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【完全解説】コロナと9月入学

まずはじめに、このタイミングで「グローバルスタンダードにするために」9月入学を推奨している人たちに言いたい。

「9月入学でグローバルスタンダードにする前に、思考をグローバルスタンダードにしましょう」

今、9月入学を推進しようとしている人たちの議論を追っているが、とても短絡的で思考が浅い、グローバルスタンダードとは程遠い主張に感じる

実は、私は海外進学をサポートするオンラインの塾 Crimson Education Japan を経営しているし、オンラインのインターナショナルスクール Crimson Global Academy を展開している。自分のビジネスの領域の事だけ考えれば9月入学は大いに賛成である。しかし、システム全体の事を考えたり、教育効果、優先すべき教育への労力と財政的投資対効果を考えれば大いに反対である。

もう10年前の話になるが、ハーバード大学の教育大学院にいる時に「9月入学・学校年度開始」についてリサーチしたことがあり、その当時のリサーチを引き出しながら、私の9月入学反対の理由を書きたいと思う。

もともと日本は9月入学だった

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江戸時代、寺子屋や藩校が学びの場所だったころ、学びたい人は基本的にいつでも学び始められる時代だった。明治時代に入ると、西洋の教育制度にならって学制を導入するようになり、ドイツやイギリスの影響を強く受けた高等教育機関(大学)は9月入学だった。

西洋文化の影響や大学等の高等教育機関の9月入学だったこともあり、1886年に小学校令と中学校令が発令された明治初期からしばらくは、学校は9月入学だったのである。

しかし、当時の財政状況が悪化(軍事費の増大、翌年の酒造税の前倒し繰入)に伴い、厳しい財政状況だった政府はどうにか収支バランスを整える帳尻合わせる必要があった。また、当時の政府の税金収入源は農家の米だった。お米は秋に収穫するわけだが、収穫した米を現金化し納税するためには半年ほどは必要という現実的な話もあった。

つまり、財政的な事情と納税オペレーション事情が重なり、7月ー6月だった会計年度を4月ー3月に変更せざるを得なかったのだ。当時の世界の中心だったイギリスも4月-3月の会計年度を適応しており、自然な流れだったのだと考えられる。

ただ、会計年度が変わったからと言って、学年開始年度や入学年度を変える必要もなかったはずである。というのは上に書いたように、イギリスは会計年度は4月-3月だが、学年開始月は9月なのだ。それは昔も今も変わらない。当時、イギリスやヨーロッパ諸国では子ども達も農作物の収穫を手伝ったり、農作業で忙しい親のサポートをするために子守りや家事を手伝っていた。政府としてはなるべく多くの生徒を通わせたいという思いもあり、9月を学年の開始月にしたのだ

となると、なぜ日本は学年まで4月開始に変更したのか?実は徴兵令の改正が大きく影響しているのだ。1886年に9月1日だった徴兵対象者の届け出期日が4月1日に変更されたのだ。

当日の教員養成機関だった高等師範学校(今の筑波大学)が優秀な人財を陸軍にとられることを恐れ、4月入学制を採用し、そこから小中高と自然と続くことになる。

1890年頃から実に議論を重ねて10年後の1901年に中学校が、1919年に高校が4月入学となり、最終的に2年後の1921年に大学も4月入学になった。

議論が始まってから考えると、実に30年以上かけて移行させていることになる。ちなみに、途中の移行期間や中高大の接続をどうしていたのか、大学院で文献を読み漁っていた当時は関連情報を見つけることができなかったが、想像するに、当時は何事も右向け右!前ならえ!!とパワープレーで押し通せたと思うし、そこまで説明・納得させる必要のあるステークホルダーはいなかったと思う。

いずれにしろ、当時の4月入学への移行も「大人の都合」の移行、という事がわかる。どう考えても「子ども達の学びを何よりも優先して」考えた教育施策とは考えにくい。

9月入学論争の歴史

9月入学の議論は、これまで1987年の臨時教育審議会の第四次答申、1997年の中央教育審議会の答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」、1998年の大学審議会の答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」、2000年の教育改革国民会議の報告「教育を変える17の提案」、2007年の教育再生会議の「第二次報告」経済財政諮問会議の「経済財政改革の基本方針2007」でも提言されてきた。2013年には東京大学の濱田総長も「よりグローバルに、よりタフに」でも秋入学論を展開して世間を賑わせた。

はい、ナイストライ!

これだけ幾度とトライしてきて、実現しない9月入学制度。実現しないのには理由がある。それはメリットを上回るコストがあまりにも大きいからである。(上記で述べた徴兵制や財政危機のような)外的要因によって教育制度そのものを変更する時代でもないし、明治時代のようにパワープレーで物事を進められる時代ではない。国民の合意を得る必要があるし、当時よりもステークホルダーの数が次元が違うくらいに多く、複雑に入り組んでいる。全くナンセンスな政策であり、より緊急性や重要性が高い教育施策の議論にお金と労力をかけるべきだと強く主張したい

そして!!何よりも忘れてはならないのは、この9月入学論争の歴史を振り返っても、小学校・中学校・高校の9月入学については、ほとんど議論されていない。つまり、大学の9月入学移行だけでもこれだけ大変なのに、小中高を実現するために十二分な議論がなされていない上、それを実現するキャパシティがあるように思えない

それでも何故、9月入学信者がいるのか?それはデメリットやコストを全く考えずにメリットの部分しか頭になく、これまでの議論に目を通さず、「コロナのピンチをチャンスに」的な本当に迷惑な思考しかないからである。

それでは、そのメリットとデメリット(コスト)は一体何なのか?整理したいと思う。

9月入学のデメリット

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デメリットを上げたらきりがないが、代表的なものをここで紹介しておきたい。

■待機児童の急増
もし仮に小学校までも9月入学とすると、小学校に入学予定の児童100万人が幼稚園や保育園に通い続けなければいけない。ただでさえ待機児童問題が解消していないのに、これ、本当にやりますか?少しずつ女性活躍を支援する体制/文化が醸成されはじめているとはいえ、全くあるべき姿からほど遠い状態の中、ここでさらに待機児童問題を助長する施策を打ち出すべきではない。また、この移行期間中、シングルや共働きの家庭など4月入学の状態でも支援が十分でない家庭は状況が悪化し、経済的にも生活的にも立ち行かなくなる可能性が非常に高い

■幼児教育との接続への影響
様々な研究の中で幼児教育が子どもたちの発育に与える影響が論じられている。幼稚園教育の内容は学習指導要領で定められているが、もし9月入学を検討する場合は、子どもたちの発育に適応して幼児期の発達や年齢に応じたものに見直す必要がある。

ここの検証やカリキュラム開発が進まないまま、幼稚園や保育園がただ単に子ども達を半年「預かる」期間を延ばしただけでは、子どもたちの発育に対して影響がある事が想像できる。ましてや、日本は教育に関するエビデンスが少ない国である。十分な検証を経ずに、一部の教育評論家や思想家の感覚的意思決定になる可能性が高い。それは自分の子どもにやっておいてくれ。システム全体を巻き込むな。

保育園の場合は、待機児童問題と同じ論点だが、今よりも半年分長く子どもたちを預かることになるので、その体制整備や予算確保も考えなければいけない。本当にコレやりますか?

■学校運営の危機・これまでの学校行事の見直し
公立学校や財政的に潤っている私立大学・学校法人は良いかもしれないが、多くの学校はそんなに余裕があるわけではない。9月入学になると、一時的にキャッシュフローに影響が出る。おそらく、国から学校への補償も検討されるだろうが、そんな無駄なお金使いますか?そもそもここのリターンって何ですか?

さらに、9月学年度開始となると、学校行事とか部活動に影響が想定される。今までは高校三年生の夏の総体・インカレ・甲子園で引退し、そこから就職活動や受験勉強に切り替えていく子どもたちが多かった。それが9月が学年度の切り替え月になると、すべての夏開催の競技は高校二年生大会で終わりにするのかな?それとも「本人の自主性」に任せ、卒業間際まで頑張らせるのかな?ここもいろいろ問題が出てきそうです。

小学校とかだと、飼育栽培・体験学習・そのほかの年間行事と授業計画が連動していたが、コレ本当に組み直す?指導計画の組み直しにとどまらず、学校教育法の改正、各自治体の条例・規則・通達の変更やシステムの改定もしないとですね。本当にやりますか?

■移行コスト
当時、臨教審の答申では

移行年から5年間にわたり9月に13月分の児童を入学させ、5年後に小学校での移行を完了させる。
初等中等教育=1兆3541億円(国庫負担分5451億円)、高等教育2898億円(国庫負担分2629億円)、合計1兆6439億円(国庫負担分8080億円)

と算出しています。また、2020年5月15日の日本経済新聞の記事によると、

新型コロナウイルス感染拡大による休校長期化で検討が進む「9月入学」を導入した場合、学習期間が延びた5カ月間の追加負担が、小中高校生の家庭分の総額で計2兆5千億円になるとの試算を明らかにした。大学などの高等教育段階では計1兆4千億円。小学校から大学などまでで計3兆9千億円となる。

つまり、移行コストと半年延ばすことによるコストを合算すると5兆5000億円の試算となる。おいおいおいおい。いい加減にしてくれ。そもそも先に投資すべき領域や体制を整備すべき教育施策があるだろう。

ここからわかるように、9月入学を実施することは社会全体の仕組みに影響を与え、かつ膨大な人的・財的コストをかけることになる

9月入学のメリット(+それに対する私の見解)

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■教育をグローバルスタンダードへ
欧米諸国海外では9月入学が多く、日本も9月入学にすることで国際標準に近づくという考え。日本も同様の9月入学年度になることにより、海外の学校への接続がしやすくなり、日本人が海外に留学しやすくなったり、国外からの留学が日本で学びやすくなる。現在、アメリカ、イギリス、ヨーロッパ諸国、中国等は9月入学だ。これらの国の大学とスムーズに接続することを考えると確かに9月入学は良さそうだ。

はい。

まず第一に、そもそも100以上の大学が4月以外の入学受け入れをしているので、9月入学をやりたい大学はできるようになっている。何も一斉に変えなくても9月入学は実現できるし、留学生や帰国子女の受け入れは可能なのだ。そもそも留学を検討している学生の比率は極めて低いわけで、そんなニッチな人たちを対象にシステム全体を変えるなんて、本当にやめてほしい。

第二に、9月入学にしたところで大してグローバルスタンダードには近づかないと思う。当然の事ながら、グローバルスタンダードって9月入学を実施しているかどうかの話ではない。たとえば、QS World University Ranking が出しているランキングの大学の評価基準はコチラ

1. Academic Reputation
2. Employer Reputation
3. Faculty/Student Ratio
4. Citations per faculty
5. International Faculty Ratio
6. International Student Ratio

つまり、グローバルスタンダードの教育とは学年度がいつ始まるかではなく、「教育の質」が何よりも大切になってくる。もちろんここでの9月入学論は、「年度を変える事でより多様性が担保され、質が上がる」という観点なんだと思うが、学年度の変更の前に教育の質を高める為にやるべきことはたくさんある。もっと教員がAcademic Reputation を高める必要があるし、指導の質も高める必要がある。生徒先生比率を考え直す必要があるし、自分の研究をグローバルに発信していかなければいけない。

9月入学にすることがグローバルスタンダードにするために根本的ソリューションだと考えているうちは一生グローバルスタンダードに近づくことはないだろう。

第三に、現行の4月入学3月卒業だと留学を希望している学生にギャップタームが発生してしまう問題がありますが、海外進学を支援するスペシャリストとしての見解を述べると、ギャップタームがあった方が教育効果が高いと思っている。日本やアジアの学生はそもそも欧米の生徒と比較すると幼い傾向がある。高校の段階から、課外活動の機会や自由闊達な議論をする環境が欧米と比較すると整っていない。

この状態でそのまま進学するより、ギャップタームを大いに活用した方が良いと思う。日本から海外進学をする学生はこの期間にインターンをしたり、研究活動に携わったり、アルバイトしたり、旅行をして豊かな時間を過ごしてから大学に入った方が良いと思う。また5か月のギャップタームがあると言うが、そもそもアメリカの高校生も三年生は5月中旬ごろに終了するので、そういう意味では日本の高校三年生の卒業時期と2か月くらいのギャップしかないのでギャップはミニマムである。

■冬の入試を避けることができる
冬はインフルエンザが流行したり、雪で公共交通機関が止まることがある。そうすると冬に入試を実施していると影響が出る可能性がある。9月入学にすることによって、夏に入試を開催することができ、混乱を避けることができる。

はい。

そもそも、これまでそんなに入試が中止になりましたっけ?延期になって再試験することはあったと記憶していますが、毎年おきる出来事でもない。温暖化も進むし、インフルエンザも治療法が進んでいる。ましてや今回のコロナで分かった事は、年中入試が延期になる可能性がある。もし、日本が元々9月入学であれば、今年の入試試験は全部中止となり、大混乱だっただろう日本の入試の問題点は入試が冬に行われている事ではない。入試の基準が「テストの点数」であることが一般的なので、同じ時期、同じ会場で受けないと公平性が担保されないことにある

アメリカの場合は基準は複雑で、SAT・SAT科目・ACT・課外活動・Common Application (統一出願システム)に提出するエッセイと推薦状と構成されている。SATは年間複数回受験できるし、たとえコロナの状況によりSATが受験できなくても、他の基準で学生を評価することができる。現に今年多くの大学がSATやSAT科目試験などを不要とすることを発表している。もちろんアメリカの入試は混乱はしているが、少なくても日本よりも柔軟に対応できている。9月入学を検討する前に、選考基準や柔軟に対応できるよう、入試制度の抜本的な改革をお願いしたい。その方がよっぽどグローバルスタンダードに近づくことができる。

9月入学より優先すべき教育施策は山積み

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ということで9月入学はそもそも大学がやりたければやればいいし、小中高も巻き込むことになると国家プロジェクトになることを理解した方が良い。そんな事に時間・労力・お金・優秀な官僚や有識者の知恵を使うより、もっと先に対応すべきことをしっかりと対応して頂く事を強く望む

その上で、9月入学を検討する前に早急に対応した方が良いと思う課題について述べて終わりにしたい。

■教育の遅れを取り戻す・教育格差への対応
学校が休学することによって、学力格差は間違いなく広がっている。オンライン教育はもともと格差是正に期待されていたが、インフラが整っていない中で実行せざるを得ないので、結果的に格差を広げる事になってしまっている。具体的には:

①自治体間格差・学校間格差:自治体格差(ICT環境が市全体で整っているかそうでないか。平時からICT活用していたか否か)

②学級格差(教員間)のデジタル・ITリテラシー格差:今年配置された新任の先生は有事の対応の研修を行っていないし、学級経験が浅く、対応できない。学級開きを経験できていない(学級開きは、学級コントロールをする際に一番のカギとなる)。また上記同様、平時よりICTを駆使して教育している先生とそうでない先生の対応力に大きな差が生まれてしまっている。

③家庭環境格差:WiFiやICT環境が整っていない家庭は全くアクセスがない状態が続いている。

この期間にオンラインで学ぶことができる生徒はどんどん学習が進み、そうでない生徒は学びが完全に止まり、基本的人権が侵害されていると指摘する人もいる。GIGAスクール構想などでロードマップは明らかになっている。9月入学なんて無駄な議論をしていないで、オンライン教育のインフラ整備に全力を注いてほしい。今の状態で9月入学を実現したところで格差が開きまくっている状態でのリスタートになるので、学校現場が対応にさらに忙殺されてしまうことが目に見えている。

■オンライン教育コンテンツの開発
9月入学移行に6兆円規模のお金を使うのではなく、オンライン教材やコンテンツの開発に投資をした方が十二分に教育効果が望める。今のオンラインコンテンツはひどい有様だ。学校の先生方が一生懸命頑張ってらっしゃることには敬意を表しますが、コンテンツの質的にひどい状況なので、てこ入れが必要である。すでに民間が開発しているコンテンツの活用に投資しても良いと思う。

またオンライン教育コンテンツの拡充は学習の遅れを取り戻すにも効果が望める。今は学校が提供している学習コンテンツがひどいので(発展途上)、学校で学ぶ事より教育効果が低下しているが、本来であればオンライン教育で個別最適化された学習コンテンツを開発することができれば、教育格差も是正できるし、家庭での学習効果も高まる。

今後、いつコロナのような状況になるかわからない。また同様な事が起こっても、しっかりと対応できるようにオンライン教育のハード面とソフト面に投資を集中した方が中長期的な教育効果が高い。

■教育カリキュラムに刷新
現行の教育システムにおいて、同じ学年に学習が進んでいる子や少し遅れている子が混在している事は明らかである。そもそも学びの適正は一人一人の子どもによって違いがある。それを全員一緒のカリキュラムで教える画一的な工業化教育はとっくに限界が来ている。ちなみに、工業化時代における工業化教育とは:

工業化社会で求められていた人財:これまでは、頑張って高い点数をテストでとれば、より偏差値が高い大学に行けたし、その先の就職や雇用が保障されていた。ただし、今はその学位そのものが何も保障していない。

工業化教育の在り方:学校って、冷静に考えると、工場のような感じ。チャイムで動く、移動する、年齢で区別される(これは一番意味不明。生徒の学び方や学ぶスピード、特性が全然違う・マルチプルインテリジェンス)

9月入学を検討する前にこれをまず見直した方が良い。今のコロナ禍でも学習の遅れや格差が問題になっている。(質の高いオンライン教育コンテンツ開発や投資が行われる事を前提に)オンライン教育が普及すれば、一人一人の学びの進捗に合わせて個別最適化された学習が可能になる。

画一的に教育をするのではなく、学習進度が早い子はどんどん学びを進め、遅れている子どもも自分のペースで学べるようになった方が子どもたちにとっても、教える先生にとっても良いはずである。飛び級だって、学び直しだってあっても良い。

理論上のオンライン教育が現実となれば、これまで学校の中で行われていた非効率的に知識習得型の学習は1/3の時間で済み、6割の時間を感性や直観を育む教育やコミュニケーションや協働する力を育む Project Based Learning に時間が使えるようになるだろう。

(おまけ)ベーシックインカムの実現が教育を抜本的に変える

私はベーシックインカムが実現すれば、より時代にあった教育カリキュラムの開発が進むと思っている。世界の人口が100億人に近づくにつれ、日本の人口は8000万人に近づき、高齢化率も40%を突破する。GDP、企業の時価総額ランキング、他国に後れを取っている現状からすると非常に厳しい状況であることが数字を見ればわかる。

ただ、全員が全員この状況を打破し日本をけん引人財になる必要はない。もちろん、起業家やグローバルリーダーになりたい人に対しては、そのための教育を提供するメカニズムがあって良いと思う。

ただ、AI社会を迎えることを考えると全員がそんなスーパーな人になる必要はない

AI社会の人財の在り方:人との繋がりの作り方(信頼関係の情勢・多様性の尊重・コミュニケーション能力・コラボ)やアート・クリエイティビティが特に重要になってくる。 好きなことを徹底的に探究する時代。

AI社会における教育の在り方:AI時代を生きる感性を育む。データや科学、工学、先端技術などを活用しながら課題解決に取り組むSTEAM型のプロジェクト学習。

仮にベーシックインカムが実現すると、今の学習指導要領で定めている内容が大きく刷新しなければいけなくなるはずである。これまでは工業化社会の延長で今の学習指導要領が創りあげられている。時代に合わせて、足して足して足して、究極的な詰め込みを子どもたちは強いられており、苦しんでいる子どもたちが多くいる。AI社会を想定すると、抜本的に見直す必要がある。付け足し補強ではなく、スクラップ・アンド・ビルドだ。現行の詰め込む内容(知識)は4割減らす事ができると思う。その空いた時間で好きを徹底的に探究する教育を模索してはどうだろうか?

現にN高Crimson Global Academyはここにチャレンジしている。

最後に

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9月入学がこれほどまでに関心が高く議論されることはとても素晴らしいことである。前回の東京大学の秋入学以上に注目が集まっている。

普段、これほど注目が集まらない「教育論」に注目が集まっているわけなので、表面的な風邪薬処方治療の教育施策ではなく、本質的な免疫アップにつながる教育施策の議論と実行を強く望む。

明治時代のように、大人の都合だけで教育システムを考えるのは絶対にやってはいけない。今必要なのは子どもたちを中心に考えた教育システムの再構築である。

冒頭の話に戻るが、意外と時代を生き抜く人財育成のカギは明治時代の教育にあると思う。

明治時代では、師匠は弟子一人一人の個性と能力に応じた個別教授をしていた。この場合、学年や学期を定め、入学時期を固定する必要はなく、学習者は、入りたい時に入り、出たい時に出るという、いわば随意入学と随意退学だった。

僕が思い描いている教育はこんな感じ。そこにテクノロジーが加わっただけ。

プログラミング教育、ディベート教育、英語教育と〇〇教育と銘打って、いろいろと学校に詰め込みすぎた。おかずが少しずつ入っている幕の内弁当のようだ。今まで学習指導要領は、何か新しくおかず(カリキュラム)を入れた分、おかずを減らすことをしてこなかった。少量ずつ入っている弁当箱なんて、なんも印象に残らん。

早くこの幕の内弁当化された教育から脱却し、時代が変われど変わらない価値や本質的な教育の在り方を追求するタイミングだと思う。

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