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「きょうだい児」という言葉について

「きょうだい児」という言葉が使われるようになったのは、いつごろからだろう。
私が子供のころはもちろん、長女が生まれたころにもまだ使われていなかった。
1990年くらいから、浸透してきた言葉なのではないかと思う。

「障害児、者の兄弟姉妹の会」というのは、1963年くらいからあったから、
障害のある人の兄弟姉妹については、ずいぶん前から考えられてきたのだろう。

それは、よくわかる。
私は障害者の母であると同時に、障害のある長女以外の三人の姉妹の母であるから。
こどもたちの一人が、病気や障害あるとわかると、その家族、とくに親は天地もひっくり返る体験をする。
そうなれば、ほかのきょうだいたちも、天地もひっくり返るような体験をしている親とその状態に直面する。

親はもちろん、それまでの生活を変えざるを得なくなるが、しかし、どのように変えていいのかわからない。
試行錯誤の生活が始まる。
生活を変えることができず、考え方を変えることもできず、悲嘆の底に沈んだままの、親もいれば、逃げ出す親もいる。

自分のせいではないのに、生活や価値観がガラッと変わって戸惑うのは、障害児のきょうだいも同じである。
いや、同じどころか、なぜ、自分が障害児のいる世界に巻き込まれたのか、怒りを感じるきょうだいもいるだろう。
親よりも、もっと強い怒り。
親への怒り。
普通の暮らしがしたかったのに。

親が親の機能を果たせず、逃げ出したり、悲嘆の底に沈んだままであったら、親の役割をするヤングケアラーにならざるを得ない。
ギルバート・グレイプのように。
親が奮闘している家庭でも、どうしても障害のあるきょうだいにかかわらざるを得なくなる。
まったくもって理不尽だ。こんな家庭に生まれてさえいなければ、もっと幸せにくらせたのに。
そしてなにより、親の関心は障害児に向いたままで、きょうだいの方には向いてくれない。

あなたは一人でできるのだから、自分で生きていってね。
障害のある子には、親の支援が必要なの。
だからしょうがない。わかってね。

私の場合は、きょうだいのほうにも気を配っていたつもりだが、たぶん彼らから見れば不十分だったろう。
それでも、苦労して、成人し、独立してくれた我が家の子どもたち。
本当に、ありがとう。あなたたちは良くやってくれました。

確かに、障害児、者の親は並大抵ではない苦労をして、並大抵ではない生活を強いられる。
そして、きょうだい児も、障害児、者のいない家庭とは違う厳しい環境での生活となる。

私はいつも、苦しんでいた。
障害のある長女を育てながら、きょうだいを育てることに。
ふつうのおかあさんのようには、ふるまえないことに。

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