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吾輩は、猫看守

ある朝起きたら、
僕は牢屋に収容されていた。


殺風景なコンクリート。


鉄格子。


寝心地の悪い毛布。

寝ぼけていて、
ボーダーの囚人服がパジャマに見えた。


「あ、あれ?」


明らかに自分の部屋じゃないことに、
びっくらこいた。



鉄格子の向こうから、
コツコツと足音が響いた。


「おはよう、朝ごはんだ」


長靴をはいた、
二足歩行の猫が、きた。




…デカイ。


「おまえ、猫か?」ってくらい、デカイ。


人間サイズのキジトラは、
牢の給仕用の枠からブリキの皿を差し込んだ。


…あまり美味しくなさそうな
オートミールのポリッジだ。



「腹が減っただろう」


これじゃ、人間とペットが逆転している…
と思ったが、

僕のおなかはタイミングよくグ〜ッと鳴った。



猫は、牢屋の前に置かれた椅子に腰掛けた。


彼は、僕の食事が終わるのを待っている風だった。


仕方ないので、
僕はポリッジを食べることにした。



8割くらい食べ終えたところで、
猫は立派な口髭をひねった。



「今日は特別に、
 食後のコーヒーも用意したぞ」



「では、いただきます」



なぜか僕は、猫に敬語で話している。



「よろしい。

 吾輩も、いただくとしよう」



猫看守は給仕さんに指を鳴らして合図し、
コーヒーを2つ、持ってこさせた。


猫は僕にインスタントコーヒーを渡すと、
明らかに香りも味も違いそうなコーヒーを
飲みはじめた。



「よし、今朝の講義をはじめよう」


「講義、ですか?」


「この講義は、
 おぬしがまっとうな人間存在に戻るべく、
 吾輩が特別に、こしらえたものだ」


猫看守は「特別に」に力を込めていった。



「あのう…
 僕は牢に入れられるようなことをしたのですか?」


猫看守はカッと目を見開き、黒目を細くした。


「わかってないのか? 自分が何をしたのか!」


心底驚いてそう言われたけど、やっぱり僕には身に覚えがない。


「ううむ、このやりとりも88回目だというのに!」


猫はまた、目を大きくして、髭をぴこぴこさせた。


「えー、88回!」


てことは、僕、記憶喪失になってるのか?


猫看守はうなった。


「毎朝、おぬしがなぜここにいるのか、
 罪状説明からはじまる。

 やっとそれを
 思い出させるところまで記憶をつなげると、
 夕方になっている。

 翌朝、今日こそはと意気込んで、
 吾輩の特別講義を始めようとすると…」



猫看守の目は、最大限に大きくなった。



「コレだ…」



ガクッと猫看守は首を垂れた。



なんてコミカルな動き…!

深刻な彼には悪いけど、
あしたのジョーにしか見えない。


僕は吹き出しそうになった。



「自分の力では何ともできないことに
 長くさらされると、
 気力はどんどん、流れてしまうものだ。


 小さな穴の開いた水槽から、
 水が漏れていくように。


 そうやって生きる気力を失ってゆくし、
 そうやって自分を損なっていく」


ああ、彼は僕のこと、そんなに深刻に思ってるのか…。

悪いことしたな…。


と、思ったら。



「簡単に言えば、
 おぬし、そういう罪状だ」


「ええっ、僕?」


思いもよらぬ罪状に、ひっくり返った。



「しかも、それって罪なの?」



猫看守は鼻をフガフガ言わせた。



「罪も罪! 大罪だ、大罪だ!」



猫看守は憤慨し、
長靴をダンダン踏み鳴らした。



「大罪な上に、このやりとりも、88回目だ!」



猫看守、おおらかなんだなあ〜。


僕がそんなことされたら、
とっくの昔に暴力沙汰になっているわ。



ここまでの忍耐力を持つ彼に
僕はいたく感心し、彼を見直した。



「あのう、僕が言うのもおこがましいんですけど」


「なんだ」


「88回も失敗されたなら、
 別なやり方をしたらいいかなと思います」


「なるほど! そうか!」



怒りだすかなと思ったけれど、
猫は希望を得たようだった。


「では、どうやったらいいんだ?」


「催眠術を使うんだ。 

   昔、マンガで読んだことがある。

 催眠術を使うと、自分の幼少期はおろか、
 前世の記憶まで思い出せるって!」


「そうか、それは良いな。おぬし、できるのか?」


「できませんね」


猫はその場にヘナヘナと座り込み、
背もたれに頭を預けた。


「私ができますよ」


お皿を下げに来た給仕のオバちゃんが、
腕を組んでフフンと言った。



「何、できるのか?」



オバちゃんは大きく頷くと、手を出した。



「あたしに5円をくれたらね。                                                                                   糸つけてプラプラして、やってみせますよ」



「5円玉!」



猫看守は目をカッと見開いた。



「いや、それは土台、無理な要求だ。                       そういう現実世界のものは、ここにはないんだ」



僕は猫看守の言うことに納得した。



「たしかにそうでしょうね」



あなたの存在自体そうですよね、

と、本当は言いたかったけど、
ちょっと攻めすぎなので、やめた。


困っている猫看守を見て、僕はちょっと考えてみた。



「5円玉がないなら、あなたの尻尾で、
 僕に催眠術をかけてみてはどうでしょうか?」


猫はシャキッと顔をもたげた。


「何!そんな方法があるのか!                                                                                吾輩の尻尾が、役に立つのだな!」



給仕のオバちゃんが感心したように言った。


「おネコ様のシッポねぇ!
 やったことないけど、挑戦してみるかね」


オバちゃんが腕をまくり、


「どれ!」



とかけ声をかけると、

猫は早速、お尻を突き出して、尻尾をユラユラさせた。



「あなたわぁ、ダンダン、
 眠、く、な、るぅ〜」


猫の尻尾ユラユラに合わせて、おばあちゃんはブツブツ言う。


提案したのは自分だけれど、
あんまりにもコントみたいでおかしすぎる…!


いよいよ笑いを堪えたところー。


「すぅー」



なかなかどうして、猫看守のシッポ催眠に、
バッチリ僕はかかってしまった。





記憶の中で、しばらく前の自分が浮き上がる。




朝起きたばかりの僕。


眠い。


やたらに眠い。



「どうして今年はこんなに眠いんだ?」



ブツブツ言いながら

ノロノロとベッドからはい出し、

ベシャベシャと顔を洗う。



洗顔料はつけない。


お肌のため?



いやいや、テレワークに変わってから、
すっかりモノグサになってしまっただけだ。



朝ごはんに、コーンフレークをガリガリ食べる。


牛乳かけるのもめんどくさくなって、
最近はやめてしまった。


着替えはしない。


ウェブ会議もほとんどないし、
電話での接触は上司への業務進捗報告のみ。



もうどうせ誰にも会わないのだから、
パジャマと部屋着を分けるのもめんどくさい。



朝も夜も、同じ部屋着。



ナントカ、シャワーは浴びるので、
そのタイミングで着替えるだけ。




そうだった、僕はこんな感じの暮らしをしていた。





そのうち、朝9時の始業に間に合わなくなってきた。

眠いのだ。


夜更かししてるから?

いいや、夜は10時には寝てる。


毎日8時間以上寝てるのに、
眠くて眠くて仕方ないのだ。



催眠の中でハタから見る僕の目は、
廃人のように濁っていた。


まるで何かに取り憑かれたみたいに、
淀んだ重々しい空気を、

肩に、

首に、

背中に、

背負っている。


得体の知れない淀みは、
僕を押し潰し、僕の生気を吸いとっていく。


「これか…!」


白昼夢のような回想から、
僕は現在に意識を戻した。

僕はようやく、
自分がどうなっていたのか気づいたし、
どれだけ危機的状態だったかもわかった。

肉体は生きているけれども、
精神は別なものに支配されかけている!



「まずい!

 こんな状態じゃ、僕の心は蝕まれてしまう!」



冷や汗がドッと吹き出した。


「看守!ヤバいです!

 一刻も早くなんとかしないと!」


すがるように猫看守に救いを求めたのだが。



「あ、あれ…?」


猫は、晴れやかな顔で口角を上げ、
目をキラキラさせていた。



「おお、神よ!

 今日はものの30分でここまで来られました!」



看守猫はダンダンと足を踏み鳴らした。


「えー?」


「うむ、おぬしのやり方は聡明であった!

 我々は、新たなパラレルワールドに入った!」



そう、彼は既に、
この話を88回も聞いていたのだ。



「うむ、やはり、コーヒーが効いたのだな!

 やはりパターンブレークは、
 違うパラレルワールドを作るのだな!」



興奮する猫を尻目に、
たしかに「今日は特別に」と言っていたな、
と、僕は思った。



「どうだ? 続きは、見えるか?」


猫は鼻息荒く、続きを迫った。


彼には考えがあるようだった。



僕はまた、少し息を整えた。

そして、今と過去が重なるポイントを探した。




ユラユラと、広大な草原のイメージが見えた。


そうだ、本来、
心というのは、とても広大なものだ。


地平線が見えないほど、広がりのあるもの。


広々していて、なんて気持ちがいいんだろう。



「あれ?」


急に日差しが遮られ、
みるみるうちに雲行きが怪しくなってきた。



ドーン、ドドーンと、地面が揺れた。


降ってきたのは雨ではなく、
無数の分厚い石の壁だった。



僕の周りは見事に石壁で囲まれ、
草原は足元ほどしか見えなくなった。



僕の心も大きく揺れていた。



自分ではどうしようもできないことにぶつかると、
心の広がりを、保てなくなる。



この状態から抜けたい。


でも、抜けられない。


抜ける見通しもつかない。



こんな風にロックダウンされてしまうと、
心は、行き場を失ってしまう。



本来、心は、広大なものなのに。



僕は不安におののいて、すごく抵抗していたけれど、
石壁はびくりともしない。



やがて、


「出たい」


「出られない」


という葛藤にも疲れてきたようだった。




僕は、僕を、喪いはじめる。



「ああ、わからない」


「わからないから、何もできない」


「僕には、何の力もない」



そうして行き場をなくした心は、
空気みたいにしゅるしゅると抜けていき、
いつの間にか、カラッポの体だけが残された。



まるで、空気が抜けた風船のように。





脂汗を浮かべながら、僕は今に戻ってきた。



「そうやって僕は、
 無気力に侵されていったんだ…」



僕はあの時の、
行き場のない心を思い出していた。



強大な力によって、
マッチ箱にねじ込められたような心。


出入り口をすべて塞がれてしまった心。


気づかないほど自然に、
僕の心は、自分の意志で、檻に入っていった。



「ああ」



僕はがっくりとうなだれた。



僕はたしかに、
自分を損なってしまっていた。


でも、それに気づきたくなかった。



だから牢に入ったあげく、
88回も猫看守と同じやりとりを繰り返して、
僕自身をわからなくさせていたのだ。



「これが今朝、
 あなたが言っていたことなんですね」



猫看守は大きく頷いた。



僕は僕を、どうやって救えるのだろう。



僕は僕を、
どうやって檻から出してあげられるだろう。



「この状況で、
 僕ができることなんてあるんでしょうか?」



囚人の心を抱えた僕は、絶望して看守に尋ねた。


「ある」


猫看守は力強く答え、目をキラッと光らせた。



「吾輩の特別講義、受けるか?」
 



 


僕は猫に連れられて、牢の外に出された。

牢の外は砂浜につながっていた。


「うわっ」


僕は何度も転びそうになった。


手には手枷(てかせ)、
足にはおもりがはめられて、
その上、紐で引っ張られているからだ。



「こんなにしなくても、
 僕は逃げ出さないけどなあ」


とか、


「僕は講義受ける気、満々なのになあ」


とか思ったのも束の間。




「では、ここに入りたまえ」


猫看守は僕に促した。



「砂風呂?」


まるで鹿児島の指宿で入れそうな、
砂風呂のくぼみのようなものが並んでいた。



ご丁寧に、赤い番傘まで置いてあって、
温泉ムードが満載だ。


「よっこらしょっと」


拍子抜けしながら
小さくジャンプして穴に入り、
僕はもぞもぞと寝転んだ。


「うーん、あったかくない…。

 しかも、砂風呂にしては、ちょっと深いですね」 



寝転んでみると、もう3人くらい、
僕の上に寝転がれそうな高さがあった。



「まるで砂の棺桶みたいだなあ」



猫看守は髭をピコピコした。



「おお、その通りだ!

 察しが良いな!」


「えっ!?」



どこから来たのか、
猫看守の手下猫がズラッと砂穴の周りを囲んだ。



僕を見るや否や、
猫たちはくるりと後ろを向き、
後ろ足でガンガン砂を蹴り始める。


「ちょ、ちょ!」



手足を固定されていて、うまく起き上がれない。



この仕打ちから逃げ出られないようにするために、
僕の手足は厳重に拘束されていたのだ!



「嘘だろ!」



目にも止まらぬ速さで、
砂が僕の足から胸から覆っていく。


どんどん砂が重くなっていき、
起き上がることすら、僕はできない。


顔には砂がかからないために、
僕の体に砂が累々と積もっていくのが見える。


「ま、待ってくれ!」



ちょっと待て、話を聞け!

僕は特別講義を受けると言っただけだ!


処刑されるとは聞いていない、
なんで僕が殺されなきゃいけないんだよ!



「ゴホッゴホッ!」


そう言いたかったけれど、
唯一出ていた顔にも胸の砂が崩れ落ち始め、
むせ返って言えなくなった。


「さあ、最後は顔だ!」


猫看守の号令が聞こえた。


「目を瞑らないと、痛いぞ!」


完全にパニック状態になったところに、
追い討ちをかけるように砂が降り注ぐ。



あっという間に視界を奪われ、
あっという間に砂の重みがのしかかる。


口も、鼻も押し潰され、
遂に息ができなくなってきた。


「いやだ!いやだ!」



心の中で必死に叫ぶ。



「やめてくれ!」



声なき声を、叫び続ける。


「頼む、助けてくれーーーー!!!」






生きたい、と、僕は切に思った。



パニックに陥りながら、
どこかで冷静に自分を見つめている僕が、
分離した。



ああ、死ぬんだ。


あと1分もしないうちに、
完全に呼吸ができなくなる。


僕は、この体から出て行かなきゃならない。


肉体には、限界がある。

肉体の限界が、死ということ。



ただこれだけのことを迎えるのに、
我々はなぜか、異様に怖れを抱く、
という仕組みを持った。



昔、神様に聞いたことがある。


「なんでわざわざ、
 死が怖いなんて仕組みにしたの?」って。


「悪趣味だよ、これ」って。



そしたら、神様、なんて言ったと思う?



「それくらいで、ちょうどいい」


ってさ。




苦しみというのは、特殊な感情だ。



「本当に、苦しい」

ってことは、
余程強力な何かがなければ、感じることができない。



余程強力な何か…
強力な制限がないと、成立しない。



だから肉体っていう、「制限」が作られた。


肉体は、「傷つくと痛い」ってことにされた。



そこに

「死ぬことは、怖いこと」

って感情がくっついたら、最大限の苦痛を味わえる。




こうして秘蔵のスパイス、「怖れ」が生まれた。




神様って、ほんとにすごくて、ほんとに悪趣味だ。




でも、僕はいったい、
この話をいつ神様に聞いたんだろう…?


こんな話を思い出すのは、
僕がもう、死を迎えるからか?




ああ、もっと、生きたかったな。



好きな写真も、もっと撮ればよかった。



うまく死ぬのは、難しい。


うまく生きるのも、難しい。



次に生まれ変わったら、
僕はもっと、写真を撮ろう。



美しい四季や、夜空や、夕焼けを撮ろう。




魂が、体からフワリと浮き上がり始めた。





いよいよ、お別れの時がきた。


さようなら、今世の僕ー。






ドーン!と体に強い衝撃が走った。

寝ぼけてベッドから落下した時みたいなやつだ。


「お早う」


低い太い声がした。



「吾輩の特別講義、いかがだったかな?」







肩に鈍い痛みを感じた。


「…痛っ」


目を開けると、僕の部屋のフローリングが見えた。



僕はガバッと体を起こした。


右側にベッドが見えた。

布団がずり落ちている。


僕は目をこすった。


パジャマと化した部屋着が見えた。



「本当に、ベッドから落ちていたのか…」



洗顔料を使って顔を洗い、
ミルクをかけてコーンフレークを食べた。


そして、コーヒーを淹れた。


急に僕は着替えたい気分になった。



Tシャツとジーンズに着替えると、
サッとパソコンに向かった。





今日の仕事を片付けたら、
カメラを片手に公園へ向かう。




昼下がりの街は、
うるうるとした木の芽が眩しい。

ハッとしたシーンがあれば、
足を止め、
シャッターを切りながら歩く。




公園では、
ローズマリーの花の上をミツバチがゆき交い、
てんとう虫がツツジの花を登っていた。


ひとつひとつ、丁寧にピントを合わせて撮る。


爽やかな季節の風が、写真に写るように。


僕の心は広がってゆく。


些細な瞬間の記録が、僕の心を放ってゆく。




西日が傾き、そろそろ撮影時間も終わりに近づいた。



「家に帰って、写真見るの楽しみだな」



すべての回路がとどこおりなく開き、
一本の軸のように、立った。



僕が、世界の中心に在ること。

僕が、僕の心を中心に置いてあげること。



うまく生きることは難しくなかったし、

どんなに強大な力でも
僕の心は奪えないものだったんだ。



「猫看守、すごい特別講義だったな」



夕焼けの空を眺めた。


雲間から瞳のように、
一番星が覗いているのに気づいた。



まるで猫看守の目のような、
キラッと光る金星。



「ありがとう、猫看守」



僕は今日最後のシャッターを切った。





(了)

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