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心理的安全性と規律の関係性

先日、とあるワークショップに参加したときに某学校の○本先生から聞いた二つの言葉。それが、「心理的安全性」と「規律」でした。

この二つをどう両立していくのか、という点については学校現場であれ、企業の組織内であれ、チームや団体として最大のパフォーマンスを発揮するには重要なファクターになります。

最近、至るところで「心理的安全性」という単語を目にします。かつては(今もあると思いますが)、上司が絶対的存在であり、部下はそれに従うというピラミッド構造でありましたが、今の社会においては"ティール組織"が4年前にベストセラーになったように、みながフラットな組織構造の方がパフォーマンスを発揮するという考えに移行してきています。

そして、このように全員がリーダーシップを発揮し、主体性を持って組織を活性化する動きの中に、台頭してきた言葉というのが「心理的安全性」です。

心理的安全性とは?

心理的安全性という言葉の概念は、1999年にハーバード大学教授のエイミー・C・エドモンドソン氏が打ち立てました。

そこでの定義は以下です。

チームの心理的安全性とは、チームの中で対人関係におけるリスクをとっても大丈夫だ、というチームメンバーに共有される信念のこと

石井遼介著『心理的安全性』, p22より
 

本著では、こんな例を"非"心理的安全性の場所としてあげています。

・率直に意見を言うと、空気が壊れたり、自分が嫌われたりするリスク(だから言わなかった)
・同僚に依頼している仕事を、そろそろ仕上げてもらわないと納期に遅れてしまうが、リマインドすると面倒なやつだと思われてしまうリスク (だから同僚からのアクションをイライラしながら待った)

石井遼介著『心理的安全性』, p25より 

これは具体的な事例ですが、エドモンドソン教授は以下に対人関係のリスクを整理しているとも述べています。

・「無知」だと思われたくない
・「無能」だと思われたくない
・「邪魔」だと思われたくない
・「否定的」だと思われたくない

石井遼介著『心理的安全性』, p26より 

本著では、端的に

心理的安全性が低い=「チームのために行動しても、罰を受ける」と言う不安やリスクのある職場

心理的安全性が高い= 「健全に意見を戦わせ、生産的で良い仕事をする」ことに力を注げる職場

石井遼介著『心理的安全性』, p28より 

ここまで読むと何らかの部分で該当箇所がある方が多いのではないでしょうか。胸が痛くなりますよね笑

他にも様々な事例やフレームワークがあり、勉強になる点が多くある著書ですので、ぜひ組織に悩む方がいれば手に取ることを強く強く!お勧めします。

ここでは、詳細に書くと心理的安全性とは?というブログになってしまいますので、次に規律について考えていこうと思います。

規律とは?

続いて規律について考えてみます。皆さんは、「規律」と言う言葉についてどのようなイメージを持つでしょうか。

個人的なイメージとしては、心理的安全性の割と反対に位置する言葉のイメージを持っています。心理的安全性は皆をインクルーシブに尊重し合いながら、高あっていくことに対し、規律はあらかじめ線(基準)があって、その線については何があっても越えてはならないもの、というような厳格なイメージがあります。

私自身は、ベルギーでサッカーをやっていた頃、コーチが口酸っぱく言っていた言葉が"Keep dicipline(規律を保て)"でした笑

そんな余談はさておき、規律の定義は以下です。

1 人の行為の基準として定められたもの。おきて。「―を守る」
2 一定の秩序。「―正しい生活」
(コトバンクより)

https://kotobank.jp/word/%E8%A6%8F%E5%BE%8B-480311

まさに皆さんがイメージした通りなのではないでしょうか。

基準や一定の秩序という意味になりますね。

では、規律が存在する意義について考えてみたいと思いますが、みなさんはどのように考えますか?

規律がなければどうなってしまうでしょうか。

おそらくさまざまな物事に収集がつかなくなってしまうのも事実です。私たち人間の社会的な営みに関しては、全てが規律の上で成り立っていることですし、それなしでは私たちが秩序を保つことは資本主義社会においては難しいです。

心理的安全性と規律



では、続いて「心理的安全性」と「規律」がどう共存するのか、をみていきたいと思います。

そもそも規律を保ったまま、心理的安全性は担保できるのでしょうか。という問いに対しては愚問で、そうでなくてはならないのです。

ただ、ここで考えなければならないのは、どこまでの規律を必要とするか、ということです。

規律が緩ければ、一人一人の主体性を引き出すことができるでしょうか。

また、規律が厳格であればあるほど、一人一人のパフォーマンスは低下するでしょうか。

おそらく答えは、Yesであり、Noでしょう笑
結局はここでもケースバイケースですよね。

理想的な状況を考えてみると、以下のような状況なのではないでしょうか。

・心理的安全性を保ったまま、行動指針ややるべきことがわかる程度の規律が存在する状態
・組織が規律を常に見直す姿勢があり、その見直すプロセスにおいて心理的安全性が担保されている状態

最初からルールに従う、という構造は仕方がないことだと思います。何もないところから作り上げることができる環境があるに越したことはありませんが、大抵の場合は、誰かが規律を作って、その規律の上で活動を行います。

そして規律がなければ、組織全体として同じ方向に向かっていくことは困難です。規律を作ることで平等性を担保できるわけです。

しかしながら、その規律が元々は平等性を担保するためのものがいつの間にか理不尽なものになっていたり、なんら意味を感じさせないものである場合というのはよくあることです。

そんな時に声を上げられることができるかどうか、という点が次に重要になります。ここで心理的安全性が保たれているか、という点が重要になっていきます。

そして、これも大抵の場合、規律自体がそうした声を上げてはならないようなものになっていることがあります。

AさんがXという行動に対して、これは規律で決まっているからXをしろ、と上司から言われますが、実際にXをやってもうまくいかないことが容易に予想できる場面です。
だけれどもこれが規律だから、Xをやります。結果失敗します。

実はこういうシチュエーションというのは多々あると思います。

こういう時に、Xという行動自体に対してではなく、そもそもなぜ規律がそうなっているのか、という点について検討できる組織構造になっていく必要があります。

つまり、規律が心理的安全性を生み出せる場合というのが存在します。反対に規律が心理的安全性を阻んでいる場合もあります。

このような点が今後の組織を考える上で大事であり、組織全体が規律を見直せる風土がある場合においては、全員がオーナーシップをもち、さらに組織への帰属意識が芽生えます。

まとめ

このようにしてみていくと、「心理的安全性」と「規律」という二つの概念について二項対立のように述べてきましたが、実は二つの言葉は"対"の関係性ではなく、お互いに"依存"する関係にあることがわかってきました。

最近ではZ世代やX世代とミレニアル世代以上の世代との価値観のギャップが大きいという指摘がされてきています。個々人の価値観が多様化している現代において、これまで"正"とされてきた既存の"規律"に対し、懐疑的にならなければなりません。

また、ビジネスにおいても変化の激しい現代社会においては、いかにスピーディに組織変革をしていきながら、市場にフィットする組織、一丸となる組織を形成していかなければなりません。

単に懐疑的になるのではなく、全員が"規律"を見直すことができる環境配備が必要でしょう。

そして、実はその環境配備の一つにそれらの意見を受け入れる"規律"が必要なのではないでしょうか。





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