縁の花

ウチに男が住んでいる。掃除、洗濯、料理といった家事の一切合切は完璧にやってくれる男だ。
でも、この男は買い物が得意ではないからわたしが買い物に行かなくてはならない。
ずっと前に家具を買うためにホームセンターに連れて行った事がある。男は終始青ざめた顔で脂汗をかいていた。いわゆる適応障害というやつだ。本人からすれば窒息するような心持ちなのだろうけど、わたしはゾンビが助手席に座っていると考えると面白くて笑いが止まらなかった。駐車場にゾンビの乗った車を停めて、欲しい家具をさっさと選んで、店員さんに車まで運んでもらった。ゾンビは何の役にも立たなかったが、家に帰って一心不乱にテーブルを組み立てた。それはカタログの見本と全く同じ出来栄えで、脚がガタつくこともなかった。完成すると「できたよ」とボソリと呟き眠ってしまった。
こんな具合なので買い出しはわたしが担当している。面倒臭いかと訊かれればノーである。というのも、ドライブするのは好きだし、買い物で仕事のストレスを発散できるからわたしにとっては必要なことだったりする。それに、たいていの物はインターネットで注文できるし、かえって業務用の商品のほうが安く買えたりする。この男は細かいところに気が付いて、シャンプーだとかティッシュなどの消費物が切れることはない。冷凍室の中にはカットされた野菜や肉、それに調理済みの料理がタッパーの中にそれぞれ分けられてある。一週間分ぐらいの食料が常にあるのだ。正直、こんな面倒なことわたしはやろうとも思わない。一人の生活だったら小さな鍋の中で調理して、たいして食器も使わずに鍋から直接食べるだろう。それもあってか、最近になって皿の模様が料理を彩るということを実感するようになった。この男と暮らすことがなければ気付かなかっただろう。
時々、この男はわたしが居なくなったらどうなるのだろうかと考える事がある。もちろん私は生きていける。恐らく男はわたしと同じような女を探すか、或いは河川敷か何処かで野垂れ死ぬのが関の山だろう。赤い糸だなんてロマンチックなことは何もない。ただ、「居てやってもいい」という気持ちから「一緒に居たい」と思えるようになったことが、わたしにとっての恋だったというだけのことだ。
正直、この男がわたしに恋心があるかどうかは分からないが、嫌なら出て行くはずだ。恋はずっと続かないことは経験上分かっている。この男も例外なく、いつか居なくなるだろう。でも、もしかしたらの話。この男がわたしを愛していたとしたら、ずっとここに居るかもしれない。わたしは愛を知らないから同じ気持ちになれるとは限らないけど、この男もきっと怖いのだと思う。
人にはできる事とできない事がある。日陰に生きる花を無理に移動させて太陽で焼いてしまうのも、日向を好む花を暗がりに押し込めて腐らせるのもおかしなことだ。この世の中に誰からも理解されないまま枯れていく花がどれだけあるのだろう。皿の縁に咲くこの花が綺麗だと気付かせてくれた今を大切にしたい。
#小説
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