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ジャン・ユスターシュとは誰か? 人生は映画のように [後篇]

須藤健太郎×廣瀬純

『ママと娼婦』(1973)や『ぼくの小さな恋人たち』(74)などでポスト・ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として活躍しながら、1981年11月5日、パリの自室で拳銃自殺を遂げた映画監督、ジャン・ユスターシュ。本年(2019年)4月に小社から刊行された須藤健太郎『評伝ジャン・ユスターシュ』は、その作品と生涯とに本格的に向き合った、世界で初めての1冊となった。
本書の刊行にあわせて4月~6月に都内で開催された特集上映は異例の好評を博したが、今回のトークイベントも、著者の須藤さん、そしてゲストに映画批評家の廣瀬純さんをお招きして、このしばしば「幻の」「伝説の」と形容される映像作家の実像に肉薄する稀有な機会となった。以下のふたりの発言によって、また新たなユスターシュ像が切り結ばれているのではないだろうか。会場からの質疑応答もふくめた[後篇]をお届けする。
[2019年10月19日(土) 於:エスパス・ビブリオ

前篇]はこちら→(


|正しさの偽物|

廣瀬 『ぼくの小さな恋人たち』の冒頭にも奇妙な不連続性があります。ダニエルくんがタルティーヌを食べ、カフェオレを飲んでいる。そこにおばあちゃんが来て、「もうちょっと食うか?」と尋ねると、ダニエルくんは「ううん、いらない」と答える。そのすべてが正面からの長回しで示された後、ダニエルくんを今度は真横から捉えたショットに切り替わる。そこでもまた、ダニエルくんはカフェオレボールを呷っている。連続したアクションというよりも、すでに見せたアクションをもう一度別の角度から見せるようなつなぎになってしまっていて、キュビスムの絵画を思わせもするようなアクションの反復が導入されている。

抜粋上映 『ぼくの小さな恋人たち』(1974年)0:39-1:19

須藤 つなぎをやろうとするんで、ダブル・アクションみたいになるときがある、と。

廣瀬 同じ作品の中盤には、ダニエルくんの発する同じセリフが2度繰り返されるという箇所もあります。

抜粋上映 『ぼくの小さな恋人たち』(1974年)1:24:00-1:25:00

廣瀬 ダニエルくんは、ナルボンヌに移ってから、青年たちと付き合うようになるのだけど、そのうち1人だけが高校に通っている。ダニエルくんは、イングリット・カーフェン演じるお母さんから「学校なんて行かなくていい」と言われてしぶしぶ働いているわけですが、本当は勉強好きで、学校に行きたいと思っている。それで、日本でいうところの大検のようなものについて、独学でも準備できるかなといった相談を彼にしている。抜粋は、ダニエルくんが、いわば「君は高校生だから、ぼくの話が理解できるはずだ」と意気込んで、とっておきのインテリ話を始めようとする箇所です。ダニエルくんの頭のなかではおそらく最初の一語から最後の一語まですでに出来上がっているそのインテリ話の冒頭のフレーズ、「Dans un livre que j’ai lu(ぼくの読んだ本では)」が、第一のショットの終わりと第二のショットの始まりとで2度反復される。これを見てしまうと、さっきのカフェオレも実は2杯目だったのかなという気がしてきます(笑)。

須藤 この部分、たしかによくわからないですね。なんで残したのか。わざとなのか、気付かずこうなってしまったのか。しかもこのセリフ自体がどうでもいいもので、ほとんど「あのね」とか「えっと」みたいな導入の部分で、決めゼリフでもなんでもない。

廣瀬 ベンチに並んで腰掛ける2人を捉えた固定のフルショットが「ぼくの読んだ本では」で終わり、ダニエルくんの顔のクロースアップが同じセリフから始まるわけですが、あたかも、とても大切な話だから、クロースアップにして、仕切り直して撮ますよといった感じです。

須藤 ここはすごく印象に残ります。ダブル・アクションとかトリプル・アクションにして強調したりするのは、むしろよくあることだとは思うんですが、ここは言葉のダブル・アクションみたいなことになっていて、それが普通は強調されないような導入のセリフだという。

廣瀬 ゴダールの作品にこのような編集があっても、さもありなんとやり過ごせると思う。映像を「どもらせる」ともゴダールは言っているわけですからね。「正しいつなぎ」に一定のこだわりをみせるユスターシュの作品だからこそ、こうした編集が際立ってしまうわけです。ただ、カフェオレの件も含めてですが、ユスターシュ映画の基本に照らしてこれを受け止めることもできる。欲求や有用性から切り離された純粋な「身振り」としてのアクション、「儀式」としてのアクションという問題です。同一のアクションや発話が2度繰り返されるとき、たとえ1度目は多少なりとも欲求や有用性に従属したかたちで示されたとしても、2度目に示されるときは、そうしたことから切断され、純粋な身振りとして輝くことになります。

|ずれの導入|

須藤 『ぼくの小さな恋人たち』には、一見何気ないように見えるんですが、気付いてしまうとものすごく不思議な箇所が多くある。それは意図的にやっていると思います。ダニエルくんが悪ガキたちと仲間になると、カフェで一緒にお茶する仲になるんですけれども、初めてカフェに行ってからの場面もかなり不思議なんです。

抜粋上映 『ぼくの小さな恋人たち』(1974年)1:19:16-1:22:10

須藤 こういうふうに全員がテラスに一列に並んでいるところに、1人プレイボーイな奴がやってくる。すると、彼と話をつけに、女の子が友だちを連れて乗り込んでくる。男たちが「あ、来た」って反応します、このあとです。女の子2人が彼らの前を通っていくんですけど、悪ガキたちがそれを見ていて、その後ろにある窓ガラスに彼女たちの姿が映されている。カメラも彼女たちの動きに合わせてゆっくり移動していて、その移動撮影をしながら、見る青年たちと彼らの視線の先にある女の子たちの姿をガラスの反映でワンショット内に収めるという、ものすごく複雑なことがやられている。
 でも、実は彼らの視線と合っていない。もう一回、見てみますか?

抜粋上映 『ぼくの小さな恋人たち』(1974年)1:19:16-1:22:10

須藤 この場面全体は、かなり丁寧につないでいくんですね。最初も、ダニエルが来て座って、それで彼がカフェの中を覗き込むのがあってから、店内の様子が見せられる。そしてこの後ですね、「あ、来たぞ」で見る彼らが映され、切り返しで彼女たち。彼らに戻り、カメラがゆっくりと動き始めると、彼らの見ている方向がずれている。ちょっと気持ち悪いですよね。
 エドゥアール・マネの《フォリー・ベルジェールのバー》(1882)を引き合いに出すとちょっとおおげさに思われるかもしれないですが、でも似たような気持ち悪さがある。背景の鏡とその前面にある世界とで遠近法がずれているというか……。ユスターシュは、彼女たちが通り過ぎたあと、ここでもう一回視線を合わせます。彼らの向いている方向が今度は一致していますよね。

廣瀬 もう一回見てみない?

抜粋上映 『ぼくの小さな恋人たち』(1974年)1:19:16-1:22:10

廣瀬 スーツを着たちょっと年上の男が「わたくしめは、これからバイカーの格好に着替えてまいります」と言ってカフェを立ち去るときも、彼の後ろ姿はガラスに映っていますが、このときはダニエルくんの視線と合っている。なるほど、こういう空間の関係ねっていったん観客に納得させたあと、問題のシーンが来るわけですよね。また、問題のシーンの後にも、切り返しでしっかりと視線のつなぎをやっている。この2つに挟まれているがゆえに、我々観客は、何かを見間違えたかなという気にさせられてしまうわけです。
 マネの狡猾さは、回顧的に言えば、具象をやめているわけではないという点にあります。具象によって空間を正しく描いているようなふりをしつつ、そのただなかでずれを生じさせる。ユスターシュのスタンスもこれに近いと言えるかもしれません。ゴダールは、いわば、もっと抽象に寄ってしまうわけですが、ユスターシュは、具象にとどまって、そのなかで実験をする。

須藤 さきほど廣瀬さんが「映画の文法」と言われましたが、いわゆる映画の文法みたいなものを一応前提にして、その中でずらしていく。ルールを無視して作るのとは、ちょっと違うんですね。だから、逆に見ていて違和感が生じてくる。規則や文法と無関係に作られていれば、そういうものとして受け入れることになるので、別に見ていて気持ち悪いなってことにはならない。

廣瀬 ただ、ここで再び、2つの異質なものの共存というユスターシュの基本テーマを思い出してみることもできるでしょう。『夜会』や『豚』でもそうでしたが、ユスターシュが2つの異なる空間をつなぐときは、確かに、両者を1つのより大きな空間のなかに書き込むという側面もありますが、しかし同時に、それぞれの空間の自律性を際立たせる、2つの空間の非連続性、相互異質性を際立たせるという側面もあります。『ぼくの小さな恋人たち』のこの場面でも、ママ「と」娼婦として定式化できるようなこの原則が見出せるように思います。

|儀式と語り|

廣瀬 この場面ではまた、ダニエルくんが初めて青年グループに参加して、電線に一列に並んだスズメさんといった風情で、彼らと一緒にカフェのテラスに身を落ち着けるわけですが、ここでも、やはり、純粋な「身振り」が問題にされているように思います。青年たちの身振りが、ダニエルくんの身体において模倣されている。あるいは、このカフェで代々反復されてきたであろう同じ身振りを、ダニエルくんもまた反復する。

須藤 「形(かた)」みたいなことですか。

廣瀬 そうですね。純粋な「かた」です。ダニエルくんが、あそこにああして座るのは、純粋な「かた」の反復であって、ああ退屈だとか、今日も1日働いて疲れただとか、自分にご褒美で1杯ひっかけるかだとか、可愛い女の子でも通らないかなだとかといったような内的原因に由来するものではいっさいない。
 ユスターシュは、映像と音声、身体と言葉の両面において過剰なものの探求を続けた映画監督です。身体の次元では、「かた」あるいは「儀式」として、有用性や欲求から解放された身振りが探られる。儀式的な身振りというのは、有用性や欲求に基づくアクションからはみ出す過剰な身体のありようです。相米慎二も、薬師丸ひろ子にブリッジをさせたり、牧瀬里穂に目をげんこつで擦らせたりすることで、同じような探求をしていますが、ユスターシュの場合には、何らかの共同体とそこでの「かた」の共有が前提とされており、その点で相米の場合とは異なります。
 言葉の次元では、須藤さんの本での表現を借りれば、「レシ(物語)」として、有用性や欲求から解放された発話が探求されます。「レシ」は、暴力を振るう人に痛いからやめてくれと叫んだり、恋人に愛していると言ってくれと懇願したりするようなタイプの発話とは異なり、身体における「儀式」と同様、内的原因から完全に独立した仕方で発せられる言葉で、過剰なものとしてある言葉です。注意すべきは、「レシ」についてもまた、ユスターシュにおいては、何らかの共同体とそこでの共有が前提とされているという点です。『お早よう』(1959)で小津安二郎が、おばさんたちのあいだに噂話を流通させたり、おじさんたちに世論を語らせたりしていたのと同じようなやり方で、ユスターシュもまた、どこかで誰かがすでに語ったことを登場人物たちに反復させるという仕方で「レシ」を問題にしています。

須藤 自分の中から何かを発するという意味での表現ではなくて、自分より大きな何かがただ自分を通っていく。

廣瀬 そうです。「儀式」や「レシ」が過剰なのは、それらがbigger than lifeなものだからです。ただし、ユスターシュにおいては、bigger than lifeが二重の意味で理解されている。生命体としての欲求よりも大きいというだけでなく、個人の生よりも大きいという意味でもあって、両者が重ね合わされている。そこから、共同体というテーマが生じているわけです。「かた」を共有している共同体、「レシ」を共有している共同体。代表的な2作品を例に図式化すれば、『ぼくの小さな恋人たち』は前者を問題にした作品であり、須藤さんの本で「引用の織物」だと形容される『ママと娼婦』は後者を問題にした作品です。『ママと娼婦』でジャン゠ピエール・レオーは、「こんな話がある」「あんな話がある」と言って、どこかで聞いてきたことばかりを話し続けます。
 その共同体はやはり「フランス」なのでしょうか。『ぼくの小さな恋人たち』の冒頭で流れるのは、シャルル・トレネの《Douce France(優しきフランス)》です。この曲は、「フランス」なるものについて歌ったもののうち、フランスで最もよく知られた曲で、90年代にはCarte de séjour(滞在許可証)という名のバンドが倒錯的にカヴァーしたことからも分かるとおり、聴きようによっては、極めて政治的な内容のものです。須藤さんの本では、ユスターシュがジャン・ルーシュやケベックのピエール・ペローなどに影響を受けていたことが指摘されていますが、そうしたエスノロジーあるいはフォークロアの対象になるのは、ユスターシュの場合にはやはり「フランス」だということになってしまうのでしょうか?

須藤 それについて正直にいうと、ぼく自身はよくわかっていないんです。自分がやっぱりフランスに生まれ育ったわけではないんで、そもそも「フランス」が何なのかよくわかっていない。でも、フランスで年配の人とユスターシュの話をすると、「『ペサックの薔薇の乙女』にはフランスそのものが映っている」みたいなことを言う。

廣瀬 ユスターシュ自身は、フランスに関して何か言っている?

須藤 そんなにはっきりとフランスの定義みたいなものはないと思いますが、「ナルボンヌはフランスじゃない」みたいなことは言っていますね。本の中で引用もしましたけど、「南部のオクシタニー地方はフランスじゃない」とか。「ペサックこそフランスなんだ」みたいな。

廣瀬 ユスターシュからすれば、ペサックの薔薇の乙女こそがフランスであって、68年5月はフランスではなかったのかもしれませんね。
 ただ、儀式的な身振り、レシとしての発話には、共同体に向かうこととはまるで異なる方向へと開かれ得る可能性もあるわけです。儀式的な身振りは、純粋な身体の動きであって、言語に依存しない身体それ自体の思考を宿らせている。レシとしての発話も、純粋な語りであって、身体に従属しない言葉のあり方の探求でもある。実際、ユスターシュの後期作品では、それぞれが自律的に存在する映像と音声のその共存といった問題が前面に浮上してくるようになりますよね。彼は、ある時点までは、儀式とレシを通じてフォークロアのような問題に取り組むわけですが、『ヒエロニムス・ボスの《快楽の園》』(1980)とか『アリックスの写真』(1980)になると、もう、そうしたことはまったく問題になっていません。映像についても音声についても、もはや、共同体におけるその共有ということはいっさい問われず、いわば、それぞれが「孤児」のように存在する映像と音声とのそのあいだにある「と」が探求の中心におかれるようになるわけです。

須藤 そうですね。より抽象化されていく。取り組み自体がどんどん抽象化していって、最後に『アリックスの写真』を残して自殺する。

|最後の企画|

須藤 実は、ユスターシュの晩年の映像が残されていて、それは1981年の9月に撮影されたもので、だから亡くなる2か月前に撮影されたビデオがあるんですけど、そこで当時取り組んでいた企画の1つについて語っています。それは自分のおじさんの話で、収容所に送られて自殺したことになっているんですけど、ユスターシュはそれは偽装自殺だと、本当は殺されたと思っている。そのことを映画にしようと考えていたようで、ここでおじさんの遺品であるノートとかパイプとかを見せながら、企画について語っています。また、テープの録音が流されたりもするんですが、彼は音声部分だけすでに試作していた。
 これはジャン゠アンドレ・フィエスキが当時出たばかりのパリュッシュという超小型カメラを使って——それがどういう道具かも、鏡を使ってちょっと映しています——、ユスターシュが自宅にいるところ撮っている。それを2007年にパウロ・モレッティという人の協力を得て修復して作品化したのが、この『バンド・ユスターシュ——泣くジャンと笑うジャン』です。フィエスキっていうのは批評家で映画作家でもあって、『夜会』にも出演していた人ですね。これはさすがにYouTubeには上げられていない。

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廣瀬 まだ40歳くらいなんですよね。でも、もう老人みたいになってますね。興味深いのは、作品自体はユスターシュが監督したものではないけれど、そのなかで彼が自分で自分を演出しているという点です。おじさんの手帳をカメラの前に掲げたり。ひょっとするとフィエスキのアイデアなのかもしれないけど、いずれにせよ、掲げられている手帳の文字が画面にはっきりと映し出されるのと同時に、それをそのまま読み上げる声が聞こえるといった演出がなされている。同一のテクストの文字と声とへのこうした分岐は、ユスターシュ自身が監督したそれまでの作品にはなかったものですよね。『アリックスの写真』の後、ユスターシュは「文字」をめぐるそのような新たな問題に向かおうとしていたのかもしれません。

須藤 そうですね。『求人』(1980年)には、すでにそういう面がちょっとありましたかね。
 それからいまこの『バンド・ユスターシュ』を見直してみて、廣瀬さんがさきほど問題にしていたユスターシュの反動性、彼の政治傾向の話と絡めて考えると興味深いかなと思いました。彼はすごく貧乏な家に生まれていて、家族全員が共産党なんですよ。おじさんも共産党員で、だから戦中に政治犯で捕まって、ナチスに殺されるということが起こる。ユスターシュはそれこそずっと遺品を抱えていて、それをもとに映画を撮ろうと思うほどだったわけで、なかなか一概には言えない複雑なところがあるように思います。
 たしかに68年に自分の田舎に行って保守的なお祭りを撮るとか、『ママと娼婦』のアレクサンドルも68年以後にド・ゴール主義者を気取るとか、これ見よがしに反動的なところはあるんですけど、彼自身の出自は完全に労働者階級の共産党にある。彼の中でそのへんがどういうふうに整理されていたのかは、改めて考える必要があるのかもしれない。

廣瀬 68年に対する距離の取り方については、共産党に入るっていう選択肢も当時はあったはずですが、ユスターシュはそうしなかった。ある種のシニカルなインテリのうちには、68年の熱狂に身を置くことを嫌い、あえて共産党に入った人たちがけっこういたわけですが、ユスターシュは、その道も選ばなかった。

須藤 月並みな言い方ですけど、なんらかのカテゴリーに入れられないようにしていたというか……。

廣瀬 そうですね。68年も共産党も、彼にとっては既存の「カテゴリー」であって、そうした出来合いの集団性を彼は信じていなかったのかもしれません。彼が晩年に熱狂していたのは「レゾー」だったと、須藤さんは書いていますね。

須藤 レゾーというのは、たぶん80年代の初頭にしかなかったような文化だと思うんですけど、使われていない電話番号に同じ瞬間に掛けると、そこに掛けた人同士で会話できるという仕組みを利用したもので、何か決まった番号があって、ユスターシュはそこで知らない人たちとたくさん会話して、それを録音もしていたようなんですね。もともとは戦時中にレジスタンスの活動家の連絡手段として用いられた技術らしいんですけど、それが80年代初頭に一種の出会い系みたいなものとして使われていた。

廣瀬 ユスターシュは、共同体を前提にせずに儀式とレシを扱い始めてからも、あるいは、「フランス」を問題にしなくなって以降も、集団の問題には関心を持ち続けていたのかもしれません。ただし、それは、幽霊の集まりのようなもの、その一人ひとりが本当に存在しているかどうかも定かではないようなような孤児たちのsociété secrèteのようなもの、「秘密結社」あるいはむしろ「秘められた社会」のようなものだったのかもしれません。

須藤 レゾーなんて、まさに声だけの存在ですからね。「共同体を持たない者たちの共同体」、バタイユやブランショの名前こそ引いてはいないものの、ぼくは本の中で『ママと娼婦』に関してそんな指摘をしました。問題意識としては、ずっと一貫していたのかもしれません。

|質疑応答|

質問1 今日のお話ではいろんな論点があったと思うんですが、須藤さんが本で多く論じられていた『ナンバー・ゼロ』(1971)のことが話題にならなかったので、それについても少しうかがえますか。

須藤 『ナンバー・ゼロ』はこの前のアンスティチュ・フランセでの上映でも入れなかった人がたくさんいると聞いていて、またしっかり字幕付きで上映する機会を持ちたいですよね。ユスターシュのおばあちゃんを撮っているドキュメンタリーで、彼女が半生を語るのをずっと撮っているだけの映画といえば、本当にそれだけの映画なんですけど、ただ2時間しゃべっているのをカメラ2台をずらして回すことで、その2時間全部を記録する。それを作品にしたものなんです。ぼくは『ナンバー・ゼロ』については本の中でもたくさん書いていて、はじめも『ナンバー・ゼロ』の話から始めようと、わりと早い段階から決めていました。

廣瀬 おばあさんの声は多声的なのか単声的なのか。どう思いますか。

須藤 ぼくは多声的、ポリフォニックだと考えています。おばあさん自身の話ではあるんだけど、彼女が聞いた話とかもたくさん入ってくるし、親戚の話のうまかったおばさんの話とかもあり、いろんな話が彼女を通してばーっと流れてくる。

廣瀬 そういう意味では、『ママと娼婦』の系譜に位置づけられるレシの映画、多数のレシからなる映画だということですね。ジャン・ユスターシュが際立っているのは、言葉だけでも身体だけでもなく、その両方について同じような探求を進めたという点においてのことでしょう。同時代の監督でも、儀式やレシを問題にした人はいますが、その多くはどちらか一方に偏っている。身体の側であればフィリップ・ガレルだとか、言語の側であればマルグリット・デュラスだとか。ユスターシュは、この点でも、徹底して、2つのものの共存の人なのでしょう。

須藤 言語と身体という面では、『ママと娼婦』とか、本当にそうですね。最後にジャン゠ピエール・レオーは疲弊しきって床に座り込んでしまう。それは撮影で疲れ切った身体の疲労がそのまま記録されて刻印されたものでもあるわけですけど、そのときにあんなに饒舌だった人がもう一言も言葉を発することができなくなって、黙り込んでしまう。身体と声、その両方がもっとも切り詰められたかたちで、純粋なかたちでそこに立ち上がってくる。

質問2 シンプルな質問です。『ナンバー・ゼロ』のおばあちゃんと、最後の企画のおじさんは血がつながっているんですか。

須藤 おばあちゃんは母方の祖母で、おじさんは父方なんです。だから、その2人はつながってない。それで、ユスターシュって父親の話がほとんど出てこないんですよ。お母さんのことは『ぼくの小さな恋人たち』に出てきたりもするんですけど、父親のことは全然語らない。そういう意味でも、この企画で父方の話が出てくるのは興味深いところがあります。

[完]

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須藤健太郎(すどう・けんたろう)
1980年生まれ。パリ第三大学博士課程修了。博士(映画研究)。専門は、映画史、映画批評。現在は、首都大学東京教員。訳書に、『エリー・フォール映画論集 1920-1937』(ソリレス書店)、ニコル・ブルネーズ『映画の前衛とは何か』(現代思潮新社)などがある。

廣瀬純(ひろせ・じゅん)
1971年生まれ。パリ第三大学博士課程中退。専門は、映画批評、現代思想、フランス文学。現在は、龍谷大学教員。著書に、『シネマの大義:廣瀬純映画論集』(フィルムアート社)、『資本の専制、奴隷の叛逆』、『暴力階級とは何か:情勢下の政治哲学2011-2015』(以上、航思社)、『アントニオ・ネグリ:革命の哲学』(青土社)など、訳書に、アントニオ・ネグり『未来は左翼』(上下、NHKブックス)など多数がある。


評伝ジャン・ユスターシュ 映画は人生のように
この稀有な映画作家に魅せられた批評家が、その生涯と作品を取材や調査によってあきらかにし、伝説化された実像に肉薄する世界初の本格的な評伝。
詳細なフィルモグラフィ、ビブリオグラフィ、人名索引を附す。

須藤健太郎 著
菊変判並製412ページ 3600円+税 共和国 刊
978-4-907986-54-4
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