私の人生が最善に見えない理由
降りかかった出来事には意味があった。全部自分を創り上げたものだから。そして今の自分が一番好きだ。全て選んできた「最善」だ。そしてこれからもどんどん自分と自分の人生をことを好きになると確信している。
1年くらい前に、そんなことをアメブロに書いた。
すると、とある方にこんなメッセージをいただいた。
「本当にそうなのでしょうか…。私にはあなたに起こったことが不幸に思えて仕方ないのです。どうしてもどうしても最善だとは思えません。」
結構驚いた。そして、傷付いた。
そういう捉え方をする人もいるのかと。まあね、100人中100人くらいが「それは不幸だね」というくらいの経験をしてきたからね。心を痛めてくれたんだな。ああもしかするとそういう風に感じている人の方が多いのかもしれない。同情や心配の声もたくさんあったからね。
だけどその現実もまるっと受け入れているし、その経験も生かしているし、充実しているし楽しいから幸せなんだけどなあ、と心の中でちょっと反論していた。
ふと、今になって、なぜそんなことを言われてしまったのか理由が気になった。と同時に気になる理由も気になった。なのでちょっと考えてみた。
本当のところはまだまだ私自身、満たされていなかったから。
そんなつもりはなかったけど、もしかしたらそうなのかもしれない。
はー、無理して楽しそうに振舞っていたのか。まだまだ虚栄心があったんだ。おお恥ずかしい。そして自分を満たすハードルが高すぎて我ながら驚く。
何も成し遂げていない、発展途上状態だから。
何者でもないから。有名でもないし、称賛されるようなことは何一つ成し遂げていない。その人が憧れている人のように人気者だったら、何かしらの功績があるのであれば。そんなわかりやすいゴールがあれば最善だと思ってくれたかもしれないね。
私がそうだと考え、感じるということはそうなんだろう。いつだって現実は自分が創っているから。鏡の法則だ。見せてくれている。時間が経ってやっと冷静に振り返ることができる。
でも大丈夫。今、本当に本当に最善だと思うもの。そりゃあ発展途上だから満たされていないことも困っていることもたくさんあるけど、それは私が選んでいること。私自身が課したこと。それがわかると本当に楽だ。
そして何があってもこれからも自分を満たしていくし、成し遂げる。その成長過程。その気持ちは1年前と何も変わらない。
私はきっと証明したいんだと思う。だから自分を見せたいんだ。たくさんの人に。自分自身に。
「あなたの人生って不幸じゃないよ。かわいそうじゃないよ。それはただの序章にすぎないの。あなたはこんなに素敵だよ」って。
そういえば、私の性格ややり方について意見を言ってくる人は昨年末でぱたりといなくなった。(昨年はいろんなことを先々で言われて本当に本当にしんどかったのに。)
うん。やっぱり好きな世界がちゃんと築けているんだ。
「書く」ことで食べていけるひとになるのが目標です♡ここにたどり着いたのも何かのご縁。わちゃわちゃしましょー!!!