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ナノプラって、危険ナノ?

今日は、グチである。

今年に入ってから、水を飲むたび「ペットボトル1本の水に、24万個のプラスチック片が含まれている」とかいうニュースが頭をチラチラよぎってイライラする。だから、なんだよ。ナノって、目に見えないレベルだろうがよ。髪の毛の直径の1000分の1のサイズ。それをプラスチック「片」とか書くから、気持ち悪い。片というより粉というより、粒子だろ。1月にこんなニュース見なきゃよかった。6月に入っても、飲料全般のどこし気持ち悪い。気にしなきゃいいんだけどなあ。それが難しい。

昔、SDGsの仕事してたとき、ウミガメがビニール袋や漁師の網を食べちゃって、お腹がプラスチックでいっぱいだった、なんて記事や画像を資料として目にしてきた。何匹のカメの死骸を見せられたのか俺。カメたちのお腹にたまる白い物体は、目に見えて体に悪そうだとわかる。でも、それってさ、原因はナノプラではない。洗顔料や歯磨き粉のスクラブが、プラスチックだから危険かもよ、と日本の環境省が言ってるが、それは「マイクロプラスチック」であり、ナノプラではない。ナノプラって、サイズ的に空気中も舞ったりするわけで、それを防ごうとしてマスクしても、マスクからナノプラが出るという地獄の物質なんだよね。

ナノプラ、ナノプラ。気をつけろ。一体だれが言ってんだ、そんなこと、と調べてみたら。

米コロンビア大学気候科学研究センター准教授が

「ボトル入り飲料水に含まれるナノプラスチックを心配するならば、
 代わりに水道水などを検討するのは妥当なことだ」

とか言っている。

ペットボトルで水を飲むと、水道水の20倍のマイクロプラスチックを摂取することになる、とかさあ。紙のカップを使っても、内側がプラスチックでコーティングされていればダメ、はいそこナノプラ、とかさあ。これって、宗教的な健康オタクや環境信者に、ウォーターサーバーを売りつける広告屋の方便じゃねえかなと思ってる。ミネラルウォーターが水道水より体に悪かったなんて、なんて、「わたし、水は、軟水じゃなきゃダメなの」とか、センシティブアピールしてきた女子の立場は総崩れだ。

環境の記事を書くとき、せめて、ナノプラは除外して、マイクロプラが主役の記事にして欲しいな。もう避けようないもん。多分、洗剤とか柔軟剤とかナノプラ出てるぞ。あの匂いって化学物質なんだから。

これ騒がれたら、ペットボトルを大量生産するコカコーラなどの飲料メーカーとか、花王とかライオンとかの洗剤メーカー、そして日清みたいなカップ麺つくってる会社まで対応がしなくちゃいけなくなる。逆に、先手を売って、「ナノプラの健康被害にエビデンスなし」とか、はたまた「ナノプラ除去して作る方法研究中です」とか、今からやっとくべきだと思うけど。

これまた小泉進次郎に見つかったら大変なことになるぞ。信じろ、信じろ、信じろう。と言われて育ってきた小泉進次郎なら、信じてしまう。だって、進次郎なんだから。

CSRとか、SDGsとか、持続可能な社会とか、ブランディングのひとつとして取り組んでいる企業もあるけれど、それを言いすぎると、利益相反を起こす場合もあることを認識していることに気づいている企業はあんまりない。環境問題はSDGsで語れてコストもさほどかからんわけだけど、健康問題はSDGsであんまり語られない。キリがないくらいコストがかかるから。
莫大なコストかかるけど、それでもナノプラ除去に取り組めたら、逆にすごいけどね。

さて、グチおわり。

今日の音楽は、すてきな海が脳裏に浮かぶ「Beyond The Sea」。みんな大好き「ファインディング・ニモ」のエンディング曲。今日の本は、そうだな「日本懐かしジュース大全」。ジュースへの愛を感じる一冊だ。チェリオ、アンバサ、ハイシーなど、青春のジュースに想いを馳せる。時代は瓶に戻るのかもしれない。

ああ、21時か。まだ、週の半ばの水曜である。残業しすぎだ今週は。さあ、日常に戻って、水ダウでも見よう。


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