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乳首について考えたこと諸々

初対面で、「よろちくび!」って言ってくる人にどう対処しようか考えている。いや、今までまだそういう人には会ったことがないのだけど。

自分は小学生くらいの子どもの頃はショートカットだったので、割と男の子か女の子かわからないことが多くて、間違われることもあったんだけど、記憶に残っているのは、

コンビニで雑誌を立ち読みしていた知らないおじさんが、すれ違いざまいきなり私にエロい雑誌を笑顔で見せてきたことがあった。おっぱいをさらけ出した女性の写真が掲載されていた。おじさんはいかにも「ぐへへへ」って感じだった。

その時の私は混乱していて、なんせそれまでエロい雑誌をいきなり知らない人に見せられたことがなかったので、どう対処したらいいかわからなかったので、とりあえずムッとした顔をして無言で立ち去った。

その時に、まず怒りが発生したのだが、その理由は主に二つある。まず第一に、

知らない人にいきなり自分が見たい訳ではない雑誌を見せつけられたのも不快だったし、第二に、小学生の私はよく男の子と間違われたので、このおじさんは私が男の子だと思ってその雑誌を見せたのか、女の子と思って見せたのか、いずれにしても、どちらにしてもムカつく!ということだった。満たされなかったニーズ としては、自由意思、選択、安全、尊重、誠実さなどだろうか。

最近、緊急事態宣言で子どもたちが家にいるので、海まで散歩するのだけど、湘南、特に茅ヶ崎ではおじいさんが日常的に上半身裸で歩いている。これは見慣れた風景で、そのおじいさん達には別に怒りは感じない。よく晴れた日ほどそういう光景を見かけるので、太陽を浴びる健康法なのかな?と思う。

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あのコンビニのおじさんとの違いは何かと思う。一つは、日光浴のおじいさんたちはあくまで自分のためにしていて、コンビニのおじさんは私の反応を見て楽しんでいたということだ。日光浴のおじいさんは自分の快のためにしていて、周りの反応を特に気にしていない。自分が心地よいかそうでないかを自分で世話をしていて、周りの反応を必要としていなかった。

コンビニのおっさんはエロ雑誌を自分で楽しむのは大いにやってもらって結構であるが、私を巻き込まないで欲しかった。その喜びは別にシェアしたくなかった。しかも嫌なのが、多分私が子どもだからそういうことをしてきたんだろうなということだ。大人になった私が今同じことをされたら、どう対応しようか、考えている。

「女性のおっぱいが好きなんですね。おめでとうございます。私にそれを見せた意図はなんですか??女性のおっぱいの美しさをお祝いしたいのですか?」とでも言おうか。

世の中の、下ネタを言う人の心理として、言われた方が混乱し、恥じらう姿、表情を見るのが楽しいというのがあると思う。子どもが「うんこ」や「おしっこ」とかを好んで言って大人の反応を見るのと似ている。

どうして女性はおっぱいがあることを「恥じらわ」なければいけないのだろうか?この植え付けられた「恥」をどう扱っていったらいいのだろうか?どうして隠したり、観賞したり、讃えたり、貶したり、大きさや形を気にしないといけないのだろうか?クジャクの羽のように、大きくて立派だと子孫を残すのに有利だったりするのだろうか?あと、市役所とか駅前のビルの彫像で女性の裸体はあるのに、おっさんの裸体の彫像があんまりないのはなんで??

端的に考えたら、女性の体の丸くて柔らかい感じのが自然と美しいと感じ創作意欲が湧くのだろう。ミューズという言葉もあるくらいだし。それほど、おっさんの裸体には美しさや魅力がないのだろうか?

そんなことを考えていて、女性が上半身をさらけだすと捕まると言うことに疑問を持つ人がやはり乳首自由化運動(Free the nipple action)という運動を起こしていた。乳首自由化運動っていう字面がちょっとおもしろい。

「よろちくび!」って言ってきた人とは、女性の乳首自由化運動について語りあってみたい。

旅の荷物の少ない友人はニップレス という乳首に貼るシールをしていて、ブラを持ち歩く心配がないのですごいなと目から鱗だったが、さらにすごくなるともはや乳首を隠そうとする気がなく、ブラなしてタンクトップそのままという人も見かける。それぐらい気にならなくなれればすごいなと思う。日本はむしろ隠す美の文化が根強くあるので、そう簡単には行かないと思うけども。。やっぱり着物を着た方がいいんだろうな。



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