社長から「本社で君に任せたい仕事がある」と言われてもやりたい仕事を目指して独立
閲覧ありがとうございます。
こちらの記事では私、枝川湧斗の自己紹介をさせていただきます。
藍澤證券出身で営業を経験し、調布支店と町田支店の2店舗でリテール営業を行ってきた話と、現在の㈱YSKライフコンサルタンツでIFAとして独立することになった話について綴っていきます。
少しでも私の人柄や仕事への熱意が伝われば幸いです。
①投資との出会い、証券会社に入社するキッカケ
私は大学生の時に初めて投資を始めることになります。
学生時代は小学生から高校まで野球部に所属、大学でも野球サークルに所属するなど根っからの野球少年です。
体格には恵まれませんでしたが、自分の持っている能力でどうやって身体能力に優れた人より活躍しレギュラーをとるのか、頭を使い工夫を凝らすことが好きでした。
とにかく1つのことにのめり込むタイプで、何をやるにしてももっと良い方法はないか、より効率よくできないかと考えている性格です。
そんな私が大学生の時に周りで投資している人の話を聞く機会があり、口座開設の仕方を教えてもらいふとしたきっかけで投資を始めることになります。
元々祖父や母親が投資をしていたため馴染みはあり抵抗感はありませんでした。
むしろ投資をすることに憧れのようなものを抱いていたと思います。
実際に投資をしてみた結果…惨敗(笑)
バイトで貯めたお金は半分以下になっていました。
この時に、何も知らない状態で闇雲に投資してもダメなこと、一方で世の中には着実に資産を増やしている人たちがいること、私と彼らの違いについて知ることになっていきます。
そこから私の目標が検察官になることから、絶対この投資の世界で利益をあげることへと変わっていきました。
あらゆる投資本を読み漁り、色々な投資家に会いに行きその投資方法やマインドについて話を聞きにいきました。まさにのめり込む瞬間でした。
なお、在学中に初期投資の4倍の利益をあげ無事リベンジは果たせました(笑)
②前職の証券会社では支店配属前に同期に負けない宣言、1年目は下から数えた方が早い成績に
学生の自分でもしっかり勉強して人に教えてもらうことで投資スキルが上昇し利益をあげられることが自信になっていました。
しかしまだまだ情報が欲しい、できれば内部の情報を知りたい。
そう思った私は証券会社に就職することを決意します。
自分が勉強してきた知識を他の人に伝えて役に立て、さらに自分自身の知識のブラッシュアップになるなら最高の仕事だ!と考えたのです。
私が入社した証券会社はいわゆる中堅の証券会社です。
これは大手でも変わらないと思いますが、同期で学生時代に投資経験がある人はほとんどいません。(1~2割くらい?)
(投資経験がないのによく証券会社に入ってこれるな…少なくとも経験も知識もない同期には負けないでしょ)
そう高を括り、研修最終日に皆の前で抱負を語る場では
「ここにいる同期には負けません!」と宣言しました。
私が配属された支店は、会社の旗艦店でもある調布支店。
社長賞を目指していざ飛び込み営業を開始!結果は…
また惨敗!(笑)
同じ支店の同期が毎日のように見込みを作り口座開設するのに対し、私はというと…沈黙
途中からはピンポンを押すのが怖い日々でした。
見かねた先輩が同行訪問を繰り返し、ようやく口座開設ができたことを今でも思い出します。気付けば成績は逆社長賞が狙えるレベルの成績でした。
③ダメなものはダメという性分が信頼を得る結果に繋がり、同期でトップも経験
私がいた会社では2年目からは休眠口座が引き継がれます。
元々稼働していないお客様や、過去は取引していたが以前の担当と問題があったりして未稼働になったお客様の担当になることを言います。
そのお客様と接触を繰り返すなかで、私の進むべきスタイルが見えてくることになります。
Kさん(仮名)というそのお客様は以前の担当から勧められたインドネシアの株で数百万円の損失が出ていました。
買って数カ月で半分になり、その後もずっと下がり続け、担当から戻ってくるまで持っていてくださいと言われ気付けば連絡も来なくなったようです。
聞いたこともない銘柄でしたが私自身が調べなおすと、買ってすぐに粉飾決算が発覚するなどボロボロでいつ上場廃止になるかもわからないような状態でした。
私はすぐにこのお客様に連絡し、銘柄の状態を説明、今後回復する見込みはほとんどないと思う旨を正直に伝え、一度お会いして直接説明したいとお話しました。
最初は呆れたような状態でしたが会いたいとお伝えしたときは驚かれ、仕事をしているから終わってから会いに来てと言われました。
そこで実際にお会いし、今お客様が置かれている状況、今後どのようにリカバリーしていくかについて、私自身がどのような相場観を持っていてどういう銘柄に投資すべきと考えているかをお伝えしました。
今でもお付き合いがあるお客様なのですが、当時を振り返って
「君よくあの状況で会いに来たよね。前の担当は結局顔も見せなかったよ。それによく勉強しているのが伝わったから君のことは覚えておこうと思ったんだ。」
と話してくれました。
その時にお伝えしていた銘柄が数カ月後にグングン上がっていたため、お客様のほうから後日連絡があり、「君の言ってた通りだね。次に良いやつあるなら教えて。それ買ってみるよ!」とおっしゃっていただけました。
そこから信頼していただき、新しく資金を入れていただいたり他のお客様をご紹介していただいたりしました。
その時に、「私がしていくべき仕事はこれだ」と感じました。
誠実に向き合い、信頼関係を築き、お客様の方から他にご紹介したいと思えるような関係性を築いていく。
飛び込み営業が苦手だった私は紹介によってお客様が広がっていくようになりました。
2年目には収益が同期でトップをとることもできました。
④元々投資経験があったため相場分析は得意、銘柄選定を任される
証券会社や支店によってこれはバラバラだと思うのですが、お客様に提案する商品が指示される場合と自由にしていい場合があります。
調布支店では個別株に関しては営業員の相場観に委ねられており、基本的には自分で調べて良いと思ったものを提案できていました。(もちろん上司にアドバイスをお願いすることもありました)
私は学生時代から投資していたこともあり、なにより相場が大好きだったので休日でも良い銘柄がないか調べたりしていたほどなので、独自の路線で提案し続けていました。(2年目が生意気にも。笑)
最初は支店長から「お前こんな銘柄提案するのか?聞いたことないけど大丈夫か?課長は○○勧めてるぞ」と言われていましたが、次第に何も言われなくなります。
なぜならことごとく提案した銘柄が上がっていったからです(笑)
気付けば(次枝川は何を提案するんだ?)と聞き耳をたてられ、私が提案したら「おい、枝川が△△提案してるぞ!」と支店内に大きい声で言いふらされるようになりました。
それからなぜか副支店長や課長が「この銘柄提案しようと思うんだけどどう思う?」「これって最新のSaaS関連なんだけどお客さんにどうやって説明したら分かってくれると思う?」と私に銘柄を聞きにくるようになったのです。
気付けば課での銘柄選定と決算の分析を任されるようになりました。
⑤転勤を機に自分の人生を見直し、独立を決意
3年目の夏、初めて転勤することになりました。
2年目には結婚、出産を経験し、また大きく環境が変わっていくタイミングでした。
実は私は父が会社を経営していたこともあり元々独立志向でした。
それが2店舗目にいってますます強くなったのです。
支店によって環境がガラッと変わることは多いのですが、特に違和感を覚えてしまったことが、
「提案銘柄は必ず上司に従うこと」
「担当について短期間で結果が出ない場合すぐ担当者を変更すること」
でした。
会社の方針があるため指示があることも多いのは当たり前ですが、自分自身の相場観で提案することを禁止されてしまったのです。
今まで自分が培ってきたことに意味があるのか?と自問自答してしまいます。
また、成果が出なければたった1~2カ月でお客様の担当をコロコロ入れ替える支店でした。
これでは関係性も築けず、既存客以外の新しい成果が出ないのも当然だと思えるような状態でした。
コロナ禍にかかわらず通勤時間が大幅に伸びてしまったこと、自分が目指したお客様との関係性や営業スタイル、若いうちに独立して挑戦してみたいと思っていたこと
色々な要素が混ざり合い、日々悩み続け、妻に会社を辞めて独立するか悩んでいることを打ち明けたところ、
「やってみようよ!応援してるよ!ダメだったら私が稼いでくるから!」
と明るく励ましてくれました。
以前から(というより結婚する前から)独立志向であることは話していて応援してくれていた彼女でしたが、結婚し子供が生まれた状況でも変わらず支えてくれたことに驚きました。
私自身、(まだ子ども生まれたばかりだしサラリーマンのほうが安定していて心配かけないよな)と自分に言い訳して独立を後回しにしていました。
こういう時、男は弱くて女性のほうが度胸あるよなと思ってしまいます(笑)
辞める話を伝えたときは、気付けば社長から新しい部署を新設予定で勉強もできる君が必要だと止められるような状態になっていました。
もし悩む前であればやってみても良かったかなと思いましたが、一度決意したら独立して自分で頑張っていこうと進みだすことにしました。
⑥IFAになり、「会社都合」を気にせずお客様の利益を最優先に長期的な提案が可能に
すでにIFA(独立証券アドバイザー)として活動されている先輩にお話を聞く機会があり、条件面が自分にあっている現在の会社と契約させていただきました。
証券会社では転勤が付きまとうため、どうしても長期的な提案は難しく、仮に長期的な提案をしていたとしても次の担当次第でどういう着地点になるかは全く知るすべがありません。
今の仕事では10年20年と先を見据えた提案も可能で、ノルマのために動く必要もありません。
自分自身が目指していた、お客様にとって最良のアドバイスやご提案ができる環境になっています。
そしてまだ小さい子どもとの家庭での時間を大切にすることもできています。
そんな私がこれから目指していきたい立ち位置はお金のドクターです。
金融先進国のアメリカでは1家庭に1人のFPがつき、かかりつけ医のような存在がほぼ必ずいます。
お金の話、特に資産運用の話になってくると中々家族や友人にも話せませんよね。
深い話になってくるとなおさらです。
そんな時に気軽に相談できる、そして専門性の高いアドバイザーがいたら?
きっとお金で悩む時間がグッと減ると思います。
お金の悩みごとの大半は、一人で悩んでも解決できません。
にもかかわらず悩みは次から次へと出てくるし、悩んだところでなにも変わらずただ疲れが残るだけ…
私自身がお金で悩むことが嫌いなので、悩みそうなことはさっさと解決させています。
教育資金はこの方法で確保、老後資金はこれ、自分の趣味はここから捻出…
この仕組みは一度作ってしまえば変化しないので、悩みがぶり返すことがありません。
今FIREを希望している人が増えていますが、経済的自由とはたくさんの資産によってお金の悩みを解決することではありません。
お金の悩みが出てきたときに解決する仕組みを作ってしまうことにあります。
こんなたとえ話があります。
飢えの心配をしなくなるために必要なこととは目の前にたくさんの食べる魚を用意されることではない、その魚の釣り方を知ることだ。
私はお腹がすいた人に魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えられるアドバイザーでありたいと思っています。
これから出会う人のお金の悩みを解消するお手伝いができればなによりです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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