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子ども時代に置いてきてしまった忘れ物

昨日でお盆休みが終わり。久しぶりに生徒達と会った。

「勉強してた?」なんて堅苦しいことは言わずにお盆休みの過ごし方が主な話題となった。

「熱いから一歩も家から出なかった」
「いつも通り部活で休みって実感がない」
「夏祭りやプールに行ってきた」
過ごし方は千差万別だ。

どんな経験も、時間の経過と共に古き良き思い出として記憶されるといいね!と心の中で言いながら微笑ましく感じる。

時間が空いたがゆえに、生徒たちの忘れ物もたくさんあった。筆箱忘れ、ノート忘れ、宿題忘れ、授業忘れ(来ない)…悲しいくらいに人は忘れる生き物だと実感させられる…笑。

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子どもと接していて感心させられることのひとつ。
それは「純粋さ」だ。
考え方や生き方が本当にまっすぐなのだ。

瞼が重そうなあの子は眠いんだな。
天を見上げているあの子は集中力が切れたんだな。
目が合うあの子はわからない問題があるんだな。
だいだいが表情やしぐさに現れる。

いつからだろうか。
不器用さを捨てて、器用に人格作って社会に溶け込むようになったのは。

数多の経験から導かれる法則から、当たり障りない人を演じるのが上手くなってしまった。自らの身を守るためではあると言えども、器用さを得た変わりに大切な何かを失ってしまった。

一昨日の記事でも書いたが、自分はキャラをつくってしまう、格好よくみられるように頑張ってしまう。精一杯作って愛されてもそれは自分でない。衝突や自分を守る事が上手になっても、息苦しさはどうしてもあった。子どもたちをいつも目の前にしてその「純粋さ」にいつも感心させられる。

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昔から忘れものが多かった。プリントや教材、提出物などいくつモノを忘れたかもう忘れてしまった。今もエアーポッド(イヤホン)を週に2回は置き忘れる。財布を忘れた、定期を忘れた、本を忘れた…家に取りに戻ることも少なくない。

もしかしたら「純粋さ」も子ども時代に置き忘れてしまったのかもしれない。ああ、忘れ物に気づくまでに結構な年月がかかってしまった。

さて、取りに戻るかな。気づいた時点でいつでも取り戻せるだろうから。

みなさんは、過去へ置いてきてしまった「忘れ物」はありませんか??


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