生きる人、生かされる人

人には種類があるとつくづく思う。生きる人、生かされている人。考える人、考えない人。好かれる人、好かれない人。満足できる人、満足できない人。それは生きていくうちに何かのきっかけがあって、変わることもよくあると思う。だけど本質的な部分は、自分が生まれ育った家族・環境が一番大きいと思う。

人の価値観とは最も近い存在である親の価値観の上に形成される。生きていくうちに親以外の人と知り合い、新たな価値観を形成することがあっても、それはあくまでも親の価値観を否定した上で成り立っているものである。つまり自分の価値観が、その2種類のどちらなのかということを認識しているだけでずいぶんと生きやすくなるはずだ。

例えば、勉強をするかしないか。進学するかしないか。どんな職業につくか、どんな人と結婚するか、どんな子育てをするか。全部全部、自分の親の価値観の上で試行錯誤し、進む道にレールを敷いて、ああでもないこうでもないと考えて、人は生きていくのである。

そうして私が人生で出会った人たちを大きく2種類に分類するなら、それは生きる人と生かされる人に分けられる気がするのだ。私は割と温室育ちで、恵まれた家庭の恵まれた友人が多かった気がする。彼らのうちのほとんどの人たちは、生かされていた。

親が歩んできた道の上で、その価値観の中で、他を見ることもなく見ようとすることもなく、それがいいのだと信じ疑わずに生きる人が多かった。例えば進学するときも。例えば就職するときも。親のコネだったり親の跡継ぎだったり、立派な道が用意されていて、親の敷いたレールを走っていればみんなハッピーだから。私にはそんなレールが無いから、自分で探してきて試行錯誤して繋げてみるしかなくって、だからそんな彼らがうらやましくも思ったりもした。

ただ恵まれた環境の中であえて生きているひともいる気がした。でもそういう子は皆、どこか家族関係に不満を抱えている人が多い気もした。どこかで親と自分を切り離して、親の進んだ以外の道の可能性を見出している人がいるのだった。総じて彼らは、はたから見ると好奇心旺盛で知的でイノベーティブなんだけど、深くかかわると満たされない何かを抱えていた。恋愛面でも落ち着いた恋愛をできない人たちはこのタイプだと思う。あくまでも傾向だけど。

私は?私は前者でありたい後者だった。井の中の蛙ではないけれど、その世界だけを知って他を見ずに、ああ幸せだと思っていたかった。だけどどうしても常に私は新しい世界を右に左に上に見てしまって、レールをもってきては外し、つけかえて、方向転換して、としてしまっているのだ。はたから見れば空回りかもしれない。

私は生きる人として、生かされている人たちと同じだけの安定感を手にしたい。


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