彼女の愛犬は長男になりうるか?

最近、長女を授かった彼女は、出産祝いにかけつけた私たち友人の前でこう言い切りました。「私の中では◯◯ちゃん(イヌの名前)が長男だから。まだ娘は2ヵ月だから◯◯ちゃんと過ごした時間のほうが長いわけで。今のところは◯◯ちゃんへの愛情のほうが勝っているから」。

その言葉を投げられ、ある友人は「ん?」と一瞬止まった様子。別の友人は、困惑しながらも「うんうん」と静かに頷き、自分の中で納得しようと努めているようでした。

私はというと「彼女のストレートな発言に少し驚きはしたものの、それが彼女の率直な気持ちなんだろう」と感じています。

私にとって、「2人息子」の次元は一緒だ

私にも息子が産まれる前から飼っている愛猫(オス)がいます。わけありネコちゃんで、元飼い主から捨てられ、野良猫も経験し、保健所にまで行き…しかし、寸前のところでご縁があって我が家に来てくれた大切な「息子」です。

とある方の「子育てエッセイ」の中で、作者の弟(最近子どもが産まれた)が友人に「イヌと娘、どっちがかわいい?」と聞かれ、その弟さんが「次元が違う、イラッとした」というエピソードが紹介されていました。

そのくだりを読んで「え? そんな次元違うっけ? 確かに人間の息子は私の身体から出てきて、ネコは出てきてないけど。『かわいい、愛する』の次元は同じだろう」とモヤモヤしたことがあります。

そのモヤモヤを抱えながら、毎日「2人の息子」の相手をし続けていた私。が、ある日、山﨑ナオコーラさんの『母ではなくて、親になる』を拝読したとき、「あ、これだ!」という文章に出会えました。

「私は犬を可愛がっているんですけど、赤ちゃんと犬は違いますよね、すいません、あはは」といったことをペットを飼っている人から言われることがあるが、違わないのではないか。ペットと赤ちゃんを分けて考える必要はない。(中略)人間でも動物でも、「どういう付き合いをするか」は、個人の感覚で行っていることで、他人が勝手に推察したり、一般的な考えを当てはめたりしてはいけないのだ。

そう。ペット含めて家族というのは、極めて個人的なつながり(=最小単位の社会)であり、そこに他人がどうこう首をつっこんで意見するものではない(もちろん虐待など、特殊な例を除いて)。私はそう思います。

この文章に出会ってからは、堂々と(!?)-「2人の息子を同次元で愛する。愛して愛して愛しまくる」。軽やかな気持ちで相手のことを深く想うことができるようになった気さえします。

彼女の「息子」と「娘」に祝辞を

話を元に戻しましょう。私の中で、彼女のイヌは「長男」で、産まれて来た女の子は「妹さん」です。

実は、彼女のこの話には、もう少し長い「文脈」があるのです。彼女は2度流産を経験しています。

「いつまで続くかわからない不妊治療は、とにかくお金がかかるし、大変。副作用でホルモンバランスが乱れて鬱々とした気分になるしさ」と。2度目の流産のあとに「もう諦めて、この子を大切に育てて行こう」と思い出会ったのが、まぎれもなく「長男」だったらしいのです。

その「文脈」を知れば、なおさら、「次元が違う」なんてことは言えません。先日、「長女」の出産祝いでかけつけたとき、じゃれる「長男君」とふと目が合って、「『長男』と『長女』も、みんな幸せに」とお祝いの言葉を送っておきました。











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