見出し画像

浪費の果てに

私は、ずっと、自分が貧乏性の気質を引きずっているんだと思っていた。

しかし、最近になってもう少し深い考察のなかで生まれた感覚なのだと、

自分を認めてあげることができるようなった。

20代は、多分、周囲の友達よりもお金を使い、洋服やら靴やら買っていたと思う。

自分を装飾するのに忙しかった。

吉本時代、お金がないからバイト代は生活費と洋服代で消えていく。

その分、食費をどうにか抑えるという日々(でも痩せてはいかなかった)

人前にでるから仕方ないという気持ちの一方で、

お金とは違う何かも、同時に消費されていった。

人前にでるときだけは格好をつける。

帰宅して一人になると、いつまでたっても

片づかない部屋で呆然としていただけだった。

こんな私の状況を表すように、どんどん汚くなっていく部屋。

ほっと胸を撫で下ろせるような余白なんてどこにもないような部屋。

ただただ物だけが溢れていっていた。

東京にきて十数年が過ぎた。

これまでの殺伐とした生活が、急激に変化した。

仕事を辞め、また新しい仕事に就き、引っ越しをして結婚をする。

この過程で、私は、本当に自分が必要としているモノ、コトを

その都度そのつど立ちどまって考えてきた。

その選択が間違ってはいなかったと思えるような結果をだしたいと思う。

結果として、というにはあまりにも小さな範囲だが、

目に見える形で、私の周りでは「物」が減ってきている。

その変わり、本当に気に入っているものは私のすぐそばに必ず在る状態だ。

センスよく部屋に配置したり、模様替えをする、、、ところまでは

たどり着いていなくても、物が少ない分、余白ができた空間には

今まで感じえたことのない、ゆったりとした時間が流れているように

思えて、ホワホワと心が温まってくる。

ほんの何か月か前までは、

「売り場で、これは私にとって本当に必要なのか?

と考えてる私って、わざと物欲をおさえてるのかも」

と思っていたのだが、今は、単に出費おさえているのではなく、

自分の暮らしをさらに豊かにするための策をとっていたことがわかる。

ちょっとでも違和感を感じることがあれば、その感覚を大事にするべきだということも。

そして、それに気づかせてくれた一冊の本がある。

次回は、その本の紹介させてほしい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?