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徒歩圏内の近くに避難所指定にもなっている大きな公園がある。園内にはウォーキングコースとジョギングコース併用路線があり、一周約2kmのロングコースと、その半分である約1kmのショートコースが設定されている。コース内ではお年寄りや子供たちでも分かりやすいように、一定方向に進むよう「矢印」と「看板」含め「地面」にも「マーク」が示されており、見やすい場所に立てかけていて、これでもかと言わんばかりに景観そっちのけで、とっても目立つのである。まぁ車両走行でいうところの「一方通行」というものだろうか。

しか〜し、、、、なぜか矢印の反対コースを歩いたり走ったりする人達の多いこと、つまり「一方通行」を無視して逆走しているのである。
なぜこんなに多いのだろうか、、、、しかも多くの人がしかめっ面である。しかも子供ではなく、成人、高齢者ばかりの大人達だ。。。

スーパーの駐車場も入口付近では障害者用のスペースが数台確保されているが、とっても元気な健常者のお姉さんが堂々に睨み利かして駐車しているではないか。。。
店内では混み合う時間帯(昼時や夕方など)に、ひっきりなしに障害者スペースにアナウンスを促して、移動等の声掛けを行っているが、全く無視されているようだ。混み合う時間帯で足の悪い高齢者が遠くへ荷物を抱えて行く姿を見て、何とも思わないのだろうか。。。
まぁスーパーの中では野菜コーナー、鮮魚、精肉、お惣菜など、店舗側の誘導ルートのようになっているようですが、特に一方通行のような指標も無ければ反対?方向などもあまり気にしませんけどね。ただ、レジで買い物籠にキレイに詰め込んでくれるのは有り難いことなのですが、それを袋に詰め込む時には反対に苦労する経験はありませんか?私の場合は、スーパー専用の買い物籠を購入して、レジを通してそのまま詰め込んでもらっています。

最近の道路は自転車専用?レーンが示されているのを見掛けます。白線も無い道路でも専用レーンと勘違いして、悠々と走っている自転車がいますね。しかも、ゆったりとした歩道があり、そこに自転車マークが付いているにもかかわらず。また、確かに自転車は左側通行と認識しているものの、右側通行(逆走)をしっかり走って来て、すれ違いが煩累に起こっている。もう少し気になるところでは、自転車ではなく車の運転ですが、左折時になんであんなに大きく右側へ車両を振るのかも理解できない。教習所では左側に寄せて、バイクや自転車、歩行者などの侵入を阻止(巻き込み)し、徐行運転で内輪差を意識して曲がると教えられるはずである。タクシー運転手(二種免許)さんや大型免許を保持している人から見れば、理解し難い運転であり、事故等が煩累に起こることも納得できる光景である。(ちなみに私は大型免許を保持している)

随分と古い記憶になるが、テレビだかラジオとかでこの問題を取り上げているのを聴いたことあるが、覆面放送を前提で声を掛けたところ大半の人が、有識者や見識者だった、、、、つまり社会的地位の高い人種とでも言うのでしょうか。。。意外かも知れませんが、人は見掛けによらないのでしょうね。
自分のルール(哲学?)なのでしょうか。「わが道を行く精神」とでもいうのでしょうか。「私は時計周りが好きだとか、、、、」要するに認識(知っている)しているのである。

つまり、わざとだ。。。
何も問題が無ければ「ルール」など設定するのも面倒なので規制等の案内はしないはずである。過去にトラブルがあったり事故等が煩累に起きるから、ある程度のルールというものが設定されるはずである。信号機などもそうでしょうね。いくら見通しが悪い交差点であっても、車の流量や事故等が煩累に生じていないのであれば、わざわざ税金を使ってまで信号機は設置しないであろう。
やはり、そういう観点で言えば、なぜ公園にまで一方通行されているコースがあるのか?なぜそういうコースが設けられているのか?、なぜそのスペースが確保されているのか?、そうなった理由を考えてもらいたいものだ。社会には想像も付かないような、事故が起きたりすることもある。色んな人が居て価値観も異なると思うが、堂々と逆走を主張しているのはなぜなんだろう。わざと睨み付けて凄みを利かしているのはなぜなんだろう。向き合うところが違うような気がするが、、、、、ストレス発散なら大きな迷惑だと思います。ましてや、公園ともなると子供たちがたくさんいる場所である。もし、これでぶつかったりする中で加害者と被害者に分けられるとすれば、園内では走行のルールを示しているいじょう、反対側から逆走してくる人に非があるように思えるのだが、、、、

会社にも一定のルールとなる規律がある。ではなぜ規律が必要なのか。会社には大人しか居ないはずである。大きく掲げているのはなぜなんだろうか、毎朝唱和したり注意されているのはなぜなんだろうか。
赤信号みんなで渡れば恐くない?そういう次元じゃ無いでしょ。

このコロナ禍で学んだことがあります。明らかになったとも言えるかもしれません。その1つが労働市場の機能不全なるもの。有用無用と分けて考えた場合、明らかに社会に欠かせない仕事に対して適正以下であるわずかな報酬(賃金)しか支払われず、取り立てて社会に有用とも思えない(個人的な主観があるかも知れないが)労働等に莫大な報酬(賃金)等が支払われている矛盾。つまりエッセンシャルワーカーの労働水準です。これらは日本だけでなく世界中で明らかになったことではないだろうか。単に労働市場と枠組みを設けてはいけないかも知れません。パンデミックに陥ろうと災害時など含め社会難事においても、彼らの労働は止めることができないばかりか、絶対に必要な労働需要である。つまり、こういう労働環境こそ政府がしっかりと価値付けを行い、別枠でも良いので労働需要を喚起する必要があると思われます。

社会的地位が高いかも知れないが、人間性が低いと思われるのは、こうした秩序やルールというものが設置されている本質を見抜くことができないからなのでしょうか。エッセンシャルワーカーという職業を見下している人達なのでしょう。いや、たぶん無関心なのだと思います。だって、良くわからない基準で「エライ」さんだからなんでしょうね。

つい最近だが、
電車の中で女子高生に席を譲られた。自称!若作りしている私なので、少し複雑な心境でしたが、彼女から見れば、やはり私は高齢に近い年長者に見えたのでしょう。しかもさり気なく。。。その子の容姿はお世辞にも言えないくらい悪い方面のレッテルを貼られている感があった。もちろん言葉でも「ありがとう」と御礼は言いましたが、心の中でも「あ・り・が・と・う」と感謝しました。まだまだ、世の中は捨てたもんじゃないね。ちなみにその子は耳にイヤホン装着のスマホ爆裂操作中の連れもいない一人乗車でした。

今度反対コースから逆走して来るおばはんに「リキラリアート」、障害者用の駐車区域で「ドロップキック」でも、ぶちかましてやろうと思う日々である。

20220608