推し=時間

御堂ハルカは時間を推している。『推し』とは、つまり、自分が応援している概念を指すことば。ハルカは時間を応援している。

小学生、中学生、高校生――

そんな年齢であったときは、ハルカも皆のようにアイドルや俳優などを『推し』と呼んで彼女や彼の出演するテレビ番組を視聴していた。しかし三十路をすぎて四十代を迎えて今、五十歳を目前にすると、自分にいちばんよりそって支えてくれたものがなんであるか、それは『時間』かな、など結論したのである。御堂ハルカは今、老人ホームに入所したが、そこでも『時間』はゆったりとハルカに寄り添ってくれている。

『推し』はきびしく、抜かりがない。いつも一緒にいるが、ハルカを甘やかすこともなく、ハルカに媚びることも特別扱いしてくれることもなくハルカをわけへだてなく管理している。

「わたしには、永遠のともだちが、いるからねぇ」

老人ホームでハルカを介護する、まだ若い連中は、ハルカが度々にそうくちにするのを聞く。
だぁれ? やさしく問われても、ハルカは「うふふ」と笑うだけ。

「ずっと変わらないで、わたしと同じ速度で歩いて、わたしと一緒にいてくれるの。時計の音が、彼の姿のようなものかしら。カチコチって決まった音がするでしょう。心臓の音に聞こえるのよ」

ハルカは、一年に一回ほど、時計を買い換える。新しい音に乗り替える。そのようなことをしても時間は変わらずそこにある。
もうすぐハルカの生きている時間は終わるが、『推し』は終わらない。

それが、結婚もせず、子どももつくらなかったハルカの、生涯で唯一のたったひとつの希望にも思えるのだった。
『推し』は永遠。永遠に終わらない、永劫に続く、永久に不変の『推し』の声を、今日もカチコチとした時計の針を通して肌身に実感して、ハルカは今日も、安らかな眠りに入るのである。
なんらかの災害が起ころうが、不幸が起ころうが、不変の『推し』は明日も必ずハルカと寄り添って必ず一緒にいてくれる。

(うふふ。これほど心強い『推し』なんてこの世のどこにもいないわ)

ハルカは、今日も、おだやかに入眠する。カチコチ、コチコチ、時計の針の音色が一定のリズムを刻んで病室にこだました。




END.

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