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何が息子を「男の子」らしくしたのか

「男の子? 女の子?」

妊娠をすると、友人や家族•親戚はもちろん、取引先、電車で隣り合わせになった女性まで、あらゆる人がこう聞いてくる。

妊娠6ヵ月のエコー検査で「立派なちんちんが見えました。男の子です」と産婦人科医が男の子宣言をした瞬間に我が子の生物学的な性別は確定した。

「男の子」と明確な答えを返せるようになってからは、聞いた人は安心したような顔でうなずき、間をあけずにコメントをくれる。

男の子は手がかかるからママが大変よ〜
これでプレゼントする服が選べるわ
男の子だから胎動が激しいでしょ?

生まれてきた赤子の顔を見ると、確かに男の子であった。股間に目を向けると小さなちんちんが妙な存在感を放っている。

我が子は生物学的には男だ。でも、ジェンダー的にはいつ男の子になるの? それともジェンダーは女の子かも? いや、そのどっちでもないかもしれない。

「男の子」と「女の子」の区分け

以前から友人の子どもを見て、なぜ男の子はきまってミニカーや電車のおもちゃを持ち、駅で電車が発着するだけであんなに興奮するのか、一方で女の子は、ママに髪をセットしてもらいアナ雪風のドレスを見にまとい笑顔になるのか不思議だった。いつどのように男の子は「男の子」に、女の子は「女の子」になるんだろう。

そんな興味があったのと、我が子に「男の子」のジェンダーを押しつけたくないという思いがあり、わたしは子どもが生まれて以来、ジェンダーに関しては中立を保とうと努めてきた。

例えば服。わたしが自らの手で選んだ服の色はピンク、青、黄色、緑、紺など、色に偏りがなく、柄は◯や△などの図形がちりばめられたものや、動物が多い。対して、両親や友人からいただいた服は、ほとんどが青で、その大半に車、新幹線、恐竜がプリントされていた。たまに動物柄をいただくこともあったが、その動物はライオンなど捕食動物だ(トップ画像の上段のTシャツはわたしが購入したもの、下段はプレゼントとしていただいたものだ)。

百貨店の子ども服売り場に足を踏み入れると、こっちの棚が女の子の服で、あっちのラックが男の子の服というのが一瞬で分かる。女の子の棚にはピンクや白ベースに小花柄やリボンモチーフの服が目立ち、男の子の棚には鮮やかな青色に自動車や新幹線、そして恐竜のプリント柄が並ぶ。

我が子が「男の子」らしくなったのは1歳前後だろうか。ちょうど「おかあさんといっしょ」を見始め、保育園に通い始めた頃だ。お散歩に行って都電を見かけると「あ、あ、あー」と言ってベビーカーの上で足をバタバタさせて興奮した様子を見せる。大塚の駅近くには山手線と都電荒川線が走っているのを一度に見られる広場がある。よくそこまで足をのばしてベビーカーを止めて10分も20分も一緒に電車を眺めたものだ。

保育園の先生からは「車遊びが好きで〜」「電車が好きで動かしていますよ」と報告を受けた。

女の子が電車遊びはダメなの?

面白いのは先生が「男の子」らしい遊びをする男の子は普通の子と認めているのに、同じ組のある女の子が電車ばかりで遊んでいたところ、保護者に注意が入ったことだ。

その女の子は家でお兄ちゃんのおもちゃを使って遊んでいたから保育園でもその通りにしていたらしいが、「女の子」らしからぬ姿を見て先生が放っとかなかったというわけ。

◯◯ちゃんに合ったおもちゃを見つけてあげてください

◯◯ちゃんに合ったおもちゃとは何だろうか。放っておいても◯◯ちゃんが決めるのではないだろうか。

さらに面白いのが、その先生は我が子がおままごとで率先してお料理をすることは受け入れて、むしろ喜ばしいことだと報告してくることだ。

保育園にお迎えに行くと、いっちょまえに三角巾を頭につけてエプロンを腰に巻き、おもちゃの台所で何かこしらえている息子を見ることが何回かあった。

先生は嬉々として「お母さんが毎日ご飯を作ってくれるのをマネしているんですね〜」と言う。

その先生はワーママだ。今どき男の子も料理しなきゃやってらんないよという気持ちがよく表れている。そこだけ進むジェンダーレス

我が子が「男の子」になる

話を戻そう。息子は今3歳になったばかり。3歳の誕生日の装飾は恐竜のバルーンで、ケーキに恐竜のPOPを飾った。つい数ヶ月前までは恐竜のオブジェを見て泣いていた子が、恐竜のDVDを毎日欠かさず見て、寝かしつけの絵本の代わりに恐竜図鑑を読むほどになっている。

他にも好きなのは、救急車、消防車(ハシゴがついていればもっと興奮する)、作業車。バイキンマン。ピタゴラスイッチに見られるようなしかけ、機械的なもの。「ママはトリケラトプス、◯◯(息子の名前)はティラノザウルス」といって本気で食いついてくる。

そう、息子は「男の子」になった。これから変わることがあるかもしれないが、今のところは実に「男の子」らしい「男の子」として過ごしている。

何が我が子を「男の子」にしたのか。保育園か、テレビか。いや、わたしだ

彼が都電に目を奪われたと分かった瞬間、心のなかで「きたきた!」と軽い興奮を覚え、お散歩は都電が見えるコースに変えた。

その次は電車が見える場所に。今度は「いや、電車よりもかっこいいものを見せてあげよう」と新幹線が複数見える東京駅に。わざわざ出かけて一緒に発着を見守った。

そういえば。わたしの実家で掘り起こされた築30年のシルバニアファミリー(=わたしのお古)に興味を持ったとき、2, 3日一緒に遊んだっけ。窓枠が外れた年期の入った家だし、家具はテーブルしかないし、ウサギ2体だけしか発掘されなかったけど、息子は喜んで遊んだ。しかしすぐに飽きてトーマスを家の中に入れ始めた。ああ、やっぱりシルバニアファミリーには興味がないのね。わたしはそこで新しいウサギや家具を買って息子の興味をひくことはしなかった。

「男の子」「女の子」のジェンダー観に支配されているのはわたし自身だ。いくら中立でいようとしたって、無意識的に反応してしまっていたのだ。一説によると、「男の子」=青、「女の子」=ピンクというイメージは1940年代に商業目的で規定されただけで歴史は浅いらしい。むしろピンクは男らしさを強調するための色だった時代もあったとか。

わたしのなかに生きているジェンダー観なんて、たかがここ数十年のステレオタイプでしかない。自身が息子に影響を与えてしまったのに勝手だけれど、息子には、自分の色を見つけていってほしい。世間の意見を気にすることなく。わたしのことも気にせずに。








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