Box-tory #4

次回刊行までの間、弊社編集担当が場をつなぐべく連載する他愛もない箱庭ショート、Box-tory(ボックストーリー)。第四幕は今年最大のトピック、新型コロナウイルスについての断章。


Box-tory #4 Uncomfortable “With Corona” Era


いったい、どうしたらよいのか。
このフレーズが全世界の人類の脳裏に何度も何度も渦巻いたことだろう。
他の多くの人もそうだったかもしれないが、僕はとにかく居心地が悪かった。
未だに居心地が悪い。
新型コロナウイルスに感染するのが怖いのかといえば、それはもちろん怖いし、感染しないに越したことはない。
しかし、この居心地の悪さは感染への懸念とは違う。
コロナにかかるのが怖くて怖くて仕方なく、恐怖に打ち震えているのなら、感染回避のために全力を尽くせばよいわけで、居心地の悪さとは別の感情に支配されているだろう。
では、この居心地の悪さとは何なのか。

それは、冒頭に書いたように、なにが最善なのかわからないでいることが一つ。

シンプルに僕個人が単独でどうするかを考えると簡単だ。
僕はおそらく最後の最後まで普通に満員電車で定時通勤していたグループだ。防ぎようのないウイルスなどで日常習慣を変える必要などないと思っていた。
これはブラジルやスウェーデンの国策と方針としては近いのだろう。新種のウイルスがグローバル社会で拡散することは止められないものであり、局地的にパンデミックを起こしながら淘汰され、最終的には人類に適応した致死率が比較的低いウイルス変異株のみが流通するという、歴史的に繰り返されてきた一連のウイルス頒布過程である。
その過程で僕は死ぬかもしれないし、死なないかもしれないが、まあ、死亡率を見ればおそらく生活リズムを変えることで高まる死亡率を懸念する方が正解だろう。

しかし僕は、このシンプルな行動指針を最後まで維持することはなかった。
緊急事態宣言前にはテレワークを開始していたのだ。
それはなぜか。
同居する家族がいたからである。

同居家族がいると何が違うか。
自分が感染するかどうかは自己責任だ。しかし、自分が感染してしまえば、ほぼ確実に家族にうつしてしまうだろう。これは避けたい。これが僕の結論だった。

この結論からの敷衍で、事態は曖昧になっていく。

家族にうつしたくない、それだけなんだとなれば独善的に過ぎる。これはつまり、一般的には他者にうつして迷惑をかけたくないということだ。
そうなると、僕の当初の行動指針は正しいと言えたのだろうか。
いや、今考えても正しい気がする。僕は普段通りに生活しただろう。不急不要の外出自粛が連呼された週末、僕は普段通りに家で過ごしていた。正直、もともとインドア派で週末と言ってもたいして出かけない僕にとっては、自粛もなにも普段通りなのだ。映画館や劇場にもめったに行かないし、大人数で飲みに行くなんて、そもそも嫌だ。
しかし、「他者にうつして迷惑をかけたくない」という観点から、通常を越えた防止策を取らざるをえなかった。マスクもそうだ。自宅から会社に着くまで、一言も話さないし、電車内でもほとんど会話を耳にしない。仕事もほとんどPCに向かってするのなら、マスクなんてしていても意味はないが、やはり装着して外出する。建物に入ったらアルコール消毒やら、レジ前の邪魔くさいフィルムカーテンやら、果たしてどれくらい効果があるのかわからないものの、少なくとも尊重せざるを得ない。

居心地の悪い現状をまとめるとこうなる。

1) 個人的な行動規範が、ウイルスの媒介という観点で侵害された。
2) 置き換わるべき行動規範がはっきりしない。

この2)は、はっきり言って「マスクして、手洗いうがいをしっかりしなさい」程度のもので行動規範とも呼べない。にもかかわらず、自分の行動で他社に感染させるかもしれないという恐怖から、自分だけではなく、他者をも縛る内容になっている。例えばお年寄りがいる家庭なら、越県しての帰省を控えるなどだ。これはつまり、他者がウイルスを持っていると見なせということになる。

3) 他者がウイルスを持っている可能性を考慮して行動せよ。

あいつがスパイかもしれないと常に考えて言動を慎みなさい。
そう言われているのと同じなのかもしれない。
書き直してみると、

1) かつての行動規範はNG
2) たいして納得していないが、皆がこうしろ、という内容は無視できない
3) 他人を疑え

そして、この状況がいつまで続くかわからないとなれば、そりゃ居心地が悪いのももっともなことだ。
誰かわからない上級市民の叱責を受けるかもしれないとビクビクしながら、恐る恐る行動しているのと似ている。


新型コロナの感染拡大から数か月がたって、何一つ進展していないように見える現在、僕はそろそろ次のステップに移りたいと思う。
1)の行動規範は了解した。新しいやり方に慣れれば良いだけだし、現状、それほど大きな変更ではない。
問題は2)だ。もう、政府や自治体は首尾一貫しない提言はやめた方がよい。メディアも煽りすぎだ。政治家はルールの変更については適宜、政治力を発揮してまとめてほしいが、そうでなければ感染者数などもいちいち記者会見しなくてよい。ただもう最新情報を発表して、お気をつけくださいだけでよいのだ。自粛しろだの、夜の街がどうなのと指摘しなくてよろしい。そんなものは分析を見ればわかるし、自分で判断すればよい。一部の真面目な日本人は政治家の発信にいちいち反応しすぎるし、その薄弱な根拠でもって他人に当たりかねない。マスクをしていないからと攻撃的な態度を取る市民の発生など、まさに余計な行為で不幸な出来事でしかない。
で、僕の意見としては2)が薄まれば、3)も無意識層に沈んでいく。そうなれば、1)自分なりの判断でいつも通りの生活に戻れるのだ。1)として了解できれば、もう普段の自分に戻れる。

ということで、言動に影響力のある人物は、1)に還元できない言動をいい加減に慎むべきだ。でなければ2)曖昧な霧が人々の意識に広がり、3)闇が心を静かにむしばんでいく。

僕としてはもう新たに理解した1)で進むつもりだ。
しかし、それ以外を一顧だにしないとは言いつつ、残念ながら社会は僕だけのものではない。

やっぱり居心地の悪さは残るのだろうな。

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