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Redmineが好きになるまでと、好きになった後の一年間の話(後編)

前編はコチラです。

+1日

・・・すっかりスヤァしてしまった。

出勤途中にマコトさんに返信書いている最中にもTwitter上でコメントを貰った。

とにかくその日は朝から、やたらと携帯の通知がなった。

お昼過ぎにRedmine.jpのアカウントがリツイートしたあたりから、主観ではあるけどリツイートとイイネの通知で携帯がひっきりなしに鳴っていた。

もう、ここまで来ると、
何が起きているのかよく分からなくなった。

来年、2020年の5月の頃にイベントがあるので、何か喋って欲しい、というコメントを頂いた。
何のイベントかはよく分からないけど、技術的には間違っていない結果だと思って、
嬉しすぎる依頼に思えたので、勿論二つ返事で快諾した。


(去年の)Redmineのアドカレに登録して下さい!とも言われた。言われた通りに登録した。

アドカレについては、こんなにガチ技術系のど真ん中に、僕の記事が載っていいんだろうか。
と思いつつ、まだカレンダーが空いている事に気がついてしまった。

アドカレって本来、公開日に記事を公開して楽しむものだと思われるのだが、この記事は12月3日に公開してしまっている。

なんだか申し訳ないので、8日あれば、もう一本くらい好きな事を絡めて書けるんじゃねぇ?などと思ってしまった。

+9日

前回の記事のTwitterにコメントをくれた、Redmineエバンジェリストの会主宰のかどやんとも早速仲良くなって、もう好きな事を好きなように書いてみたんだけど、好きな事を絡めすぎた上に、一本目の記事がひたすらに伸び続けていて、特に何がどうという話は無かった。

でもRedmineってどうにでも料理出来るなぁ。
という、食材への探求が始まった。

+40日

年が明けて、2020年になった。
一本目の記事はひたすら閲覧数が伸び続けているし、春の頃には、噂には聞いたことのある、えるてぃー(LT)を僕はするようなのだ。

ならばと、Twitterで知り合った、Redmineな人達が残して来たものに触れ始め、ますます楽しくなっていった。

こんな具合だ。

そして・・・。

急速に病は進行していった

・・・勿論冗談だ。
僕は病気ではないんだ。(目をそらす)

+60日

2月になった。
僕は家族で舞浜に遊びに来ていた。

まだコロナウイルスはアジア圏でしか問題になっていない時期で、ディズニーランドも一部を縮小しながら営業をしていた時期だった。

ポートディスカバリーで、娘と乗り物の順番を待っている時間。

色々な国籍な人が、思い思いの仕方で30分という待ち時間を潰しながら、あるアトラクションの順番を待つという共通体験をしているなぁ、ということをぼんやりと思っていたのだか、
これはもしかして、Redmineのトラッカーの正体を示唆しているんじゃないか?
という事に思いが至ってしまった。

この時期、僕はRedmineは何に似ているのかの相似性を考えていた。

初心者の学びの過程は釣りに似てる気するし、ある一定の水準から手遊びが芸になるという点では手品に似ている気がする。

そして、トラッカーという単語は国家に似ている、と言うことに、あろう事か、白昼の夢の国で気がついた。

・・・そう。紛れもない電波である。

「若いのに可哀想・・・」
「明後日の方向のシンギュラリティ(特異点)に到達したんだね・・・」とか言われてしまうやつなのだが。

・・・なんと、受信されてしまった。

結果、こうなった。

・・・人生でトゥギャられた事など無かった。

それ自体は勿論嬉しくて光栄な事だったのだが、
akipiiさんと僕は決して電波の送受信で言葉遊びをしていた訳ではないことは補足をしたい。

ただただ、Redmineというシステムは人の魅力の総和で出来ていて、使う人もそれに含まれるんだという事を確認していたにすぎないと思う。

・・・しかし、こんな面白い人が大阪にいるのなら、会いに行ってみたいなぁという気持ちも芽生えた。

折しも2ヶ月後にはRedmine大阪というイベントがあるらしい。

参加してみたい。学びたい。
東京と大阪の違いはよく分からんのだけど、武者修行だ!という気持ちで。

妻の取扱主任者として、十全の手順を尽くして大阪行きの許可を貰った。充実すると爆発するからね。リアルが。

この時は、Seijiさんやakipiiさん、色々な人に応援してもらった事も懐かしい。
トゥゲッターにまとめてくれたakipiiさんを抱きしめに行くという宣言をしてはいたのだが。いや、BLではないぞ。

+66日

その1週間後、Redmineエバンジェリストの人達との邂逅を果たした。

都内某所でエバン主宰のかどやんと待ち合わせをして、他の人が待つお店に向かう最中、「Backlogがサイゼリアだとすると、Redmineは家飯、のくだりで、通勤中の電車の中で泣いた」と言われた。

「こいつ、突き抜けたんだなぁぁぁ、と思ってさ。本当に電車の中で泣いてしまった」

ちゃんと、届いていた。
文章の感想で泣かれたとまで言われたのは、初めてだった。

この日は、事前にRedmine焼肉と聞いていたので、
焼き加減をステータスに見立てる高度な訓練か何かかと思っていたのだが、
ごく普通に仲の良い人達の飲み会に混ぜてもらった。

あの時の、帽子を被っている人もいたが、
「肉の声は聞こえるのに、まだピーマンの声は聞こえない」と言いながら、真剣な眼差しで、ひたすらにお肉を焼いていた。
焼肉をアートだと思ったのは後にも先にもこの時だけだ。

焼肉屋さんでは、嬉しくて、あまり話せなかったように思う。
でも、これから話してみたい事が沢山あることが、嬉しかった。

年をとってから出来た友達とは仲良くなれると、ジャイキリのブラン監督が言っていたけど、あぁ、こういう事なのかもな、と思った。

ここにいる人達は登壇者やスタッフの方が殆どで、次は大阪で会おうね、という事を言い合ってその日は解散した。

2月のこの時点では、この後に緊急事態宣言が出る事は全く見えていなかった。

+150日

5月になった。
コロナと緊急事態宣言によって、生活も予定も一変してしまったことは、改めて言うまでも無いだろう。

世の中のイベントは中止が相次ぎ、少しずつオンライン開催に移行していったのだが、
その過渡期であった、4月に予定していたRedmine大阪も延期となっていた。

緊急事態宣言によって働き方が変わっていく中で、僕は何をしていたかというと、redmine.tokyo 第18回に参加、登壇することになった。

y503〜(の後が読めないアカウント)や、netaさん、akipiiさん等々、僕を見つけたredmine.tokyoのスタッフの方々に引き上げられての事だ。

つーか、みんなスタッフだったんかーい。
と思ったりはした。

開催の1週間前、redmine.tokyoのリハーサルに参加した。

僕の職場は、よくある事情から僕の方が上から数えて早い位に平均年齢が低い職場なのだけど、
この場では、明らかに自分が1番歳下で、自分より年上の人しかいないという打ち合わせは多分10年振りの出来事だった。

そして、このスタッフの人達のカッコいい事。
限られた時間で、なごやかに、真剣に打ち合わせをこなしていく。

右も左も分からずに、ニコニコしている僕は、
どう考えてもこの場で最も実績も実力も信頼もなく、得体も知れない。

そんな一番の不安要素に、「全力で喋ってもらう」事に、自分たちの人生の時間を使って、徹している人達に囲まれている。

ここにいる人達は、明らかに僕よりも語るべきものを知り、語りたい事もきっと沢山あるのに、
それでも新しい人達を迎え入れ、
力をあわせて押し上げようとする。

・・・それを、もう10年近くも続けている。
それが一体なんなのかは、その時はよく分からなかった。

けど、何かを受け取った。
多分、お金では買えない系のものだと思う。

ここで初めてLTを出来る事が、本当に嬉しい。
そんな事を思っていた。

一番初めの記事を見てもらってお声がけを頂いたので、Backlogの比較的な文脈で話をしてみよう。ということで、あまりネタには困らなかった。

ただ、この時に困ったのは、1人で10分間を喋る事の恐怖のようなもの。
人前で喋るのに表情や音声の反応がないのでは、いわゆる「調子」に乗るという事が出来ない。

試しに時間尺を測るために、1人で録画しても緊張する事を発見した。
つまり、見られる事ではく、1人である事に緊張しているんだ、という事に気がついた。

・・・これはアレだ。youtube的な、やつだ・・・。

そう自分に言い聞かせて臨んだ講演に、手応えがあったのかと言うと・・・。
正直、よく分からなかった。

文章で伝えれば良い事をわざわざ喋っているような違和感は感じたし、喋るより文章の方がまだマシと思う人間が、喋る必要あるのかなぁ、という事を考えるようになった。

ただ、初めて参加するredmine.tokyoそのものは、
一日中Redmineの事を考えて、Redmineの話を聞く事が出来る場所で・・・もう、最高だった。

だって、Redmineがわかっていれば、それが共通言語になるのだから、僕が知らない分野の話でも「あ、そういうこと?」と理解が進む。

そして、youtubeLiveが100人を突破している事に司会のnetaさんが興奮したコメントを寄せているのを聞いて、僕は急に冷静になった。

もっと、見られるべきじゃね・・・?と思った。

と同時に、
Redmineの参加者の人達は、やっぱりRedmineの先の話をしているんだ、とも思った。

それは体感している通りに楽しい一方で、Redmineの基本的な話は、もはやほぼ、誰もしていない。
覚えたい人が来る場所ではなく、覚えた人が来る場所になっているように見えた。

どうすれば、ここに参加する人がもっと増えるんだろうか。
Redmineに興味がない人がここに来るためには、何が出来るんだろうか。

そんな事を考えるようになっていた。

そして、あ、他のベテランが初心者だった時の話を僕が書けばいいんだ。という事に思いが至った。

このネタは、実は水面下では進んでいるのだけど、順調とは言い難い。

素人がインタビューという文章の形式をかなり甘く見積もっていたことや、インタビューの対象者とどんどん仲良くなるので記事の起点がわからなくなるという構造的な欠陥が見つかったりして、
本当に難航しているのだけども、これはいずれ何処かで。

+ 200日

子供があつ森という説明不要なゲームにハマって、「ここ(博物館)に行ってみたい」と言い始めた。

「パパは骨の発掘が大好き」なことを学んだ娘は、
たぬきち商店で購入した骨格標本を僕の家の目の前に埋め、満面の笑みでドヤ顔をキメていた。

そんな体験は、あつ森以外ではなかなか手軽に得られないので、本当に素晴らしいゲームではあるのだけど、
ちょっとは正しい教育も必要だろうと思い立って、
上野の国立科学博物館に遊びに行った。

買ってきたお土産の袋を見ていると、
あ、なんか良いロゴだなぁと思った。

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言うまでもなくタルボサウルス・・・と言っても伝わらないと思うので、
ティラノサウルスのような肉食恐竜の上顎は、科博の象徴であり唯一無二のシンボル。

そして同時に、遠目には開かれた門のようにも見える。
研究・教育機関としての側面を持つ科博のコンセプトを実に端的にあらわしている、
シンプルで力強い、素晴らしいデザインだ。

・・・しかし、どことなくRedmineのロゴに似ている気がする

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そういえば、10日後に開催を控えたRedmine大阪ではRedmineエバンジェリストの会がパネルディスカッションをする予定だなぁ・・・。という事を思い出した。

+ 210日

ロゴを作った。

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テーマは「広がっていく福音」で、福音=ハンドベルをモチーフにして、一人ひとりが集まって、Redmineのロゴを形取るように放射状に並べている。

redmineの文字が小文字なのは、
主宰のかどやんが「redmine.tokyoをリスペクトして小文字にしたい」というリクエストから。

書体は、Redmine大阪スタッフのやっさんのアドバイスでこの形になった。

歴史へのリスペクトが沢山詰まっている。
勿論、僕の思いも沢山詰めている。

正直なところ、僕はRedmineエバンジェリストの会が過去に残してきた資料の足跡を辿っても、何を言っているのかは、実はよく理解できていない。

遠くの山から尾根を伝って次の高い山までの道が見えるなぁ、とは思うんだけど、僕の足元からそこまでの道は、まだ雲に隠れているような感覚。

彼らは誰かのために道を作っている。
僕は、そんなにスゲーところでの高作業は出来ない。
けど、彼らを見て応援したり、彼らが頑張るのは嬉しい。

・・・かつて、マジックザギャザリングという(一部のマニアなら誰でも就職を望む)会社の社員が、
「その会社で働くにはどうすればいいのか?」という求職者からの質問に、
「本当にこの会社で働きたい人は、この会社に勤める前から、もう働いている」と答えていた。

場所や立場は、生き方の結果に過ぎないという事をこの時に学んだ。

本当に好きなことなら、自分がどういう立場であっても、別にやる事は変わらない。

だから、自分も出来ることを好きなようにやりたい。
そんな気持ちでロゴを作っていた。

ロゴのお披露目はRedmineエバンジェリストの会の人達が参加するRedmine大阪のパネルディスカッションだった。

勿論、パネルディスカッションの話はワクワクが優先されたのであまり頭に入らず、
自分が作ったものを使われる喜びを味わうという、
なかなかに別角度の楽しみ方をしていた。

あれ?本末転倒だな?というのは、
まぁ終わってから気が付いたよね・・・。

+240日

Redmine Japanというカンファレンスで登壇をする事になった。

実は2020年1月の段階で、1本目の記事を読んで「素晴らしい記事だった」と絶賛してくれた人がいた。
Redmine Japanの主催者である、アジャイルウェアの川端さんなのだけど、その時に9月に実施を計画しているRedmine Japanで是非登壇をして欲しい、というお話を頂いていた。

勿論、初心者向けの話に需要がある事は理解した上ではあるけど、この8ヶ月の間に自分が体験してきたことを踏まえると、
今、何を話せばいいのか、本当に悩んだ。

どうすればredmine.tokyoや、Redmine大阪にもっと新しい人を連れて来れるだろうか・・・という事を、真剣に考えていた。

・・・それは普通はスタッフになった人が悩む事なんでないかい?という指摘は、全く正しいと思う。

10年近く続く東京と大阪の伝統やレベルの高さの邪魔には一切なりたくない、という前提で、
この2つのユーザー会の敷居を下げず、初心者をこれらの会に連れてきて、Redmine人口を拡大するにはどうすればいいのか、という事を考え続けていた。

僕のような初心者は、イベント開催の都合に合わせない。
初心者向けの乾坤一擲の取り組みを、ある日時にエネルギーを集約させるイベントという形は、そもそも相性が悪いような気もしている。

そういう課題感のある中で、初心者向けのお話を自分がして、どうすんだ?という気持ちがあった。

いつでも門が叩ける場所が初心者には必要で、
そこを通じてRedmine大阪やtokyoに向かっていくような構造が必要なのではないか?と思った。

ただ、だとすると、やろうとしている事はオンライン上での常設型の新しいコミュニティの設立そのものを意味する。

しかし流石に役者不足な気もして、Redmine大阪が終わったあたりからずっと迷ってはいたけれど、こんな風に背中をしてくれる人がいた事も心強かった。

本当にはじめるなら、redmine.tokyoでもRedmine大阪でもない場所から初めるのが筋が良いように思った。

そして、国内最大のカンファレンスの初開催を謳うRedmine Japanは、Redmineに新しく触れる人が沢山いて、コミュニティで最も大切な参加者数を得るための、またとない機会・・・のようにも見えた。

本当にSlackのフリースペースを作るなら、左側にはワークスペースのアイコンが並ぶことになる。

という事は。

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ロゴを作った。(2回目)

このロゴは、「もし、RedmineとSlackのロゴを足して2で割ったらどうなるんだろう?」をテーマに作成した。

1本と2本の斜線は、それぞれrとmの文字の、下から上に向かう線の数で決めた。

上に向かうというのは、この先にある素晴らしい既存コミュニティに繋がって欲しい、という思いを込めている。
ただ、ここに書かないと伝わらないくらいの残念なデザイン力しかないので、そこは・・・何となく温かい目で見ていただきたい。


そしてこの頃、akipiiさん、そしてあきこさんと、TwitterのDM上で沢山お話をした。

akipiiさんからはコミュニティと人の歴史、その思いを聞いた。

あきこさんとは、あまり面識はなかったのだけど、7月末にかふぇさんが主催した情シスLTで登壇者としてご一緒したのが初めてのご縁だったと思う。

何の因果か、僕とあきこさんは、2会場同時開催のRedmine Japanのタイムテーブルにおいて、同刻の登壇スケジュール、つまり僕が裏番組になった。

事前録画を再生して、あきこさんの応援に行こうかなと呟くと、あきこさんも事前録画放映と言い始めたので、それでは令和なのに賢者の贈り物案件になるのでは、なんて話をしていた。

さて、僕の方は「チャットスペースの新設」という大ネタなので、やはり初動の母数が外部経済性を生むのだけども、表の番組は大人気で第一人者のあきこさん。

まさか本当に賢者案件を実行する訳にもいかなず、
これは中々厳しい状況だなぁ、と思ったので、
素直にご本人に協力と相談をしに行った、という経緯がある。

その際、大枠の主旨と協力は即座に快諾頂いた一方で、実はSalonのアンチハラスメントポリシーの制定については、かなりギリギリまでご意見を頂いた。

結果的には、その利用規約がしっかりしている事に共感を持ってSlackに参加して頂ける人もいて、というような事もあったし、その後開催されたredmine.tokyoにおいても、アンチハラスメントポリシーが制定された。

その時のあきこさんのプレゼンは後から確認させて貰った。
比喩抜きで歴史に残るものだったと思うんだけど、最後にSalonの宣伝をしてくれた事は、本当にありがたくて、申し訳のない気持ちになった。

改めて、あきこさんには感謝していることをお伝えしたい。

僕が貰ったチケットを、僕が僕なりに楽しく更新し続ける事が、何よりの便りになるのだと思っています。

+270日

そうして当日を迎えた。
ただ、前日までも当日までも、運営面において非常に不安ではあった。

リハーサルの不安感、その後の登壇時間の短縮の突然の依頼、当日では接続品質が不安定さが目立ち、前の登壇者の資料が見えなかったりと、様々な問題が出ていた。

自分の登壇時間が始まって、普通に出来るのかな・・・というレベルで不安だったのだけど、
結局この時は、普通には出来なかった。

登壇中に接続が落ちている事に気がつけなくて、登壇が中断した。
その後に、他の人の登壇の後に話をする、という事が起きた。

話している方としては、当然何処で落ちたかが分からず、リズムや残り時間が掴めず・・・ただただ、燃焼出来なかったという手応えが残った。

それでも、その後から今に至るまで、
SlackのRedmine FreeSalonには多くの方々に参加して頂いていて、本当にありがたいのですが、

この時は、「国内最大級のカンファレンス」に、自分が期待していた結果には・・・なんだか程遠いように思えた。

相応の準備をしたけど、戦えなかった悔しさのようなもの。

しかも、それがちょっと実験的な配信プラットフォームの脆弱さでもたらされたと思えて、このイライラとモヤモヤを、
さて、どうすればいいのか・・・という気持ちになった。

+ 272日

結局、違う文章を書く事にした。

Redmine Free Salonのご案内のnoteの記事は、Redmine Japanの興行の力を借りたPV数であるのだから、
そのPVよりも読まれるものを書いて、
気持ちを昇華して、さっさと忘れてしまおう・・・という精神状態だった。

そうして出来たのが、この記事だ。

過去の体験は変えられないけど、伝え方を変えれば別ネタになるはずだから、
伝わる層が本当に変わるかを実験してみよう、くらいのノリで書いた。

結果・・・すんげぇ読まれた。

記事がスキされた数はダントツだし、Twitterでの好意的なリツイートが非常に多く、Backlogクラスターにも到達した。
さらに、Jiraに触れていない事を悲しんだアトラシアンの公式さんも反応したりしていた。

・・・ただ、感情に任せて6時間で書いたものがこんなに読まれるのか・・・。というのは、なかなか複雑な心境になった。

ウメハラダイゴという、日本初のプロゲーマーの著書の中で、
怒りという感情は、一時的にパフォーマンスを上げる効果がある、と書かれていた。

勢いが出るし集中力も出るが、外的要因による事なので、いずれは怒りが収まって、気持ちが途切れる。
つまり長続きはしないのが難点で、かつそのタイミングがコントロール出来ないので、大会の勝負どころでその時が来てしまって・・・という話だ。

ミルクボーイの記事は普通の感情ではない時に書ききった。

では、Redmine Japanでの溜飲が下がったのか、というと、結局、悔しいものは悔しいという気持ちだった。

仕事の悔しさは仕事でしか晴らせない。
だから、イベントの悔しさはイベントでしか晴らせないということを理解した。

開けて11月のredmine.tokyo第19回では、このSalonの宣伝を5分枠で、泣きのリベンジを・・・。
とも思っていたんだけど、子供と相方の予定が重なっており、登壇は無理な見通し。
年内の大きなイベントはこれで終わりかな?と思った。

+300日

12月2日にLycheeRedmineのオンラインユーザー会を開催するので、登壇をしてほしいという依頼があった。

平日の日中帯なのでなかなか会社的にはアレだったが、
まだ年内にチャンスを貰えた事が嬉しかったし、
一番初めに熱を分けてもらった場所で、
登壇を依頼されたことは、とても光栄なことに思った。

けど、ただ業務的に・・・その曜日は開発定例会議が・・・ちょっと保留を・・・と、お願いをしていたんだけども。

+ 330日

ある日、まだ登壇しますと回答をする前なのに、
「登壇いただけるとのことでありがとうございます。ついては、いついつまでに演目を云々」というメールが届いた。

アジャイルウェアさんの意思の強さのようなものを垣間見た。
(・・・もしかしたら、少し話が通じないのかも知れない・・・とも思った)

・・・経緯はともかく、登壇するならば、「僕が初めてLycheeユーザー会に参加した時に聞きたかったこと」を語りたいと思った。

それは端的にいうと「Redmineの初心者には、まだプロ向きのLycheeはいらないかもよ?」なのだけど、
この内容だけをLycheeユーザー会でお話して、必要性を投げかけるだけで終わってしまうと・・・普通に考えると営業妨害になってしまう。

それは望むところではないので、そのことを伝えつつ、中級者以上の人にも、何らかのお土産を渡したい。

LycheeRedmineのプロダクトは、そもそもRedmineの運用を成功させるためにある。
沢山の商品は異なる機能を持ち、それらの役割や目的は当然異なる。

なら、そもそもRedmineの運用成功率の方程式を形にできれば、そこにLycheeRedmineのプロダクトをプロットする事で、RedmineとLycheeを繋げる糊になるんでないの?というのが、着想の起点だった。

それが出来ると・・・。

■今日のお土産
・初心者さん・・・・「Lycheeはロープウェーじゃなくて酸素ボンベ」
・ベテランさん・・・「Redmineの運用成功率の方程式」

こういう構成が出来る。

ただ、そんな方程式は自分は知らない。
仮に、その方程式がもうあったとしても、自分のものにならないと、人に話すことが出来ない。

じゃぁ・・・自分で方程式作るか。
という事で、叩き台を作り始めた。

そして、この方程式の変数について知見や経験を持ち、何ならもう、方程式を持ってそうな人達に、
僕の方程式のチェックを依頼した。

いわずもがな、Redmineエバンジェリストの会の人達である。

チェック期間において、様々な観点を頂き、議論があったけど、大枠で言うと議論に耐えうるモノではあったようだった。

当初「政治力」と表現していたものは、帽子の人ことボウコバさんに頭を撫でられ、やっさんの端的なボソッとの一言によって、「信用貯金力」になった。

技術力という変数が欠けているのではないか、という指摘をしてくれたのはりょうまさんだ。

自分が説明しやすいものが、お前の方程式だと、
背中をバチーン★と叩いてくれたのが、かどやんだった。

もう1人じゃないんだぞ。

みんなも、そう言ってくれていたような気がした。
僕も勿論そう思っていたが、長く厨二病を患っているので余裕でセカイノオワリのRPGのサビ部分を荘厳なバックコーラス付きで脳内再生していた。

空は青く澄み渡り 海を目指して歩く
怖いものなんかない。僕らはもう、1人じゃない。

いや、本当にいい歌詞だよね。
涙が出るほどに。

+365日

そうやって臨んだ登壇は、いくつかの反省はあったものの、成功したように思えた。

この日は、奇しくも去年記事を上げてから丸一年の日だった。
ここに書いてきた通り、沢山の人と出会って、色々な事を考えて、それらの積み重ねの上で臨んでいる感覚があった。

20分枠を普通に喋るようになっていた。
Zoomのチャットを確認する余裕もあった。
Slackの通知もいつしか気にならなくなった。
笑って欲しいポイントで、たくさん草が生えていた。
質問が来た。質問が来たんだよ。
そして、しっかりと答える事が出来た。

水口さんは、嬉しそうにコメントをくれた。
Twitterからも、嬉しいコメントとフォローを貰った。
そして、ユーザ会の参加者から、たくさんの感想コメントを貰った。
色々な立場やスキルの人がいる参加者から、色とりどりの感想を頂いた。

これが、成功した講演の手応えなんだな・・・という事を理解した。

名残惜しい懇親会のZoomを切って、大きく息を吐いた。

凄い1年だった。

社会人になったはじめての年や、子供が産まれた年は、他の年より特別記憶が残っていたりすると思うんだけど、
この一年は、今までの人生でも屈指の、
どんな一年よりも鮮明な記憶が沢山残っている。

そんな1年間だった。

終わりに

いつもの事なんですけど、長くて申し訳ないです。

大長編で全編ポエム模様のトンデモ文章なので、果たして他の人が読んで面白いのかは相当怪しいのだけど、「笑えたw」みたいなコメントを頂けるだけでも、とっても嬉しい。

しかし、この記事を書き終えるにあたっても、
一本の記事を書くだけで、
どうしてこうなってしまったんだろう、
こんなに人生変わるものだろうか、
とは思う。

上手く表現出来ないんだけど、Twitterの人たちも、エバンの人も、tokyoも大阪もJapanもアジャイルウェアさんも、
全員から、「あー、待ってたよ〜。ようこそー!」って大きな声で言われているような気が、本当に、ずっとしてたんだよ。

それは、僕の印象では、
僕個別の人格に向けられたもの、というより、
属性や切り口に対しての嬉しさのようなものが、凄く、混じっているとも思った。

だから、なんというのかな。
僕のような技術者畑ではない人が、Redmineに触れて、楽しく遊び始める・・・という事をゴールにしていた人が、きっと何人も居たんだろう、と感じたのよ。

それがredmine.tokyoのリハーサルで感じた、
その場から受け取った何かだとしたら、
それって一般的にはバトンって言うんじゃないだろうか?と、思っている。

今年は、楽しくなってバトンを渡してくれた人達の周りをクルクル走ってた自覚はあるんだけども。

ちゃんと受け取った、と言いたいし、
ちゃんと渡せたと、思って貰いたい。

僕の目には、まだ誰もやってない面白い事が、本当に沢山あるように見える。

ただ、思うままに、走れる所まで走ってみたいと思っている。
そんで、その先の誰かがバトンを受け取って、僕が行けないところを元気に駆け回って遊んでくれたら最高だと思ってる。

それでは今年は、こんなところで。
また何処かでお会いしましょう。

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