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ロボ爺と僕

家の近所にコンビニがある。
徒歩2分程の場所にあり、その利便性の虜になっている面倒くさがりな僕は、ここ四年くらいそのコンビニのお世話になっている。
ある朝、僕はいつものように甘いカフェオレを買いに店に入った。日課なのだ。すると、大きな図体だが腰が軽く曲がり、頭は白髪で頭頂部の禿げあがった店員が入り口付近に立っていた。

「イラッシャイマセー」

(...あぁ。またか...。)

まるで感情の籠っていない彼のそのセリフを僕は今まで幾度となく聞いてきた。
僕がコンビニに通い始めた当初から彼は店員としてこの店で働いていた。レジで接客をして貰ったり、時には商品の場所を教えて貰ったことまである。しかし、僕は彼の笑った顔をこの三年間で一度も見たことがないのだ。それだけではない。怒り、焦り、悲しみ、喜びなど、彼が感情を表に出している所をまるで見たことがない。この事から、僕は彼のことを密かに『ロボ爺』と呼んでいる。
僕はロボ爺に深い興味を持っている。彼はそもそも感情を表に出さないタイプであるのか。それとも仕事に感情は必要ないと考える生粋の職人気質を持ち合わせているだけなのか。はたまた何らかの事件をきっかけに感情と呼ばれるものの全てを失ってしまった悲しきロボットであるのか。そうだとしたらロボ爺はいつどんなタイミングで感情を失ったのだろう。通えば通うほど、カフェオレを買えば買うほど興味が止まらない。ホストクラブか此処は。
ロボ爺がどうやらこの店の店長らしいということを知ったのはつい最近のことだ。店内にどんよりと漂う薄暗い雰囲気も、きっとロボ爺の感情のない経営方針がもたらした結果であろう。
僕はロボ爺の脇を会釈して通過すると、カフェオレを目指してドリンクコーナーへと向かう。すると、店内に小学生低学年くらいの少年が駆け足で入店してきた。どうやら物凄くテンションが上がっているようで、息切れも気にせずに早足でお菓子コーナーの一角へ向かった。僕は特段気にすることもなく歩みを進めようとしたのだが、入り口付近に居たロボ爺がムクっと動き出した所を目の端が捉えたことで歩みを止めた。ロボ爺はのろのろとした足取りでお菓子コーナーへ向かうと、何も言わず少年のすぐ真隣に立ったのだ。

「...え、なに、怖い。」

僕の素直な感想がこれである。感情の読めない人間の行動ほど怖いものを僕は他に知らない。するとロボ爺は商品のお菓子を何やらゴソゴソと漁り始めた。よく見るとロボ爺はただ商品を綺麗に陳列し直していただけらしい。やめてくれよ怖いから。
すると、突然隣に来た不審な店員に向かって少年が口を開いた。

「おじちゃーん。おじちゃんってさー。もしかして友達居ないの?」

子供とは恐ろしいものである。大人では言えないことやれないことを平然とやってのけてしまうのだ。
ロボ爺は一言だけこう答えた。

「...トモダチ?」

彼はもしかしたら宇宙からやって来たのだろうか。昔のSF映画でこんなシーンを観たことがある。初めて地球にやって来た宇宙人と純粋無垢な少年が心を交わすシーンである。まるで友達という言葉の意味が分からないといった様子のロボ爺に思わず僕は笑ってしまう。

「そう!!友達!!居ないの?」

「...トモダチ...イナイヨ。」

勘弁してくれ。これ以上は少々悲しすぎる。感情を失っただけでなく、友人も存在しないというのならロボ爺は本当にロボットのような存在だということになってしまう。僕は心の中では、実はロボ爺はパーリーピーポーで、私生活では市民館で開催される体操教室でブイブイ言わせていたり、家ではチャブ台を派手にひっくり返すような人で在って欲しかったと思っていたのだ。
すると少年がまた口を開く。

「そうなんだー!わかった!じゃあ今日から僕が友達になるよー!」

少年は軽快な口調で言ってみせた。子供とは素晴らしいものである。いつだってそうなのだ。時代を変えるのは未来ある子供達。ロボ爺の心を動かすのも子供達なのだ。
ロボ爺は一瞬目を丸くするとほんの少しだけ口角を上げてこう言った。

「...友達。」

漢字!今のは完全に漢字の友達だった!しっかりと言葉の意味を理解して、呑み込んだ後に少し笑ってそう言ったのだ。側から見ていただけの僕だが、なにか言い表せない幸福感で心が満たされた。人の心を覆った厚い氷が溶けていく瞬間。どんよりとした店内の雰囲気に一筋の光が差したような気がした。こうして少年とロボ爺は沢山のお菓子に見守られながら友達になった。
事の顛末を見届けた僕は満足気にドリンクコーナーへ向かうといつものカフェオレを手に取る。心なしかカフェオレさえ微笑んでいるように見えた。僕がレジへ向かうと、丁度少年との会話を終えたロボ爺が接客をしてくれた。

「...ヒャクサンジュウエンデース」

ここまでは普段のロボ爺である。しかし今日は違うはずだ。彼は人の心を取り戻した。今なら僕も彼と言葉を交わす事が可能かもしれない。そうだ、僕も勇気を出すのだ。少年が勇気を持ってロボ爺に話しかけたように、ロボ爺が勇気を持って心を開いたように、次は僕の番である。

「...いや〜。でもあれですよね。やっぱり子供って可愛いですよね!」

勇気を出すと言っておきながら、子供をダシに使う汚い大人である。しかしこのタイミングでロボ爺の興味を引ける話題はこれしか無かった。さあ、笑ってくれ。微笑んで、そうですねと同調してくれ。それだけでいいのだ。会話のラリーなんて難しいことを僕は求めていない。彼の世界に僕が一瞬でも存在したというこの事実が重要なのである。

「......アリガトウゴザイマシター」

彼はレシートを出すまでの間無言を貫くと、一言だけそう言った。そうこれがかの有名な"無視"である。ロボ爺はロボ爺だったのだ。少年に見せたあの微笑みも、感情の片鱗も全てがまやかしでしかなかった。
盛大に無視されてしまった僕は冷えたカフェオレを片手にコンビニを出る。心なしかカフェオレさえ失笑しているように見えた。ロボ爺は一体何者なのだろうか。僕では彼の感情を取り戻す事はできないのだろうか。とりあえず今度は小学生を百人くらい送りこんでみることにしよう。
僕は家までの帰路をとぼとぼと歩くと、玄関に入った瞬間、手に持ったカフェオレを一気に飲み干した。

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