
ヒプノセラピーで見たビジョン(鳥編)
寝る前は基本的に、誘導瞑想(YouTube)を聞きながら寝ます。
たまにヒプノセラピー瞑想や前世療法を聞きながら寝るのですが、うとうとしているときにはっきりとしたビジョンを見ることがあります。
夢にしてはやけにはっきりしていたりします。
そして、今の自分とは全く関係ない感じ。
今回のお話しは、そのタイプです。
前世かどうかはわかりませんけど。
南米の山々

でかでかと神々しい山々がみえる。
ほんとにデカい。
はじめはスイス?と思った。アルプスかなんかだと。
ただ、上空からの目線。
かなり上空から見ている。
鳥の目線と人の目線

村のようなものが見える。
家々が小さく、屋根が見える。
めざす家の屋根らしい。
どうも、鳥らしい。
鳥の目線らしい。
鳥の目線らしいのだが、その目線のまま、私は考えてる。
村の景色をみているうち、
どうやらここは、スイスじゃなくて南米あたりだと気づいた。
山々はアンデス?
目線は鳥のまま。
屋根の家の中に信頼できる人間がいる。
この鳥が幼いころからずっと一緒だったらしい。
絶対の信頼のような感じが伝わってくる。
ふたりの関係

家の庭?敷地内に人間がいる。
なにか作業している。
肩に丈夫そうな革でできた装備。
その上にとまらないと、この人間が自分の脚の爪で怪我をする。
鳥はその人間の肩にとまる。
気持ちが人間に切り替わる。
年齢はよくわからない。
たぶん、おじいさん。
その鳥の頭をなでている。
タカだろうか、ワシだろうか、大きな鳥だ。
おじいさんにえらくなついている。
鳥は心地よさそうに甘えている。
猛禽類なのに、人間と絶対の信頼と愛情があるようだ。
おじいさんも同様だ。
ヒナのころ拾って、ずっとおじいさんが育てたのだろう。
大きくて獰猛な鳥なのに、おじいさんに甘える仕草が可愛い。
訪れる死

場面が変わった。
鳥が死んだ。
おじいさんの家の庭に静かに横たわっていた。
おそらくは寿命だったのだと思う。
最後までおじいさんの側にいられて幸せそうだった。
眠りにつくような穏やかな死だった。
おじいさんはこの鳥を本当に可愛がっていた。
まるで自分の分身のようだった。
おじいさんは悲しそうに、鳥を抱きしめて、いつまでもその身体を撫でていた。
しばらくそうしていて、
動かない鳥を見つめてらわかったことがあった。
自分が愛してるのは、
この鳥の身体ではない。
この「鳥との関係」だ。
自分と鳥が一緒にいられた時、その場、そのフィーリングのようなものなのだということ。
鳥がいたから、生み出せた感覚。
そして、それがこの鳥との信頼関係、つまり愛のことだと感じていた。
そして自分も鳥も身体ではなく、
この関係性はその、場・フィーリングみたいなもの。
鳥がいなければ、その場、フィーリングは生み出せない。
姿形ではない。
絆そのもの。関係性。
どうも、
このおじいさんは、死んだ鳥の身体を撫でながら、そんなようなことを感じとっていたようだった。
おじいさんは、
思い出と悲しみと親しみと感謝とが
複雑に絡み合ったような気持ちを味わっていた。
悲しみは拭えないけれど、
ただ、それがわかって、なぜか清々しい気持ちになった。
しわくちゃの泣き笑い。
鳥のほうは、死の概念がないのか、いつものように眠る感覚でその生を閉じた。
鳥にとって、幸せという感覚はないようだったが、
最後までおじいさんと一緒にいた情景を記憶に焼きつけていた。
満足な生だった。
今回、見えたビジョンはそこまで。
【夢考察】想念世界
いつも思うのだけど、やっぱり意識の深いところに想念世界のようなところ(記憶だけの世界)があって、
夢や瞑想や、あるいは幽体離脱とかでここを訪れることができるのではないかと?
確証とまではいかないけれど、魂ってのは大きな記憶の貯蔵庫にもなつまていて、自分の魂のなかの、わだかまる記憶を、こうして見たい人に見せているのではないかと思ってます。
人といっても、それも記憶の一部みたいなもんなんだけど。
何回か、こういう、今の自分ではない人の視点を借りた夢やビジョンを見ていると、
かなり衝撃的なエピソードや忘れられない感情みたいなものをループして見ているようなパターンが多い気がします。
消化できない思いや、
行き場のない感情や、
理解できない死の間際や、
理解できないショックな出来事。
そういうものが、想念というのかも知れませんね。
私がこういう時見る夢やビジョンは、だいたい理不尽で理解しがたい、行き場のない感情や思いが多いです。
よくインナーチャイルドを癒すワークなどありますよね。
過去のそういったトラウマやわだかまりを見つけて浄化させるというワークのことですが、
あれって今世で生きてるうちになるべくやっといた方がいいように思いました。
そういう「重い思い」が思い残しとなり、想念となってループし続けているように思います。
もしかして、こうして別の人(私とか)がビジョンとしてみて、その感情や思いを受けとめれば、悲しくてせき止めていた感情の流れを、流してあげることができるのではないかなーと。
今の自分がそれを見るということは、
何かしらその感情に関係があるからではないかなとも感じました。
絆…関係性…フィーリング?
ちなみに今世で、
鳥が好きなのは、はるか昔、このおじいさんと鳥の思い出があるからなのかなと思ったりして。
今回は以上です。