長屋4

【人口密度世界一:その1】長屋の暮らしが生んだクリエイティブ

江戸しぐさが生まれた背景

江戸の町には全国各地から様々な人々が集まっていました。「裏店(つまり長屋)の壁は諸国の境なり」と川柳にも詠まれている様に、長屋には元々江戸で生まれた町人もいれば、家持の侍も江戸勤番の侍もいました。地方から来た商人や職人、ありとあらゆる職種の人間が集い、諸国の文化が交差する場所でした。

人口の約半分をしめる庶民が江戸全体のたった2割ほどの土地に暮らし、異国の文化が高密度で集められた場所という観点で非常に特殊な環境だったと言えるでしょう。

長屋1

しかも長屋というのは壁も薄いし粗雑なのでプライバシーなどほとんどない状況だったそうです。子供の鳴き声や、夫婦喧嘩の声、家族の笑い声も間近に聞こえたことでしょう。もちろんトイレ、水道(井戸)、ゴミ捨て場、洗い場は全て共同でした。

諸国の壁がある、土地が狭い、人口密度が高い、家が狭い、その他様々な環境要因から見知らぬ人とでも隣り合って快適に暮らす必要に迫られ、結果として共用の場を綺麗に使うなど、共同生活のマナーを確りと守らざるを得なかったし、「江戸しぐさ」などの人間関係のスキルが生まれたと考えるのが自然そうです。


長屋の構造

長屋の構造ですが、一区画の表通りに面したところはお店になっていました。そのお店を表店(おもてだな)と呼びます。その裏側に人の住む住居がありました。これを裏店(うらだな)と呼びました。つまり表店と裏店がセットになっているのが一般的な長屋と呼ばれる建物の構造で、表店には八百屋、魚屋、瀬戸物、古着屋など江戸庶民の生活を支える様々な小店が軒を連ねていたそうです。

裏店の方は一般庶民が貸家人として家賃を払って住む形式でした。裏店には通りに面した木戸を開けて入るのが通例で、狭い路地の両側に小さな住宅がずらりと連なる構造になっていたそうです。

一つの棟は5〜10室ほどで、1室の広さは「九尺二間」。九尺の間口は約2.7メートル、二間の奥行きは約3.6メートルで、今なら六畳一間のワンルームの様なものでした。二間や三間などの広い間取りもありましたが親子三人や五人暮らしという家族もいたので総じて狭いものでした。家賃は今の金額で16,000円と安く、急増する江戸の人口の受け皿になっていました。


多彩な職業人が集まる空間

長屋には実に多彩な職業の人々が集まったそうです。

魚屋や野菜の行商人、大工、左官などの職人、牛車引き、日雇い人夫、夜商い、浪人、紙屑街などのリサイクル業者、手紙の運び屋、三味線や長唄などの芸事の師匠、さらには町医者や按摩といった医療関係者もいれば、山伏の助手、儒者、易者などもいたそうです。


様々な行商人が行き交う便利な町

長屋の朝はいつも明け六つ(午前六時)に始まっていたそうです。時の鐘が鳴り、各家庭では早速朝食作りが始まります。江戸時代は一日分のご飯を朝まとめて炊いていましたが、このタイミングに合わせて豆腐売りや納豆売りなどの行商人が次々と表通りにやってきたそうです。

行商の威勢の良い声が町を起こす様に響き渡り、魚売り、惣菜売り、野菜売りなど様々な行商人が行き交っていたそうです。これが日常的な長屋の朝の風景でした。冷蔵庫の様なものはありませんでしたが、毎朝新鮮な食材が手に入る環境があった為、必要がなかったとみた方が良さそうです。

朝食が終わると父親は仕事、子供は寺子屋などに出かけ、女房たちは洗濯物を持って洗い場に集まり井戸端会議。長屋の住人は朝の洗面に始まって、食事の支度、洗濯とその度に顔を合わせる必要があり、何かしら声を掛け合い、お喋りをしながら情報交換を行なうのが日常だったのでしょう。

長屋2

昼になれば寺子屋にいっていた子供が昼食を食べに帰ってくるのが通例で、料理などを作り過ぎた場合などは隣人と分け合うといったことが日常的に行われていたそうです。長屋の住民は困った時はお互い様精神で助け合いながら生きていたことが伺えます。


行商人の売り物の種類

通りでは様々な行商人が朝から晩まで巡回していたそうです。朝一番にやってくる納豆や豆腐の行商人に始まり、米、味噌、漬物、さらには塩や醤油などの調味料売りもいたそうです。

子供たちに人気だったのが、飴や大福餅を売るお菓子の行商人でしたし、初夏になると初鰹を運んでくる魚売りが人気でした。初物を食べると寿命が75日延びるというので初鰹は大人気でみんなが競って買い求めたといいます。

長屋

食べ物の他にも、竹竿売り、シャボン玉売り、化粧品を背負ってやってくる女性の物売り、草履売り、薬売り、金魚売り、植木売り、夏はうちわ売り、さらには様々なリサイクル関連や貸本屋など、多種多様なサービスの行商人がいたそうです。京都や大坂の街でも同様の風景が見られたそうです。


長屋のイベント

長屋の住民が力を合わせてやる年に一度のイベントといえば「井戸替え」というものがありました。

毎年7月7日になると、長屋の住人は大屋の陣頭指揮のもとで井戸の大掃除を行いました。中の水を全部汲み出して井戸の中を洗い、作業が終わるとお神酒や塩を供えたようです。


人口密度が生んだクリエイティブ

江戸時代には人間関係の人間を『ジンカン』と言っていたそうです。さらに、その人と人との間を澄んだ関係に保つことをとても大切にしていたそうです。江戸時代に生まれた人間関係を良好い保つためのスキル『江戸しぐさ』もそうした精神から自然発生したものかもしれません。

例えばよく知られる江戸しぐさに「こぶし腰浮かせ」というのがありますが、これは集合船で後から乗ってきた客のためにこぶし一つ分腰を浮かせ、幅を詰めて席をあげる仕草のことです。こうすれば見知らぬ人と一瞬ですれ違う時間が快適になります。

「行き先を聞かない」という江戸しぐさありました。出かける人にお出かけですかと聞いても行き先までは聞きませんでした。距離をおくべきところはおくというのが人間関係に置いて重要な要素だということを経験則から導き出していたのかもしれません。

「三脱の教え」という初対面の人に年齢、職業、地位を聞かないという教えもありました。江戸時代には身分制度が敷かれていましたが、日常の人付き合いについてはむしろ対等な付き合いが当たり前と考えられていた様です。

この様に快適な人間関係を築く上でのスキルとして多くの勘所が江戸しぐさとして纏められています。こうした体系化したスキルとして纏めるためには圧倒的な場数や経験が必要になると思うのですが、それを可能にしたのが長屋という人口密度だったのかもしれません。

嫌でも毎日多くの人々と顔を合わせ、話をしなければならないという縛りが結果として人間関係を円滑にするスキルというアウトプットを生んだと考えると自然な感じがします。

ここから学べる点として、縛りや制約というものは使い方によってクリエイティブを促進するという点です。この辺り、組織作りの大切なヒントが詰まっていそうなので、深掘りするとともにこうした長屋の暮らしが生んだクリエイティブの例を探していきたいと思います。


今後このテーマで深掘りしていく点

・長屋の暮らしが生んだ文化やクリエイティブの例を探していきたいと思います。


今日はこの辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?