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体重100kgの俺がフルマラソンを完走するまで 〜プロローグ〜

幼少期からスポーツは好きで、3歳頃から水泳をやったり、中学高校では野球、大学ではロードバイクなど、比較的運動はしてきたと思う。

社会人になってからはそうもいかず、ゴルフなどの軽い運動はしていたが、それ以外は特段何もしていなかった。
食生活においてはより酷くなる一方で、好きなものを好きなだけ食べ、飲み会には時間と体力が許す限りほぼ参加するようになっていた。

そうしているうちにいつしか体はみるみる肥大化し、友達からは会うたびに太った?と訊かれる次第だ。

後ろめたさから体重計は遠ざけていた時期もあったが、最終的には開き直り、ウケがいいのでここ数年はデブを売りにしていた。

ビジネスデブ爆誕である。

それがまた悪循環の始まりで、デブには食材が本当によく集まる。
会社でいただくお菓子は余ると俺に集積され、飲み会での〆は自動的に俺の分まで頼まれる。

「美味しそうに食べるね」そう言われると「ありがとうございます!」と返し、笑顔と共に食材を頬張る俺はすっかり家畜であり、笑わせてるのではなく笑われていた。

久しぶりに体重計に乗り、気付けば3桁の数字が表示されていた。
「体重100kgは才能がないとたどり着けない」
どこかで聞いたことあったセリフが脳裏をよぎった。

俺、才能あったんだな。

でも、そうじゃないことは薄々わかっていた。
才能なんかじゃなくて単に自堕落が招いたあるべき姿なんだと。


100kgの自重は日常生活にも大きく支障をきたした。

昨年の夏頃、突如原因不明の膝痛に悩まされ、あまりの痛さにとんでもない病気になってしまったのではないかと不安になり、急いで病院で診察を受けた。
最悪骨肉腫ぐらいに思っていたのだが、原因は本来丸いはずの軟骨が重すぎる体重に耐えきれず、すり減り鉛筆の先の様にとんがっていたからだった。先生からはこのままだと将来歩けなくなるよと言われ、俺はなんとも言えない表情で軽くはははと笑うことしか出来なかった。

その年の冬、血液検査の結果が悪く肝炎を疑われたことがあった。エコー検査をすると、内臓脂肪が邪魔でエコーが肝臓まで届きませんと言われ、20代にして脂肪肝と診断された。

今年に入ってからは、心拍数は常に100拍/分付近を推移し、靴下を履くだけで息が切れ、汗をかき、とても喉が渇いた。

ビジネスデブはちゃんとしたデブになり、もはや身体は限界だった。

電車の座席も心なしか太っている俺の隣だけ埋まりにくく、妻からは夜間の無呼吸を指摘され、時代的にも容姿いじりは受け入れられなくなってきた。
極め付けはコロナウイルスのワクチン接種だ。
優先的に接種を受けられる基礎疾患にはBMI30以上が含まれる。175cmの私はBMIが32を超えており、接種順位の上位に該当する。
これは、コロナウイルスに罹患した場合、死亡するリスクが高いというお墨付きを厚生労働省からもらったことになる。

これは少々よろしくない。

息子もまだ2歳にもなっていないのに「パパは太り過ぎが原因で死にました」はかっこがつかなすぎる。仮に生きていたとしても息子が物事つく前に痩せてカッコいいパパ像を守らなければ。

こうして、何度目かのダイエット計画がスタートしたのであった。

つづく。

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