ノア・スミス「この大統領選から学べること:アイデンティティ政治は機能していない」(2024年11月7日)
トランプ勝利からえられる教訓その一
まあ,ご存じの通り,ぼくが好むような結果にはならなかった.
前々からあけすけに語っていたように,「トランプはアメリカにとってロクでもない選択肢だ」とぼくは考えているけれど,アメリカ人がこういう選択を下したのは否定しようもない.目下,トランプは,激戦州(スイングステート)すべてを勝ち取る見込みだ.全米のあらゆる郡で,2020年の実績を上回る結果を見せている.一般投票でも過半数を獲得すると見られている――共和党にとって,2004年から実に20年ぶりのことだ.いまだにぼくは選挙人団という制度が気に入らないけれど,2016年のように,今回の結果を選挙人団制度のせいにするわけにはいかない.それどころか,トランプの勝利はもっと全般的な共和党支持への地滑りによるところがある――共和党は上院を掌握したし,すでに過半数だった下院でもさらに議席を増やしている.2020年から2024年への政治的な転換を描いた地図を見れば,ほぼ真っ赤に染まっているのがわかる.
ささやかな一筋の光明もある.これから2ヶ月ほどを,選挙結果を否認して「選挙の盗み取りを許すな」と訴える運動や訴訟,「1月6日を再演してもいいんだぞ」式の脅迫にとられなくてすむ〔国会議事堂襲撃事件のこと〕.民主制は,トランプに勝利をもたらした.だから,トランプには民主制を攻撃するインセンティブはほとんどない.
というか,この一筋の光明は,ずっと長期にまで延長されるかもしれない.トランプと共和党が勝った理由は,白人以外の有権者と労働階級の有権者が――伝統的には民主党の支持基盤だったのに――トランプ支持に転じたことにある.民主党はまだヒスパニック系・黒人・アジア系の有権者を全体としては勝ち取っているけれど,共和党との差は,前回選挙よりも大幅に縮まっている.その一方で,実は白人有権者の支持は改善している:
実際,出口調査によれば,トランプはヒスパニック系男性の過半数を勝ち取ってたりする.
追記: マット・イグレシアスのブログで,ジェド・コルコがこんなことを示している.ヒスパニック系が多い地域では,他の地域よりもトランプへの転換が大きかったそうだ:
「ラテンアメリカ系はいずれ共和党支持になる」というロナルド・レーガンの予言は,どうやら実現しつつあるようだ:
支持基盤の所得も,再編された.民主党は,いまや教育あるアッパーミドルと富裕層の政党だ.その一方で,中間層と労働階級への訴求力は失っている:
これまでは,こんな物語が語られてきた――「輸入されてきたマイノリティ票の大波で,白人以外の移民が人口統計的に白人アメリカ人を押し流している.」 それも,この結果でおおよそ打ち壊されている.実際,これは当 Noahpinion のゲスト寄稿者 Wally Nowinski の主張を裏打ちしている.彼によれば,今回みたいに投票率の高い選挙は,いまや共和党の有利にはたらいている.なぜなら,投票率を追加で上げる有権者は労働階級アメリカ人やヒスパニック系アメリカ人で,彼らはいまや右寄りになっているからだ.
そのうち,共和党もこのことに気づくだろう.アメリカの人種構成の未来についてこれまでほど不安を覚えなくなってくれたらありがたい.さらには,投票を困難にするどんな試みも,他でもなく自分たちの支持基盤に偏って影響をおよぼすせいで,今後は自分たちの損になるってことにも気づいてほしいところだ.
こういうことに気づいて納得がいくまでには時間がかかるだろうけれど,最終的には,この効果はアメリカの民主制にとってとてもよろこばしいことになりうる.ニクソンやレーガンの時代には,共和党は民主制そのものについてまったく気に病んでなんていなかった――民主制が自分たちの側にあるのが明白だったからだ.2004年の時点でも,共和党は「中道右派」に位置していると自認できていた.さて,低所得層アメリカ人とヒスパニック系男性の力を得てトランプが勝利したいま,共和党が「民主制ってゲームでも自分たちはいまだに勝てるんだ」と納得してくれればありがたい.
民主制では,「組織的な抵抗ではなく説得によって自分たちは勝利できる」と二大政党の双方が信じている必要がある.そして,2024年に,共和党がいまなお勝利できることが明らかになった――もっとも,その説得の手法がこれほど功を奏してくれなかった方が,ぼくとしてはうれしかったんだけど.
今回の結果を楽観的に解釈したいなら,これがその一案だ.
さて,今回のガッカリな選挙結果から,ぼくらは他にどんな重要な教訓を得られるだろう? 今回の記事のタイトルを「トランプ勝利の理由」にしなかったのは,実のところ納得できる答えを自分は持ち合わせていないと思ってるからだ――ぼくは政治学者じゃないし,政治評論家ですらない.というか,トランプ勝利の理由はおそらくひとつきりではなくて,たくさんある.
それに,「俺が提案してる政策の優先事項に耳を貸してさえいれば,こんなことにならなかったのに」なんて言ってる評論家たちの仲間入りをするつもりもない.というか,他でもないこのぼくの政策優先事項を気にかけてるアメリカ人なんて,いないも同然だ.ぼくにとってとりわけ重要な問題は,産業政策と民主国優先の外交政策だ.こういう問題をもっと強調して,もっと取り組んでいればハリス勝利の推進力になっただろうなんて,だんじて思わない.(むしろ逆効果になったんじゃないかな.有権者はとにかく気にしてないと思う.)
ただ,今回の選挙からすでに学べる重要な教訓はいくつかあると思う.とくに,経済と政治の交差部分に,それはある.具体的には,3つの大教訓をぼくは考えてる:
アイデンティティ政治(帰属集団本位の政治)では,人種集団を同質の「共同体(コミュニティ)」ととらえて,集団としての苦情に訴えるべく照準を合わせる.でも,アイデンティティ政治は,ヒスパニック有権者を勝ち取るのに効果的な方法ではない(おそらく,アジア系についても同様だ).
人々は失業率よりもインフレの方を気に病んでる.
教育ある専門職階級は,他の同胞たちの実情から危険なまでに遊離している.
この3点をまとめてひとつの記事で書くのはやめておいて,三つの記事に分割する.どの教訓も大事だと思っているからだ.今日は,すでに出口調査で人種別・階級別の投票の内訳も見てもらったことだし,アイデンティティ政治がいかに民主党を損なっているかという話をしよう.このアプローチは,根っこから考え直す必要がある.
アメリカ人はそれぞれ個人であって,「共同体」からニョキニョキ生えてる枝葉じゃない
2010年代には,アイデンティティ政治をめぐって大論争があった.フランシス・フクヤマのような学者たちはこう警告していた――アメリカの有権者たちを,人種で分断された集団の寄せ集めとして扱うのは,民主制を損なうぞ.ステイシー・エイブラムズをはじめとする進歩派の著作者たちはフクヤマにこう反論した.「あらゆる政治は,アイデンティティ政治だ.民主党は人種にもとづく訴求を続けるべきだ.」
エイブラムズその他の面々は表面的な定義問題では正しかった.つまり,より大きな集団・運動・思想への人々の個人的な帰属意識が――彼ら個々人の経済的利害よりも――彼らの政治行動の多くを突き動かしている,という点は正しかった.なんといっても,かりに人間が合理的に計算する機械だったとしたら,そもそも投票なんてしないだろう.一票で選挙結果が左右される確率なんて,とんでもなく低いんだから [n.1].
でも,2024年選挙では,ヒスパニック系とアジア系の有権者たちが,自分たちが属すと世間で思われてる人種集団にもとづいて訴求されるのをのぞんでいないのが明らだった――2020年選挙ですらも,それは明らかだった.たとえば,南米からの「亡命希望者」たちに対する緩い政策も,多くのヒスパニック系に受けているようには思えない:
「不法移民や準合法的な移民に対して緩い政策をとれば,流入してくるラテンアメリカ系の支持を勝ち取れるだろう」という考えの根っこには,「ヒスパニック系アメリカ人は,自分と同じ人種の人々と強く同族意識をもっている」という発想がある.政治学者たちは,これを「連帯運命論」(”linked fate”) と呼ぶ.
人種集団を「共同体(コミュニティ)」と呼ぶとき,民主党は明らかにこの理論にもとづいている.この用語は,民主党から発せられる言葉のいたるところに現れるようになっている――たとえば,ハリスが「ラテンアメリカ系コミュニティのために経済方針」について語っているのが,その一例だ.
でも,人種は共同体じゃない.アメリカは,1930年代の都市みたいに分断されてなんかいない.その昔は,黒人はゲットーに暮らし,中国系はチャイナタウンにいて,イタリア系はリトルイタリーにいるといった具合に,互いに隔離されていた.でも,いまはそうじゃない.ヒスパニック系とアジア系は,自分たちの人種の人々と「連帯運命」の感覚を共有しているかもしれないけれど,それだって,彼らが気にかけているいろんなことのなかのひとつでしかないし,もしかすると重視されてもいないかもしれない.
これには,大きな例外がある.言わずと知れた,黒人アメリカ人たちだ.トランプが黒人男性にいくらか食い込んではいるとはいえ,彼らは,いまも大半が人種的なブロックのように投票している.明らかに,「アメリカで人種がらみの政治がどう機能しているか」に関する民主党の考え方にこのことが影響をおよぼしている.それで,民主党は,同じメンタルモデルをヒスパニック系とアジア系にも当てはめようとしてきた.この点はカリフォルニアで顕著で,「ブラック・アンド・ブラウン」という言葉はしょっちゅう飛び交っていたそうだ [n.2].
でも,これはうまくいっていない.というか,逆効果になってる.最近出た d’Urso & Roman の論文では,”Latinx”(ラテンアメリカ系の)という言葉を使うほど,ヒスパニック系が共和党に投じる票数が馬鹿にならないほど増えていたのが見出されている.
この研究結果の一般的な解釈(論文の著者たちが論じている解釈)では,多くのラテンアメリカ系は保守的で,そのため,「反 LGBTQ+」のラベルに影響されやすいのだと見る.ぼくは,この解釈に強く懐疑的だ.すごく教育があって進歩主義色の強い小さな界隈から外に出たら,いったいどれくらいの人たちが “Latinx” の “x” が性的マイノリティを包摂するために付けられてるなんて知ってる? おそらく,この言葉に不快感を覚えがちな人たちのほぼ誰ひとり,そんな事情なんて認識してすらいない.
そのかわりに,彼らが耳にしているのは,たんにこういう話だ――「どっかの誰かが妙なラベルをつくりだして,そいつをこっちに当てはめてるんだってさ.」 これは,社会学者のいう「帰属」というやつだ.誰かが他人を分類する人種カテゴリーをつくりだし,当の本人たちの合意もなく,そこにまとめて押し込めるんだ.「オッカムの剃刀」方式でごく単純にヒスパニック系が “Latinx” を毛嫌いしている理由を説明するなら,この用語が彼らをマイノリティ扱いしているからだ――”Latinx” というラベルは,彼らが特別な「共同体(コミュニティ)」だと宣言して,他のアメリカ人たちから区別しているんだ.
いろんなアメリカ人を各種の「共同体(コミュニティ)」に分類して,そう呼びかけるとき,民主党としては,相手を排除する目的なんてなく,相手に報いようと思ってる――政府の政策によって,特別な恩恵や優遇を相手に渡そうというのが,民主党の目的だ.たとえば,”HSI” すなわち「ヒスパニック系支援組織」(Hispanic-Serving Institutions”) を対象に政府の支援を与えることを軸にした政策をバイデン政権はとっていた.「ヒスパニック系支援組織」とは,ようするにヒスパニック系の人たちがおおぜい通う傾向のある大学のことだ.ハリスも,ヒスパニック系住民への融資を増やすよう小規模銀行を奨励する計画をもっていた.
これの根本部分は,利益誘導型政治モデルだ――歴史的に,都市部の組織票政治の多くで主流だった見返りを約束するタイプの政治に似ている.かつてのタマニー・ホール時代に見られた集団への利益供与の本能が今日の民主党にまで受け継がれているのかどうか,ぼくにはよくわからない.ただ,カリフォルニア各地の都市で行われている,優遇する非営利団体に現金を配るやり方とはっきり似ている――とくに,当該の人種的な「コミュニティ」を支援すると主張する大学・銀行・非営利団体その他を対象にしている場合が多いのを見るにつけ,その感は強まる.
でも,このアプローチには目立った欠点がある.まず,都市の場合とちがって,特定集団を対象にした施策は,広く市民全体には意識されない.フィラデルフィア州プエルトリコの有権者が “HSI” なんて耳にしても,いったいなんのことやらちんぷんかんぷんだろう.でも,もっと根本の問題として,当のヒスパニック系アメリカ人たちの大半も含めて,たいていのアメリカ人は人種の「コミュニティ」の一員としてではなく個々人として扱われる方を望むだろう.
アイデンティティ政治とマイノリティ化
アイデンティティにはいろんな構成要素がある.このぼくだったら,アメリカ人,テキサス人,リベラル,うさぎの飼い主,作家,オタク,Ph.D 持ち,SFファン,ユダヤ人,白人,リトアニア系アメリカ人などなどを自認している [n.3].もしも政治家たちがもっぱら「ユダヤ系コミュニティ」の一員としてのぼくに語りかけてきたら,ぼくはゲンナリする.なぜって,ユダヤ系という構成要素でノア・スミスを定義してほしくないときだってあるからだ.「ユダヤ系」の要素を拒絶はしないけれど,ユダヤ系の一点張りに還元されるのはごめんだ.また,もしも政治家たちがユダヤ系に恩恵を与えるユダヤ系組織を対象とした政策でぼくに訴求しようと試みたら,そういう恩恵を受け入れるかどうかでちょっと葛藤してしまう.それだと,他にもたくさんあるなかのひとつにすぎないアイデンティティを優先するように,ぼくを狭い枠に押し込むことになるからだ.
いっそう根本的な話をすると,たえずマイノリティ扱いされると――自分のことをなによりユダヤ人だと考えてアメリカ人であることを二の次にするよう言われると――自分の仲間だと考える人たちの輪を狭めるように圧を感じてしまう.ぼくは自分をなによりアメリカ人だと考えている.だから,この第一のアイデンティティで共通している他の3億3000万人の人たちを自分の「チーム」のように感じている.でも,かりに自分のことをなによりもまずユダヤ人だと考えなくちゃいけなくなったら,ぼくの仲間の輪はたった 1600万人にまで縮んでしまう.その人たちのほぼ誰一人として,ぼくの近所には暮らしていない.そうなると,ぼくは孤立感を覚えるだろうし,行く先々にいる非ユダヤ系アメリカ人たち3億2300万人がはたしてぼくの最善の利益を考えてくれるのやら,疑問に思いはじめてしまいかねない.
言い換えると,自分の同胞,隣人たちから隔離されるのは,一般的にのぞましいことじゃない.優遇措置がその理由だとしても,うれしくはないんだよ.
多くのヒスパニック系アメリカ人も,同じように感じてるんじゃないだろうか.ヒスパニック系の人たちとたびたびおしゃべりを交わしたり(覚えてるかな,ぼくは人生の大半をテキサスとカリフォルニアで過ごしてきたんだよ),『多様性の背理』,『新しいアメリカ人たち』,『人口構成の大錯覚』といった本を読んだりしたおかげで,次の点ははっきりしているように思う――たいていの人たちは,自分のことをふつうのアメリカ人だと思う方を好む.べつに,自分の家系の出身国や民族的アイデンティティをすっぱり忘れるとかないがしろにするってことじゃなく,ただ,アメリカ人であることを第一にしたいと考えてるんだ.〔書名が上がっている三冊はいずれも未邦訳のもよう.〕
2010年代の進歩派運動では,「それは悪いことだぞ」とさんざん言われていた.進歩派の界隈では「同化」は汚れた言葉になり,カリフォルニア大学では「アメリカのことを『坩堝』と呼ばないように」と教職員が指示された.ここで暗黙に想定されているのは,こういうことだ.「どれか選べるなら,人々は自分の人種的・民族的なんアイデンティティを優先するはずだ」「有色人種の人たちがそうしていないのは,ひとえに,アメリカのいろんな制度――あるいは白人たち――から来る強制的な同調圧力のせいにほかならない.」アイデンティティ政治を歓迎して,人種的「コミュニティ」を対象に応援の修辞と具体的な物質的な便宜を提供する民主党の習慣は,同化圧力に対抗する方法だと考えられていた.
これに対抗する保守の物語では,こう語られた.「かつて人種関係は良好だったのに,進歩派どもがアメリカのなにもかもを人種問題にしはじめてダメになった.」 保守の人たちは,しょっちゅうぼくにこのグラフを送ってよこす:
これは強力な主張だ.本当に構造的な人種差別が2014年以前に定着していたのなら,どうして大人の黒人の3分の2が「人種関係は良好だった」と答えてるんだろうね? 進歩派はいろいろと言うけれど,ようするに,「黒人は事実上の強要によってこう言わされているんだ」――というか,「考えさせられている」かな? 一方,保守派の物語では,「しょっちゅうなにかにつけてみんなに人種を考えさせることで,人種関係を悪化させることになった」と語られている.
このどちらの物語も,いまいち的外れじゃないかと思う.ただ,保守派の物語の方が事実に近そうだ.人種の分断と人種の衝突をいっそう目立たせていくと,人々は隣人たちへの不信感を募らせてしまう.それに,どちらの側も2010年代にこれに手を染めたとはいえ,この点に関して進歩派の方がはるかに熱狂的で有無を言わせない強引な動きをしていた.
本質的に,2010年代の進歩主義はアメリカ社会を一種の身分社会に変えようとしていた.〔その身分社会が実現すると〕そこでは,人々の権利・特権・社会的な役割は,それぞれのアイデンティティ集団に媒介されることになる.教員や校長にどんな待遇を受けるか,法律との関係,どんな大学に進学できるか,どういう種類のパーティに参加できるか,どんな仕事に雇ってもらえるか,上司が職場で自分をどう扱うか,政府からどういう種類の支援・給付を期待できるか,ひいては,道で人々が自分とどうすれ違うかまで,ぜんぶ,個人としての行動ではなく,生まれついての人種によって決定されることになるんだ.
こういう人種にもとづく社会関係を強制する働きをするのが,DEI部署〔多様性・公平性・包摂性を推進する部署〕,訴訟,社会的な晒し上げ,失職などなどの組み合わせだった.さらに,イブラム・X・ケンディは,全体主義的な措置すら提案していた.「反人種差別省」を憲法で義務化して,社会のあらゆるレベルで人種にもとづく社会関係を強制しようという案だ.それもひとえに「構造的な人種差別」の根絶を大義名分に掲げてのことだけれど,いったいそれがなんのことなのやら,質問されてもケンディは定義すらできなかった.
民主党の政治家たちは,この未来像を全面的に受け入れはしなかった.2020年~2021年にすらだ.こうしたアイディアの一部は2020年~21年に試されたけれど,やってみたとたんに失敗して,その過程でほぼ誰もを怒らせてしまった.2024年までに,人種本位のアメリカ未来像からカマラ・ハリスはかなり強く距離をとるようになっていた.
でも,それは小さすぎ,遅すぎだった.2014年以前の世間に行き渡っていた個人本位のアメリカの姿を人々は覚えているし,2014年~21年の強烈な人種意識も覚えている.人々は,どっちが好みだったかわかってる.民主党は,ひと頃の「意識高い」(ウォークな)修辞の多くを捨て去ったけれど,特定の「コミュニティ」を対象にした政治のやり方はいまも続いている.それを見て,人々は2014年~21年の人種対立のろくでもない記憶を呼び覚まされているんじゃないかと,ぼくは思う.
ここまで長々と書いてきたけれど,つまるところはこういう話だ.民主党の人種を対象にしたやり方で,おそらく多くのヒスパニック系の人たちは自分の国にいるのに特別視されて疎外される思いをしたんだろう.その目的が,彼らを助けることにあったとしてもね.
ただ,それで話が終わりはしない.民主党のアイデンティティ政治は,多くのヒスパニック系住民にとってアメリカ経験の軸だった物語に強く反している.
ヒスパニック系有権者の物語は,アメリカン・ドリームを軸にしている
ヒスパニック系アメリカ人たちの大半に共通している経験があるとすれば,それは,移民経験だ.移民たちは,よりよい暮らし向きに移りやすく機会にめぐまれるアメリカン・ドリームを求めて,アメリカにやってくる.そして,たいてい,それを実現している.移民の子供たちは,親よりも多く稼ぐようになる傾向があるし,さらに孫たちになるといっそう稼ぐようになりがちだ.
これが,たいていの移民集団がたどった筋道だ――アイルランド系も,イタリア系も,リトアニア系も,中国系も,そうだった.いっとき,「ヒスパニック系はちがう」という主張もあった.「ヒスパニック系は,いつまでたってもアメリカン・ドリームから排除されるだろう」という主張だ.それは当たらなかった.
多くのヒスパニック系アメリカ人たちにとって,アメリカで暮らして顕著だった経験は,人種による排除ではなくて,よりよい暮らし向きへの経済的な上昇移動と社会的な包摂だった.経済学者たちの研究では,ヒスパニック系の所得もあらゆる世代で白人の水準に合流しつつあることが見出されている.新たにやってきたばかりの貧しい移民たちに起因する構成効果を考慮に入れて統制すると,世代をこえて所得が収束していく強い傾向が見られる.
それどころか,移民流入が継続することによる構成効果があるにも関わらず,今世紀に入ってからアメリカでヒスパニック系の賃金は白人の賃金よりも急速な伸びを見せている:
各種の調査で,長らくヒスパニック系のあいだで経済面の楽観が広く見出されているのも納得だ.ヒスパニック系の人々は,教育の階梯を登ってきている:
ヒスパニック系の自宅所有率も力強く伸びてきている.それに,ヒスパニック系が事業を始める率はとても高い:
言い換えると,ヒスパニック系アメリカ人がたどっている経済面の経路は,イタリア系やアイルランド系のアメリカ人たちがかつてたどったのとかなり似ているんだ.
2010年代に,一部の進歩派界隈では,こういう成功について語るのもタブーになった.カリフォルニア大学の2015年言論表現ガイドラインでは,教職員たちにこう指示している――「アメリカは機会の国だ」と発言しないこと.これは人種差別的な発言だとみなされた.なぜって,アメリカは機会の国だって言うと,多くのマイノリティ集団が直面している経済面の排除を矮小化することになると考えられていたからだ.
でも,事実,アメリカは機会の国だ.とくに,移民とその子供たちにとってはなおさらにそうだ.大まかに言って,ヒスパニック系アメリカ人は上方移動しやすさの恩恵をもっとも受けてきた――彼らはすごく勤勉に働いて,学校に通い,事業を立ち上げ,英語を身につけ,やるべき責務をぜんぶ果たしてきた.そして,アメリカは彼らに報いて,経済的な成功と社会的統合をもたらした.
こうして自力でかちとった成功に比べて,人種本位の優遇措置は――DEI やアファーマティブアクションや政府契約での優遇措置などなどは――基本的に,お情けのブービー賞だ.そりゃまあ,たまには,ラテンアメリカ系の成功を加速する一助になっている場合も現実にある.でも,ああいう優遇措置が提供されているという事実そのものが――そして民主党がそれらを一時的なものではなく恒久的な政策と考えているらしいことが――こんなメッセージを送ってしまう.「ヒスパニック系のの人々は,恒久的に,人種本位で扱われ,排除され,周縁化された集団だ.」 このメッセージがはっきりと言葉で発せられることもよくある――民主党員や進歩派が「周縁化された集団」について語るとき――しょっちゅう語ってる――この用語にはヒスパニック系も含まれていると理解されている.
周縁化された集団になるのなんて,単純に,誰のアメリカン・ドリームにも入っていない.
民主党にとって厄介なことに,黒人有権者の場合には,このアプローチはおおよそ効果的だったんだよね――少なくとも,黒人有権者を疎外はしなかった.「ヒスパニック系有権者の場合には同じ手は効果を上げそうにない」と納得するのは民主党にとって難しいだろう.これほど長い間,「効果がある」と信じて過ごしてきたわけだからね.でも,2024年選挙と,ここ数回の選挙の傾向を見れば,明らかだ.この2つの集団に同じアプローチが効果を上げるわけじゃない.
アイデンティティ政治のあと
アイデンティティ政治が功を奏して,民主党は黒人票の圧倒的多数を確保できている.だから,これがずっと続くんじゃないかとぼくは思ってる.でも,黒人有権者は有権者全体のなかで割と小さいし,これからだんだん縮小していく.しかも,黒人票でもアイデンティティ政治の力はちょっと衰えつつあるかもしれない.その一方で,ヒスパニック系有権者,アジア系有権者,中東系有権者が,未来を担うことになる.こうした集団は,どれも上方移動が堅調で,アメリカン・ドリームを追求して自らの意思でアメリカにやってきた人たちの子孫が大半を占めている.エスニック・スタディーズの教授たちや進歩派の活動家たちは「中国人排斥法」やら「9/11以後のイスラム恐怖症」やらについてこんこんと語ってくれるだろうけれど,ヒスパニック系・アジア系・中東系のアメリカ人たちには,〔黒人の経験してきた〕奴隷制と人種隔離に相当するものはまったくない.〔※エスニック・スタディーズはたんなるマイノリティ民族集団の研究ではなく左翼的な批判理論を基調にした分野〕
民主党は,アイデンティティ政治からきびすを返して遠ざかる必要がある.かといって,一部の人たちが提案しているような階級本位の政治も,助けにはならないだろう.おそらくバイデンは20世紀中盤いらい誰よりも労組に親和的で労働者寄りのアメリカ大統領だった.それでも,著名な労働組合のなかには,ハリス支持を拒否するところもあった.
そのかわりに,民主党は世間に送るメッセージを軌道修正する必要がある.かつてのニューディール時代と同じように,そしておそらくクリントンとオバマの時代もそうだったように,アメリカ人としてのアイデンティティについて語るように転換する必要がある.実はハリスもこの正しい方向へ何歩か踏み出したとぼくは思っているけれど,それでは足りなかったし,まるっきり遅きに失した――それに,おそらくハリスはこのアイディアを売り込むのにはふさわしくない人物だ.ぼくから助言を送るなら,「落胆しないで.続けてがんばってみようよ.」――ウォルター・モンデール〔1984年大統領候補〕もマイケル・デュカキス〔1988年大統領候補〕も中道的で前向きなメッセージを送りながらも大敗を喫したけれど,その後,ビル・クリントンがついにそのアプローチを機能させるやり方を見つけ出した.
共和党は,いずれなにかやらかす.トランプは高齢だし,彼を取り巻いてる面々にはバカとロクでなしが多い.それに,トランプの経済政策プログラムは一種のどん詰まりだ.どこかの時点で,共和党のやらかしからの救いの手を求めて,アメリカは再び民主党にお呼びをかける.ちょうど,2008年や1992年にそうしたようにね.2010年代のアイデンティティ政治を手放しておけば,いずれ必ず来る要請に応えやすくなる.なぜって,とにかくアレはものの役に立ってないんだもの.
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原註
[n.1] 実際にはどうなるかと言うと,有権者数がだんだん減っていって,ついには投票が少ないあまりにたった一票が決定打になる確率が高くなり,有権者は投票に出かけるかどうかをランダムに決めるようになるだろう.もちろん,これは馬鹿げた空想だ.人間はそんな風に行動しないからね.
[n.2] このフレーズ “Black and brown” で黒人の “Black” は大文字なのに「茶色」の “brown” はそうじゃない点に注目.進歩派たちはまさにこう書いてるんだよ.なんでそうするかと言うと,理由は学術理論にある―― “Black” は成員たちがみずから選んだアイデンティティ集団を表すという話になっている一方で,”brown” と “white” は外部から押しつけられた帰属用語だという理論になっている.2024年のクロス集計を見ると,この区別にはちょっとだけ裏付けがあるけれど,このヘンテコな大文字表記はいまだに珍しいし世間から遊離してる.このブログでは,『ブルームバーグ』や『ワシントンポスト』と同じように “White” も “Black” も大文字表記している.ただ,たまにうっかり大文字にし忘れることもある.この手のことを気にしてないからだ.みんながこういうのに無関心になった方が,国がもっとよくなるんじゃないかって思う.
[n.3] これらをだいたい重要度順に並べようとしてみたけれど,実際には状況しだいで変わるね.
[Noah Smith, “Identity politics isn't working,” Noahpinion, November 7, 2024]
訳者:optical_frog