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【短編】わたしの秘密

誰にでも、人には言えない秘密がある。
コフアンちゃんは、私の秘密の一つである。

小さい頃、不安が強くなんでも怖がり、すぐに泣いてしまう私に、母が与えたのがコフアンちゃんだった。

そもそもは祖母が新しくこしらえた、人形の頭だけの針山だった。小さい私は、それをとても気に入ってしまったらしい。おかげで原型コフアンちゃんは、針山としての機能はたせなかったが、私を泣き止ませるなどの機能を果たした。

そんな事情で、母が胴体を作って出来上がったのが、コフアンちゃんだった。

「コフアンちゃん」というのは幼稚語で、「不安ちゃん」が元々の名前だったとかなかったとか、家族の記憶も曖昧だ。それほどコフアンちゃんは、私と長い付き合いなのだ。

もう三十過ぎたいい大人だけど、コフアンちゃんを手放せない。寝る時は、小脇に抱えて寝るし、不安が走ると、コフアンちゃんをポケットやバッグの中で握りしめる。私の握力で、コフアンちゃんは何度も死にかけている。幼少期からの汚損〜牛乳や食べかけナポリタンへの落下から始まり、ヨダレ、コーヒーなど〜も激しい。おかげで私は、シミ抜きと裁縫の腕が鍛えられた。さすがに経年の汚れまでは落とせないから、なかなかの見た目になっているけれど。


彼氏の家から出勤した朝、電車の中で私は気づいた。コフアンちゃんを、彼氏の家に忘れたのだ。

「まずい…あんなものを知られては、非常にまずい…」

何せ、付き合い出してひと月なのに、リュウくんに知られるわけにはいかない。いや、十年経っても、なかなかの見た目のアレを見せるのには相当な勇気がいる。なのにジーザス!今朝に限って、洗面台に置きっぱなんて、分が悪すぎる。


会社には遅刻する旨を伝えて、私は引き返した。もらったばかりの合鍵をさす。開いてる。

「やばい…まだリュウくんがいる…」

私はそおっと忍び込んで、コフアンちゃんだけさらってく作戦を考えた。

それにしても、今日はなんだか、部屋が汚いな。
こんなに荒らして出て行ったっけ?

そっと洗面所に近づくと、人の気配を感じた。
「うぉっ!」という軽い悲鳴のような当惑した声が聞こえた。

ああ、もうダメだ…!
彼はコフアンちゃんに気づいてしまった。

薄汚れた人形を見て、気持ち悪がられてきっとフラれるわ…!


覚悟を決めて、洗面所をそっと覗き込む。

「!!!」

私はすぐさまくるっと後ろを向いて、息を整えた。

洗面所にいたのは、リュウくんではなかった。
靴を履いたままの、見知らぬ男。

あれは、泥棒、だ。

おそるおそる、もう一度、洗面所を覗く。
泥棒はコフアンちゃんを凝視している。
コフアンちゃんに気を取られるあまり、私には気づいていない。

私は気配を殺してすぐに外に出た。そして、震える手で人生初の110番をした。


こうして彼の家は何の被害もなく、泥棒は逮捕された。


「呪いの人形が置かれていました。
 …今日こそ遂に、ダメかもしれない、と思いました。

 泥棒稼業をこれだけ長く続けられたのには、訳があります。
 僕の直感力です。

 その僕の直感が、今日はまずいと知らせました。
 それくらいヤバい人形だったんです。

 案の定、すぐに逃げようとしたのに、ダメでした。

 逮捕は、人形の呪いだと思います」


犯人はそんな風に供述したらしい。私もその話、知っている。「呪いの人形、犯人を捕らえる」って見出しで、新聞掲載されたからだ。泣きたい。私の昔年の秘密は、公権力によって暴露された挙句、ついでに世の中にまで露出したのだ。

もちろん、家の主人であるリュウくんにも…。


コフアンちゃんが警察から帰ってきた夜、二人でリビングのテーブルの前に並んだ。テーブルにはコファンちゃんが横たわっている。

取れ掛けのボタンの目、網目の乱れたお顔、ヨレヨレのパッチワーク。頭からは、元の所有者不明な「髪の毛」が突き出ている。

これはそもそも、コフアンちゃんが針山として作られたからで、昔の人は針山に髪の毛を入れていたためだ。髪の油で針の滑りが良くなる、ということらしいが、現代では、コフアンちゃんの戦闘能力を無駄に上げる要素でしかない。


「これが呪いの人形か…」

リュウくんはまじまじと、コフアンちゃんを見た。

「これ…君の?」

遂に来た、これまで言葉を濁してきたけれど、避けられない決定的瞬間が!

「う、うん」

ああ、終わった、私の恋…。

「小さい頃から…これがないと眠れなくて…」

チラッとリュウくんを見る。リュウくんは無言だ。

「そっかー、ライナスの毛布みたいなものなんだね!」   

嘘!

「俺、本当にコフアンちゃんに感謝してる。
 君の大事なものが、僕を救ってくれたんだ!」

リュウくん…!
彼は私の秘密を受け入れてくれるどころか、むしろ、感謝してる!

「でも…悪いけど、コフアンちゃんは、ちょっと…」

リュウくんは、とても言いにくそうに、正直な感想を漏らした。

ああ、やっぱり、そうですよね…。人の反応としては、とても妥当ですよね…。絶対、引かれた。超絶、引かれた。それは当然の反応、だけど…。私は目の奥がツーンとした。

「そこで考えたんだ。これ」

リュウくんは、ピンク色のプラスチックのおもちゃを取り出した。

「お人形の、ベッド?」

それはポッポちゃんとかメルちゃんとか、「こども用の、目を開けたり閉じたりする大きな人形」が眠れるサイズの、おもちゃのベッドだった。リュウくんは恥ずかしそうに説明した。

「これ、友達の家の子からもらってきたんだ。君の大事なものだからさ、夜はここで寝かせてあげたらいいよ」

「リュウくん!」

私はリュウくんに抱きついた。なんて素敵な人なんでしょう!

「コフアンちゃんはもしかしたら、幸運の使いかもしれないわね!」

もしかしたら、コフアンちゃんとリュウくんと、3人で住む日も来るかもしれない。「頼んだぞ、コフアンちゃん!」心の中で、私はコフアンちゃんにお願いした。

(2366字)


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