見出し画像

ギークハウス武蔵小杉の管理人が何か企んでるってよ

この記事は、ギークハウス界隈 Advent Calendar 2019の14日目の記事です。

私は、博士(工学)の学位を取得後から現在に至るまでずっと、企業の研究所で研究者をしています。もう16年近くなります。ほとんどの時間を、新しいインターネットを作る研究に費やしてきました。3年半ぐらいシリコンバレーに住んで、とあるオープンソースの新規立ち上げや開発を行ったのが最もよい思い出になっています。帰国と同時にインターネットの研究からは離れ、ここ数年はブロックチェーン関連の研究をしています。論文も特許もたくさん書きました。ここでその一部を見ることができます→https://scholar.google.com/citations?user=qMKTiQ0AAAAJ

今日は、私とギークハウスにどんな関係があるのかを少しまとめてみたいなと思ったので、思うがままに連ねてみたいと思います。

ギークハウス武蔵小杉の誕生

話は2011年の年始にさかのぼります。私は、サラリーマンとして働いている自分自身の姿に疑問を持ち続けていました。なぜなら、組織を動かす歯車となった瞬間に、出来ることが一気に減ってしまっていたからです。これには二つの意味があって、会社に入ると情報のやり取りに制約が生じるという意味と、やりたいことがあってもそれができるとは限らないという制約が生じるという意味です。

制約がなかった頃は、好きなことができていて、とても充実していました。それに、実は就職する前の方が、年収が高かったです。本を書いたり、開発の仕事を手伝ったり、大学で授業を持ったり、アフィリエイトサイトを作ったりと、自分の好きなことをたくさんやっていたほうが年収が高かったとは、これは皮肉なことです。

そんなことから、雇用されずに好きなことをやっている方が、結果的には生産性が高いのではないかと素直に思えたのと同時に、同じような問題意識を持つ人たちが集まってひとつの場所で暮らしたらどんなことが起こるのだろう?という興味も湧いていました。それに、忙しくて終電で帰ることが多かったため、会社の近くに泊まれる場所がほしいとも思っていました。

そんなわけで、会社の近くの武蔵小杉に、たまにTwitterで目にしていた「ギークハウス」を作りたいという思いに至りました。それが、2011年1月5日のことです。ギークハウスとは @pha が始めた「インターネットがあれば、それでいい」という一見どうでもよさそうに思えて実は明確なコンセプトを持ったシェアハウス。

ギークハウスを作りたいと思った5日後の10日には、気付けば私は彼の住むギークハウス東日本橋にいました。どうでもいい関係ない話をしたり、カホン鳴らしたり、猫と遊んだりとかを通して得られた結論として、個人事業主とか起業とかに特化して、勉強会とか毎週やって楽しく交流しているようなギークハウスがあってもいいねということになり、ギークハウス武蔵小杉を立ち上げることにしました。

勉強会ができることが最低条件なので広いリビングのある物件探しは大変だったし、そもそもまだシェアハウスという形態が世間的にも良く理解されていなかった当時は契約にまでこぎつけることがめちゃくちゃ困難でしたが、なんとしても諦めたくないという思いが強く、実際に形になるまでには時間的にはあっという間で、2月14日には無事にオープンすることができました。

そのあたりの経緯は、こちらでまとめられています。

ギークハウス武蔵小杉の住人

最初は面接しまくって、同じような問題意識を持っている人たちだけに絞り込もうと思っていたのですが、仕事も大変だし時間もないし、だんだんと面倒くさくなってきたので、住みたいと思ってくれた人にはとりあえず住んでもらおう、ということにしました。そしたらどんなことが起きたかというと、ニートばかりになりました。でも、それが結果的にはとても良かったのです。

私も平日はギークハウス武蔵小杉に住んで、週末は家に帰るということをしていましたが、良かったのは、いつ行っても誰かがいて話ができることです。朝夕はもちろん、昼間もだれかしらいるので、会社から抜け出して一緒にご飯食べたりもしていました。

勉強会もたくさんやったし、突然訪問してくる人とかと夜中まで技術のことやビジネスのことを話し続けるなど、すごく居心地がよくて、かつ、めちゃくちゃ楽しかったです。

しばらくすると、私も知らないうちに住人がどんどんと個人事業主になったり会社を起業するという現象が発生しました。ニートを頂点とするギー杉の生態系の中で、深刻なニート離れがギー杉を崩壊させるとかいわれたりもしましたが、個人的にはすごく嬉しくて、心の中でカッツポーズをしていました。

たとえば、ギークハウス界隈でも人気?の @kitaindia は、地元岡山から出てきてギークハウス武蔵小杉に住み、最初はみんなで食べるカレーを作ってくれていましたが、そのうちメキメキと力をつけて、就職を勝ち取り、取材を受けるまでになりました。その様子はこちらの記事にも書かれています。

チームを作って、ビジネスコンテストに挑戦するするという経験もしました。なんと受賞を勝ち取り、開発資金も出ました。今はアプリの公開は終了していますが、iPhoneアプリを某企業から出してもらうこともできました。

そのうち、住人がギークハウス武蔵小杉を卒業(退去)して、新たにギークハウスを作るという流れもおきました。そうやって出来上がったのが、@ltd のギークハウス元住吉と、@sodesu123 のギークハウス横浜です。ギークハウス武蔵小杉オープンの翌年には私がギークハウス新丸子を立ち上げたことで、計4件の神奈川県内のギークハウスは、ギークハウス武蔵小杉にゆかりのある仲間たちで運営している、という状況になりました。

他にもいろいろ紹介したい人がいるけど、どこかでしっかり時間を作ってまとめたいな。

運営者として気をつけていたこと

管理人として気をつけていたのは、ルールを作りすぎない、細かいことは住人に任せる、ということでした。住人が一番心地いいように何ができるかに、注意を払っていました。そこで勝手に出来上がる住人同士のローカルルールは、比較的守られる傾向にあります。さらに、ギークハウス武蔵小杉を、自分たちで作ったという当事者意識が醸成されることにも価値があると思います。

また、意図的に個室を作らないようにもしていました。同じ部屋で複数人で暮らすことで、何かあっても声をかけあえる状況を作りたかったからです。最初はそれを決めた私自身が一番不安でしたが、住んでみると意外とそうでもなくて、部屋の中で二段ベッドにみんなで寝るという経験は、なんだか学生時代を思い出させるような懐かしさや、他の人と違う経験をしているという特別感もあって、すぐに慣れてしまうどころか、むしろ私としては毎日が充実する結果となりました。

他にも気をつけていたことはいろいろあったし、見えないところでいろいろ動いてはいたんだけど、もう長くなってきたし、眠いし面倒臭くなってきたのでこんなところで。

次のステップは?

ギークハウス武蔵小杉を始めてそろそろ9年になります。実はギークハウス武蔵小杉は貸主との認識の違いがあって消されてしまいましたが、ギークハウス新丸子は今も存続しています。

もう9年も経ってしまったので、その間に世の中も変わり、シェアハウスは珍しいものではなくなったし、ギークハウスの数も全国にかなり増えました。なので、10周年を機に、何か新しいことに手を出したいなーと思い始めています。その仕込みとして、私が運営するギークハウスを少し増やしてみることにしました。

いま考えていることは、ギークハウスの間をブロックチェーンでつなぐことです。それで何ができるかは今後のお楽しみなのですが、少しヒントをいうと、GoogleとAmazonを足して、オープンにしたような組織を作ろうと思っています。

あと、住に関するシェアはなんとなくできたので、食にも手を出す予定。最後には衣食住のシェアを完成させて、そこに学びと遊びを加えたいですね。そこまで行けば、ちょっとおもしろい経済圏が作れると思っています。

というわけで、ギークハウスに住んで、私や住人とアイデアを練って、一緒に世の中を変えるサービスを作ってみませんか? という宣伝で最後を締めくくるのでした。

いや、まじで世の中をもっと楽しくしようよ。そして、もっと楽しく生きようよ。

よろしければサポートお願いします。研究やnoteの記事ネタになりそうな書籍の購入などに使わせていただきます!