳴いてるだけだとパートナーが見つからなくなってしまったので、さまざまな音色を持つように進化していったらしい。アメリカのセミは特徴のない鳴き方だが日本のセミはヒグラシとかツクツクボウシみたいな幅のある音色を持っているというのが違うらしい。それはセミだけじゃなくてスズムシとかマツムシとかキリギリスとか秋の虫にも言えることなのだそうだ。味わいある。
ここまで読み切って、なんか生き物の理屈すごいなと思った。漫然と生きてるのが恥ずかしくなるくらい合理的に進化している。一方で、進化が後戻りできないからその合理性が失われているというのは悲しいことだ。人間が持っている伝統とか文化についても同じことが言えるのかもしれない。効率的に生きていくために社会を維持するために必要だった合理的な習慣が、今はもう必要なくなっていて無駄なことをしてしまっている。そういうことがいくらでもあるような気がする。合理的でないことをすべきではないとは思わないが、本当にやりたいことに時間を割けるならその方が幸せなんじゃないかというのは思う。