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煮手羽争奪戦、痕跡

 祖母は昔から金色の大きな両手鍋いっぱいに手羽先を甘辛醤油で煮る。私が生まれる前のほんとうの大昔から。煮手羽の日は他のおかずはない。汁物だってない。用意されるのは白いご飯だけだ。しかし濃すぎるほどの味付けにはそれが正解と言える。私は祖母の煮手羽を食べるプロフェッショナルなので箸は使わない。左手で軟骨部分をつまみ、軽く咥える。引き抜くとするするっと肉がほどける。つまんで引き抜きご飯をかきこむ。つまんで引き抜きご飯をかきこむ。黙々と繰り返す。大皿に盛られた煮手羽はあっという間になくなる。食べ盛りの私はまた山盛り煮手羽をよそおうと、台所のガスコンロにある鍋へ向かう。するとちょうど父親が帰って、台所で鉢合う。まずいと慌てるも、大人の悪意は子供よりも素早く賢い。父親は、窓際に並ぶ調味料から赤い蓋の小瓶を手に取り、ひっくり返した。我が家の一味の内蓋は開封した初日に撤去されている。中身が風情なくずぼっと落ちる。父は大きな鍋まるまるの煮手羽を大人用にしてしまった。赤い塵の小さな山が、少しずつちらちらと沈み散らばるのを眺めていると、父はにやっとして「悔しかったら食えるようになればいい。」と言った。この煮手羽争奪戦争は一度のことではない。煮手羽と父が揃うと必ず起こるのだ。祖母と母は「大人気ない。」と父を叱ったが、20年も30年もかけて出来上がった人間性はそんなことで変わりはしなかった。4つ下の弟は辛味に泣いて母に抱きしめられていた。私が涙をこぼすことはなかった。黙々と辛味に耐え続けた。平気な顔をして静かにご飯を山盛りかきこんでいた。つまらないことをする大人がいるものだ、と。涼しい顔さえしていた。しかし、私は悔しかった。大人たちは誰も知らないだろうが、私はとても悔しかった。だいすきな祖母の作る煮手羽を私から奪う父が憎かった。頑固者の私は長い時間をかけて、一味を好物にした。もはや一味などかけてもかけても満足しない地点にまで到達している。私は、父を越えた。この点に於いては。さて、私と父の親子関係には、父の父親としての素質と、私の娘としての素質が衝突していたのだと思う。あるいは単なるタイミングの問題か。私は、父が20歳のときに生まれた。父が父親になるタイミングと、私が父の娘になるタイミング。どちらも早すぎたのかもしれない。私は煮手羽争奪戦争をしていたあの頃の父の年齢に近くなった。今のところ、生涯子どもを授かる気はない。ただ、子どもから食べ物を奪うイメージも湧かない。

2024.03.

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