人魚大海戦

人魚とは、海棲とされる幻の動物である。上半身は人間とおなじように見えて、下半身はイルカやジュゴンなどにそっくりであるとされる。過去、太古には存在したらしき痕跡があるが、現代ではとんと見かけない。ジュゴンが実は人魚の正体であって、人間が勘違いしたという説が主流だ。あるいはマナティーなんかが実は人魚と囁かれる。

しかし、実はどれもまちがいだ。
人魚はいる。

しかし、もはや世界に一匹か二匹、あるいは三匹か四匹、それぐらいが遥か海底にうろうろしているだけの生きものなのである。

というのも、人魚というやつらは、一度、戦い出すときりがない。あっちの貝殻がきれいだ、こっちの髪のがうつくしい、うつくしさに特別な感情を抱く種族であるから、そうしたことですぐ争う。頭に血は昇るのであっというまに手の着けられない暴君となる。そうすると、戦争だ。

人魚VS人魚。人魚は伝承のとおりに本当に不老不死だから、戦うとなると果ては無い。文字通りに果てが無い。
相手の髪をひきちぎろうが、のどぼとけに噛み付こうが、腹に穴を開けようが、肉を噛み千切っても怒り狂った人魚の戦闘本能はおさまらず、争いだした人魚は相手を食らいあう。流れた血が海を汚し、ずたぼろに欠損だらけの胴体や尾ひれをふりみだしながら相手に食ってかかって相手に我が身を潜り込ませてもんどりうってくんずほぐれつ漂流し、ぐちゃぐちゃに乱れあう塊はやがて、ほんとうに長い間、戦い続けているせいで、2匹だったはずなのにやがて1匹になってしまう。不老不死がゆえの再生能力により、ぼろぼろに欠けた肉体が修復されるその再生力に巻き込まれて事故するように、本気で喧嘩して戦う人魚はやがてぶつかりあった末にどろぐちゃに融和して欠損を再生しあって気がつけばふたまわりほど大きな1匹の人魚になってしまうのだ。

怪奇である。脳みそはどうなっているのだろうか? もちろん、一個に合体されてしまう。欠損しては補いあうので脳みそまで複合修復されてしまう。すると、この段階になってようやく人魚は争うのをやめる。喧嘩する相手もいないし、両方とも相手に勝ったと思っているし、もはや争う必要はないし相手は自分の一部であるのだし。こうして、喧嘩につよい、新たな巨大人魚が生誕して、人魚の戦いは終わる。
こんなことが数千年の果てに繰り返されて、だから今や、人魚は水深何千メートルもの深海にほんの数匹、それも超巨大な、古代魚メガロドンに匹敵する巨躯と成長して、海をうろうろしては貝殻を食べて、深海魚を食べて、きれいな貝殻なんてちいさなちいさな幸せを見つけて満足するだけの生きものだ。

複雑怪奇、世にも奇妙な海のしんじつ。
海は神秘に満ちて、今日も、人間たちの棲む浅瀬の向こう側には、ざざんと波だけを届けてくる。




END.

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