見出し画像

適材適所という考え方を知った日


今年は秋に運動会という所がまた増えたようですね。

先生方が工夫されてのいつもと違う形での開催には、よいところもあったとの声も聞かれました。

そんな話を聞きながら、ふと思い出したことを・・・今日は徒然書いてみたいとおもいます。

・・・・・・・・・・・

私が適材適所という考え方を知ったのは、小学6年生。組体操の選考会でのことでした。組体操は、当時通っていた小学校で5,6年生だけが出られる運動会ハイライト。

5年生。
私は3月生まれということもあって小柄で、しかもカリカリに痩せていました(夏の屋外での水練学校のおかげで真っ黒で、ごぼうを極めていた時代^^;)。ということで、どんなペアでもどんなチームでも、私は一番上でした。

それがまぁ嫌で…。

小学生の頃って、まだ個性に関わらず、色んな役割をやってみようっていう風潮があったように記憶していて、例えばリーダーになったりならなかったり、飼育係になったり会計係になったりしていたかとおもうのですが、

こと組体操においては、上が下になることはなく、支えてもらう側は常に支えてもらう側。

お墨付きに小さかった私は、チームが大きくなって10人ピラミッドとかの大技になっても、やっぱり一番上で、それだと、横から上まで上がっていかなきゃいけないのですが、乗るときに、うっとかぐっとか声がきこえるんです。

そりゃそうですよね。乗られる方も小学生の女の子なんですから。
どうやれば、乗られたときに衝撃が少ないか私なりに考えたりして…それは勢いを一切つけずに、横からじゃなく、斜め後ろの腰骨の辺りから行く方法でしたが、それでも「支えてもらってばっかり」という引け目がありました。

それで、勢い余った6年生の時
3段タワーの一番下に立候補したのです。三段タワーってわかりますかね、円陣を組んだ状態で全員が立ち上がるので、迫力ある高さになります。
多分、「この大技ができれば、私も一人前」みたいな気持ちがあったのだとおもいます。

当然、この独りよがりな考えはすぐに却下され、やっぱり私は10人ピラミッドの上になりました。

「今回は私がお願いしたから、次は私がする番ね。」そんな役割を互いに取り替えることが、全体のためにならないこともある。それは、小学生の私には結構衝撃でした。

そこから時が経ち、会社に入り、
・先輩社員の仕事の統括もやるようになったとき
・ワーママとして時間と仕事をやりくりしなくてはいけなくなったとき

時折、その感覚を思い出しました。引き換えられない役割をお願いする肩身の狭さと全体最適について・・・

適材適所とせめて仲間に納得してもらうには、私は何ができるか。

行動原点は、あの組体操にあったのかもしれないと思い返す、秋です。

よりたくさんの良書をお伝えできるように、頑張ります!