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読解力が上がったのか感性が鈍ったのか

コンペのために久しぶりに銀河鉄道の夜を読んだ。ロリータも読みたかったけど
7/9にコンペがあることをKさんに教えてもらいその後もプラプラしてたので本屋さんにはなかった。

銀河鉄道の夜、中学生の頃読書感想文も書いたので結構セリフも覚えていたのにびっくりした。漫画化もされていたので珍しく自分のお金で買った漫画もあった。

書 名/銀河鉄道の夜
 作 画/片山 愁
 発行年/1996年7月15日
 発行所/角川書店

ますむらひろしさんのは実は読んだことがない。アタゴオル玉手箱は得体の知れないメビウスっぽさが好きだったけど。
改めて読んでみたら、なんかBLだなこれは。と感じて大人の薄汚れた感性になってしまったとちょっとがっくりした。

しかし、中学生の頃に分からなかった視点があった。

というのはいじめっ子ザネリの存在だ。
普通のBL展開だったら、例えばジョバンニがザネリをはじめとするクラスメイトにラッコの上着が来るぞ、とからかわれたときに、颯爽とジョバンニを庇うなりしてもよいはずだけど、カムパネルラは気の毒そうに見ているだけ。よく言えば争いを好まない平和主義だけど、クラスメイトを敵にまわす勇気がない、ことなかれ主義のようにも見える。

ところがどっこい、カムパネルラはいじめっ子の主犯格であるザネリが溺れたときにそれを助け、自らは犠牲になる。

最初の日和見主義の彼からは予想もつかない行動だ。BL的にも主人公をいじめるいじめっ子を助けて死ぬという展開はおいしいところが一個もない。

しかし、あとからよくカムパネルラの心理を考えてみると、この子は日頃から自分の日和見主義やクラスメイトを敵にまわしてまでジョバンニとの友情をつらぬく勇気が自分にないことで彼なりに悩んでいたのではないかな?と思った。

そして彼なりの勇気を示す方法が、まるで飛ぶ教室で金髪の男の子が傘を持って飛び降りるように、溺れたいじめっ子を助ける、という行為だったのではないか。

そして、おそらくザネリはこの事件というか事故のあとにジョバンニをからかうことは二度とないだろう。
私の経験からすると、人間は何か間違いや罪を指摘されたり責められる時より、許してもらったり、助けてもらったりしたときにまるで目から鱗が落ちるように自分の愚かさをまじまじと見つめることができる。

この事故のあとに残されたザネリとジョバンニの関係はそれまでとは全く違うものになる気がする。

カムパネルラは自分を犠牲にすることで、ザネリ1人を悪者にすることなく、ジョバンニが最終的にいじめられなくなる状況をつくっている。
すごい屈折したというか、発想が斜め上どころか90度で2回折り返したような愛情表現だなぁとも思う。

輪るピングドラムというアニメを見たときにも感じたけど。

ジョバンニの、カムパネルラが他の女の子と話してる時に嫉妬したり、若干アスペルガーぽいが繊細でわかりやすい感情表現に比べて、いまいち言動神すぎてカムパネルラの心理がよく分からないと中学生のときの私は思っていたけど、20年経ってやっとカムパネルラの心理にまで考えが及ぶようになった。でもまだ長くて飛ばして読んでる部分あるから、あと20年経ったらもう少し理解が進むかもしれない。

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