ある浅瀬の妖精(たんぺん怪談)

あれは人間ではない。ある浅瀬で永らく人魚たちとたわむれた初老の男は、ある年の暮れに、がっくりと肩を落としながら日記に記録した。日記をつける習慣は彼には無かった。

実質、だから、犯行予告に等しい。

『上半身は人間そっくりの美しい娘たち。もう何年、彼女たちに魅了されて、彼女たちを写真におさめてきたものか。今日で最後にする。今日、末娘の女が病で死んだ。すると、人魚たちは、一滴の涙を流したあとで、おもむろに妹の腕を握り、足首を捕らえ、首を絞めて、五体をばらばらにしてしまった。人魚の姉たちの胃袋に今はそれらがおさまった。そういえば、と私は肉の宴に震えながら記憶を辿る。村の子どもが何人も行方不明になっている。犯人はわからない、貧富の差にかまわず金にも目もくれず、犯人は子どもだけを攫う。私はおそろしいことを考えた』

『私は、彼女たちが好きだった。美しく、はなやかで無邪気で、無垢な赤ん坊を思わせる上半身の娘たち。下半身は巨大な魚のそれで、私は彼女たちを、伝説に聞く人魚と呼んでいた』

『だが、それも今日まで。ちがっていたかもしれない。アレらは怪物なだけかもしれない。ガソリンを用意した。いつものように、浅瀬で遊ぶだろう。明日も。だが私はガソリンを撒いてすべてを灰燼に帰すだろう。アレらは人魚という美しい音楽の妖精ではなかった。では無かった。もっと、恐ろしく、忌まわしい……。そう、獰猛などうぶつだ』

『私も死ぬだろう。だが、これまで姿を消した子どもには私の息子も含まれる。私は写真なぞ撮っている場合では無かった。ハルカへ。これを読んで驚くだろうが、すまない。息子の仇を取ってくる。すまない、あの浅瀬に夢中になってお前たちを疎かにした私は愚かだった。すまない』

『……追伸

もし、殺しきれなかったやつがいたらトドメを刺して欲しい。アレらは上半身は人間の少女の姿をしているが、中身はまったく人間とは異なる。怪物なんだ。殺せ!』

妻のハルカがそれを読んだとき、村は大騒ぎで消防団員たちがサイレンを鳴らしてトラックを何台も走らせていた。海の入り江から、大きな爆発音が聞こえた。それはついさっきのことだ。妻のハルカの目淵から、一滴、ニ滴、三滴と涙があふれて、やがて妻は泣き崩れてずうっとサイレンが鳴り響くなかでうずくまって動こうとしなかった。

握りしめた夫の遺言が涙を浴びてべしゃべしゃになる。ハルカはよくわからないが、包丁を取り出して、これをタオルで巻いて懐に忍ばせて家を後にした。消防団、見物人、顔道知りの村人たちばかりの人だかりをすり抜けて、真っ赤に燃え盛る炎一面の海が見えるところまで進んだ。

「御堂さん!? さがってください、危険です!」

「……私、この近くに用件があるの」

生き残りがいるなら。ハルカの包丁が、仕事をする番だった。



END.

読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。