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「追憶の航海」に追憶

本日BS12のよる7:00からの日曜アニメ劇場で「宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海」が放送されます。ヤマトが幾多の戦いをくぐり抜け、地球へ還るまでの物語として「2199」のシリーズを再構成した作品になります。「2199」シリーズではデザイン協力、メカニック作画協力、というクレジットでいろいろお手伝いをしていました。よろしくお願いいたします。

初見のかたは遊星爆弾が…という部分からではない始まりかたに、えっ途中から?と、驚かれるかもしれません。それでも、ヤマトでは一致団結して事に挑むというスタンスや沖田艦長の存在感の大きさ、それからメカニックの華が伝わる、なるほど冒頭にこれを持ってくるのはアリだなというエピソードなので、チャンネルはそのままでお願いできると幸いです。

「2199」を追憶するとき、いつも思い出されるのは制作スタジオXEBECのこと。当時は国分寺にスタジオがあって、打ち合わせに赴くのはだいたい午後2時以降。夜型での活動が圧倒的に多いスタッフのみなさまが活性化する時間帯だったのでしょう。駅の比較的しずかな口を出るとすぐに2階にイートインスペースのあるコンビニがあって、高校生たちが2階や店の前で放課後のなんてことない時間を過ごしていて。その姿を眺めながら駅前の道にくだってゆくのがとても好きでした。「2199」制作当時にみたあの子たちも、もう社会人になっているんだろうな。駅前の道をたどってゆくとチェーンの薬局があってその派手な看板をみるたびごとに、うわあこの街並みとの違和感…とか思っていた記憶があります。

打ち合わせが行われていたのは、棚や机で各ブロックを構成したフロアの奥のほうに、会議室としてつくられた空間。長い机があって上座にあたる場所の先に大きなモニターがあって。机の向こうには「ヤマト」関連の書籍がぎっしり並んだ本棚。そこから「全記録集」を取り出して、ここに出てるこれなんですけど、なんて話をすることもしばしばありました。出渕総監督とはデザインのことを、チーフメカニカルディレクターの西井正典さんとはメカニック作画の担当カットのことをその場所で話していました。「2199」のデザインやメカニック作画の話で書いているのは、だいたいそこで話していたことで。書いているときはいつも、出渕総監督のニット帽的なものをかぶった姿や西井さんのシャツ姿が心のスクリーンに映し出されていました。その長い机では、出渕総監督をはじめ先輩デザイナーのかたがたの定例会議も行われていて。打ち合わせ前の「出待ち」的な時間をそこで過ごすこともあったのですが、恐れ多くて何も発言できなくて。もったいないことしていたなと、いまは思います。

当時すでにこの仕事を始めて6年ほど経っていましたが、絶対的に数多くのキャリアを、死線をくぐり抜けてきたかたがたに囲まれながら作業をしていた「宇宙戦艦ヤマト2199」のあの頃は、若手といえる時代と、独立してフリーランスでやっている現在とのあいだの、最後の青春、といえるような時代だったのでしょう。求められていたものはきわめてハードルが高くて、苦労も多かったはずなのですが、あの頃を思うときいつも心に浮かぶのは国分寺の街並みと、放課後の、3日後には忘れちゃうような、けれど大人になったらその時間を確保すること自体が難しい、なんてことないおしゃべりをしていた高校生たちの姿。おだやかな、いつまでも続くかのような午後の時間、なのです。

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