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かっこいい大人がいないのなら、周りの大人がかっこよくなればいい〜ビリギャル本を読んで〜

『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話』(著:坪田信貴)を読んだ。

キャッチーなタイトル、読みやすい語り口。そういった要素を越えて伝わってきたのは、「ひとりの変化はうねりを生む」という希望だった。

本書で最も大きな“変化”があったのは、さやかちゃん(敬意を称して、本書内での呼び方をさせていただく)本人だと思う。それは間違いない。勉強を全くしていなかった状態から、1年で慶応合格。知識、姿勢含め、大きな変化があったことは本書を読むと分かる。

でも、さやかちゃんの変化と共に、大きく変わった人がいる。それは、さやかちゃんのお父さんだ。

当時のさやかちゃんは、お父さんのことが大っ嫌いだったらしい。さやかちゃんが「慶應にいく!」と宣言したときも、お父さんは「ふざけるな、塾に行くお金なんて出さないからな」と怒っていたとのこと。(もちろん、さやかちゃんのお父さんには、お父さんなりの事情と想いがあったのだけれど)

そんなお父さん、さやかちゃんの受験の際には、大雪で通行止めをくらっていたさやかちゃんを車で大学まで送ってくれたくれたんだそう。いつの間にか、全力で応援してくれる父親になっていた。

さやかちゃんの変化が、お父さんの変化につながる。そしてお父さんの変化は、さやかちゃんの勇気につながり、さらなる変化を生む。

そんな連鎖を感じたとき、「さやかちゃん⇒お父さん」という変化の順番は、「お父さん⇒さやかちゃん」でもおかしくなかったことに気付いた。さやかちゃんは、坪田先生というかっこいい大人に出会うことができたから、変わることができた。幸いにも。

けれど、かっこいい大人に出会える子どもばかりではない。そんな子どもたちは、偶然的な出会いを求め続けるしかないのだろうか。

そんなことはない。かっこいい大人がいないのなら、周りの大人がかっこよくなればいい。

ひとりの変化は、身近な誰かの変化を生む。裏を返すと、誰かが変わらないと目の前の人は変わらない、ということ。

子どもの可能性を開くためには、周りの大人が変わる必要がある。もっと言うと、誰かが変わるのを待っていても意味がない。目の前の人に変わってほしいのなら、まず自分が変わらないと、変化の連鎖は生まれない。

ひとりの変化は、うねりを生む。

だからこそ、自分から変わらないといけないんだ。

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さやかちゃん、あらため小林さやかさんをゲストに迎えたイベントを6/2に開催します!「どうしたら、子どもの可能性が開く社会をつくれるのか?」という問いを掲げたトークセッションです。

ぜひご参加くださいませ!


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