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文章力より編集力が必要だけど、その前に国語力が必要なのかも知れない件

2022年11月30日にリリースされたChatGPTは、バージョンアップしたChatGPT4oになってから、かなり日本語の精度が高くなったと感じています。

驚くなかれ。相手に伝わる文章を操る編集者にとって、ChatGPTは、“とんでもなくはやく草稿をくれる相棒”です。私だけに限らず、周囲の編集者たちはうまくChatGPTとお付き合いしています。

だって、自分が描きたい内容の草稿を準備してもらうために「適切なプロンプト」を組めば、いままで1時間かかっていた時間が1/10になるんですから!

これは悲しいけれど、ウソのようなホントの話。

本音を言えば、わたしのような昭和の考え方が頭にこびりついて離れない人にとっては、ChatGPTなんて、まやかし、まぼろしであってくれたほうが、心のストレスはないんです。

でもね、人はやすきに流れる。
便利なものがあれば、便利な物を使ってしまう生き物なんです。

私はやすきに流れる人間です。ただし、ChatGPTを初めとする生成AIは、遣い手側で制御しないと、使える「草案」は出てこないわけで。そのため、「文章力より編集力が求められるようになった」と、周囲に話し始めていました。

生成AIに指示するときに、プロンプト文(指示文)が「アウトプットを想定して編集された内容」であれば、かなり精度の高い草稿を手にできます。作業効率1/10はウソではないんです。

でも、But、しかし。

「AIにまとめてもらった概要を元にして、原稿を書き直した」という原稿を縁あって読んだとき、生成AIを頼り切りにすることの弊害を検討することになりました。

一読して、以下の状態であることを把握できました。

1)誤字脱字が多い
2)1文単位で読んだときには理解できるが、1文が集まって段落になると、まったく理解できなくなる
3)主語が統一されていないため、誰が書いたか分からない

いずれの状態も、私が定義している編集力のうち、ChatGPTに任せることができる、レベル2にあたる「文章基礎力」と、「文章表現力」(一般的に文章力)にあたる箇所で不備が見受けられたわけです。

文章基礎力・・・文章を執筆する上での表現上のルールを知っているかどうかなど、基礎的なスキルと定義しています。正しい文法が用いられている文章、正しい表記ルールが用いられている文章などが該当します。明確な基準があるもので、文章の読みやすさ(可読性)と直結します

文章表現力・・・段落単位での文章の表現力です。読み手に対して文章の意味や意図を伝える力です。意味や意図が分かりやすい文章、読み手を共感させる文章などが該当します。

ChatGPTに概要をまとめてもらっていたら、レベル2の「文章基礎力」と「文章表現力」までの不備は起きません。たとえば、銀行で小銭をカウントしてもらって、不備が出ないのと同じレベルで、不備は起きないんです。

なので、考えられる状況を冷静に考えてみました。

A)ChatGPTが間違えた
B)ChatGPTがまとめた文章に手を入れる過程で、1)〜3)まで起きた

最初の分岐としては、この2パターンしか考えにくいので、B)で考えます。

となると、手を入れる過程で、

・誤字脱字を生じさせて、
・段落単位で意味が通らなくなる修正をして、
・主語を不統一にしたままにした

わけです。

ということは……。書き手に求められるものは、編集力だけではないのかも知れないのかも……と、私は深く迷走、いやはや瞑想するわけになったわけです。

もしかしたら、必要な物は「国語力」なのではないか??

国語力とは何か?

今まで国語力について考えたことがなく、情報の海の中をただようなことになったのでした。

(続く)

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