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観光、あるいは信仰と伝統について白熱するふたりの男

乗り込んだタクシーの空調が7月の暑さを打ち消すように、静かな呼吸をしていた。

告げた行き先へ向かう道中、運転手が独り呟くように「砂は風に舞いますからねぇ…」と言い、続けて「それにこの地はねぇ、火山灰が降り積もってできた隆起の上に、舞った砂が降るもんで、あの起伏が生まれるんですよ」と言葉を並べた。
 はあ…と頷きながらも次の言葉は出てこなかった。
「お客さん、観光ですか」
曖昧に返事をし、遠近法の果てのビル群を窓越し眺めていた。
平日の昼間ということもあり、人の数はさほど多くはないものの、まばらな人々のだいたいがおそらくはその土地の者ではない特有の挙動、つまり観光客のように見受けられた。
そのようなものを運転手は私にも感じ、そう尋ねたのであろう。おそらくは告げた行き先から推測したに違いない。
 運転手はまだ話し足りないようで、この地域にまつわる些細なこと、観光のことをあれこれと教えてくれた。「昨日まではねぇ、砂を固めて形作った彫刻展がありましてね、それも市が開催したイベントでして、いつもよりもたくさんの方がお見えになりましてね、この週末は…」
不意に運転手に反駁してやりたい衝動に駆られた。おそらくこの手の衝動には二種類ある。ひとつは均衡状態に一石投じることで、そのバランスが崩れる、その反応を知りたくなり行為に移る場合、もうひとつは知的なコンプレックスのはけ口としての反駁。相手に納得させることで得られる快感はいやらしいカタルシスになるのだろう…

「あの、運転手さん。あのね、こう言うのもなんなのですが、その、観光と言うのは…実は有って無いんじゃないかなと僕は思うんのですよ…」こんな言葉を返したことを、内心ではすでに悔いながらもわずかに面食らった運転手の次の言葉を待った。
「いやぁ、申し訳ありませんが、おっしゃられていることがいまいち飲み込ませんで…つまり、どう言うことですか、その、観光が有って無い…と言うのは…」
「観光と言うのは、街の大きな収入源でしょう、だから、新規とリピーターを獲得しなきゃならない。その為に、どんどん街を開発する訳だ。あるいは伝統を誇張した宣伝…」
「はぁそれで…」運転手は次の言葉を促して、そしてハンドルを左に切った。目の前のビル群が視界の端に追いやられ消えた。
「観光地は、昔は観光地ではなかった。そう、以前はあらゆる地上のどこにも観光地と言うものは存在していなかったと僕は思うのですよ。土地があり、自然があり、あるいは人工建築物があった、ただそれだけの場所だった。その地の民の生活の場だった。」
「それは今も同じじゃありませんか、その地の民衆が生活する場所と言うのは…」
「えぇそれはそうです。しかし、そこに他所の土地のものが寄り、その地のことが噂として広まっていくわけです。そこではじめて外部が意識されるようになり、生計の立て方が明らかに変わっていく、それも加速度的に。時代が変わったと言えばそれまでです。が、観光地というのは何をおいても観光が先行している。むしろ、自ら観光地と名乗りをあげることで街を観光化していき、そして観光ありきの都市開発を行う。先人の先人が築き上げたもの、あるいは自然信仰からきた物にあやかること、その過程には、外部のこと、つまり観光はみじんも意識されなかった。そして先人たちが伝統を守りつつ装飾を施していくのは、外部への意識の芽生え、必要以上に実態を大きく見せ始める…そう虚飾的に!そして当代の方々の御当地に対する行為と言うのは伝統こそあれど当時の信仰はもう消失、あるいは喪失してしまったんじゃないかと思う訳です。伝統、自然が利益をもたらし、守ってくれるのだから、それらを守ろう、と振舞いながら利用しているんではないかなと…」
タクシーは市街地を抜け、山のふもとに差し掛かったとき、この小さな山を越えればすぐですよと運転手は告げ、少し間をおき、話しを再開した。
「いや、待ってください、お客さん。ねぇ、お客さん。お客さんはこう言いたい訳だ、既に伝統行事などは形骸化している、けれど、それを誤魔化すために、無いものを有るように思い込ませる幻想的な観光事業が盛んなのだと…守るためでなく、見せるためにあるんだ、…違いますか。しかし、観光客に伝統行事や建築物、自然を見せれば、ある程度の収入があり、その収入でそれらを守ることが出来るんですよ。そう、これは確かにお客さんがさっき言われたとおりです。現代と言うのは時間の移ろいが加速度的に上がっているでしょう。その中で小さい地域が自力でやっていくのは酷なことですよ。その流れに乗り遅れたふりをしながら、流れに乗っている必要があるんですよ…もしくは堂々と流れに乗っちゃうか…」
「だが、伝統と信仰はまるで別のことじゃないですか…規模の大きさと信仰の度合いは比例しませんよ…」
赤信号。緩やかな減速、そして停止。
「そうですかねぇ…」バックミラー越しに視線がぶつかった。
「そうでしょう、信仰や自然への恐れがあり、それらを行為に移したのが儀式や行事じゃないですか。しかし、今では“伝統”と言う名前そのものに価値があるように思われている。伝統を信仰しているかのようだ、これでは本末転倒ではないですか…なにも私は伝統を批判するつもりはないですよ、もちろん、伝統、つまり伝承により生まれた芸術品、工芸品などは認めざるを得ないですからね。ただ、この現代文明の中で行われている伝統の多くは単なる時間の集積でしかないでしょう…信仰の消え失せた伝統など、底の抜けた桶で水を汲むようなもんじゃないですか…」
「お客さん、失礼ですが、あなたは少しばかり現実的過ぎて、理想主義的でいらっしゃいますねぇ…嘘も方便と言いますからねぇ、無論私としては伝統への固執が嘘だとは思いませんがね。確かに当初の信仰みたいなのは消失したかもしれませんが、それでも、自然や伝統と言うものはその地に生まれ暮らす者達のひとつの拠り所になっていると思いますよ。それで十分じゃありませんか…過去には過去の、今には今の、そんな暮らし方が一番合っている。人間は常に最先端の生活しかできないのですよ、望む、望まないは別として…今更、誰も後ろは振り向きやしませんよ…中身の知れた宝箱よりも、未知の木箱のほうが楽しみもあるじゃないですか…ねぇ…神様だって刷新される時代なんですよ…さて、そろそろ着きますよ。帰りはどうなさるんです?もし、お帰りの際もタクシーをご利用になるのであれば、この名刺にある、こちらの携帯電話の番号にかけてください。」
「あ、どうも…そう、帰りのことはまだ特に…」急に話しを打ち切られたことに、ちょっとした安堵と狼狽が入り混じり、受け取った名刺を指でさすりながら、目的地である広大な砂地をぼんやりと目で探し始めた。小さなため息が車内を満たす静かな空調と同化して消えていった。

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