子どもを「育てる」ではなく「育つ」という視点で見ること。『子どもが自慢したいパパになる最強のお父さん道』を読んで
「僕はパパとしてどうあるべきなのか」ーー。息子が生まれてから1年5か月、妻のお腹の中にいたときを含めたら2年数か月、僕の頭の中からこの考えが離れたことはありません。
子どもが生まれた瞬間から親になるわけですが、それまで親になるための勉強をしたことなどなく、手探り状態の毎日。息子はいま1歳5か月。歩くのが上手になってきて、靴を履いて公園を元気に駆け回っています。息子の成長は目まぐるしくて、できることがどんどん増えています。
最初はたどたどしいつかまり立ちだったのに、自分で立てるようになり、一歩二歩と歩いたと思ったら、いつの間にか走れるようになっているんです。ホント、子どもの成長ははやいです。
息子から「パパ、パパ」と可愛い声で呼ばれて嬉しさを感じつつも、
「自分はいいパパなのだろうか」
「そもそも"いいパパ"とは何なのか?」
と、自問せずにはいられませんでした。
そのような時に、新泉社という出版社に務める編集者さんからメールが届きました。親としての気持ちを綴った僕のブログを読んでくださり、僕に関心があるテーマでは、という想いでお送りくださったのです。
それが、『子どもが自慢したいパパになる最強の"お父さん道"』という本です。
著者は、作家で僧侶、空手道場の館長をする向谷匡史(ただふみ)さん。お父さん「道」と名付けられていることから、著者の強い気持ちを感じ、ページをめくりました。
大切なのは、父親の生き方
ページをめくったとたん、僕は冒頭に書かれた一文でグッときました。
子育てとは、お父さんの「生き方」が問われることである。
本には、子どもへの接し方やしつけの方法も書かれていますが、一番大切なことは、父親がひとりの人間として人生にどう向き合い、どう生きるか、だというんです。
その通りだと僕は共感しました。口ではいくら立派なことを言っても、行動が伴っていなければ、子どもは父親を尊敬しないと思うんです。
僕は息子に幸せに生きて欲しいと思っています。でも、僕が僕の人生を楽しんでいなければ、説得力が全くないんです。
「パパは僕に幸せに生きろというけど、パパが幸せそうには思えない」
そんなことを言われてしまいそうです。
親の愛情を子どもが愛情と感じるかはわからない
本に書かれた内容の中で、父親の生き方と並んで心に響いたのは、「子どもがどう育つかを見守る」という考えです。
子育てでは、どうやって子どもを育てるか、に意識が向きがちです。そこでは必ずと言っていいほど、親の価値観が入ってくると思うんです。
子どもに対して良かれと思っての行動は、確かに親の愛情です。でも、親がどんなに子どもに対して愛情を注いでも、受け手である子どもが不快な気持ちを抱くなら、良い状態とは言えません。
自分がされて嬉しかったから、子どもも嬉しいはずという気持ちを前面に出して接すると、子どもは満足しないからです。その姿を見た親は、「なんだよ、子どものためにやっているのに」と不満に思ってしまう。
子どもは、親の愛情を愛情だと感じるかはわからないんです。
子どもをよく見る
そうならないために大切なのが、普段から子どもを観察することです。
どんなことに興味があるのか
どんなときに喜び、どんなときに悲しむのか
何に熱中するのか
などを日頃からよく見て、子どもの性格を把握しておきます。
よく考えてみれば、どう育てるかを考えるには、自分の子どもがどんな子どもなのかを知らないといけないはずです。子どもを観察せずに親の思い込みで教育しようとしても、うまくいかないと思うんです。
本では、子どものタイプを花にたとえています。
大輪の花をつけるヒマワリのような子もいれば、胡蝶蘭のような豪華で見栄えする子もいる。あるいは鮮やかな紫色の可憐なスミレもいれば、路傍に朝露を宿して咲くツユクサもある。(本文30ページより)
ヒマワリ、胡蝶蘭、スミレ、ツユクサはみな「花」です。大きさも色も香りも違うけれど、どの花が優れていて、どの花が劣っているかはなく、それぞれが魅力を持っています。
自分の子どもがどんな花なのかを知り、その子らしさが発揮できるよう、子どもが育っていくさまを見守ることは、パパとして何よりも重要なことだと本を読みながら胸が熱くなりました。
息子はどんな花なのだろう。僕はパパとして、息子が息子らしく育つように見守り続けよう。
そのべゆういち
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