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雪の深夜、青い水槽の中で

ゆっくりと音を立てないように起き上がった。

できるだけシーツがこすれる音がしないように、羽毛布団を胸から膝元にサラリと折り返した。

窓の外から青白い光が寝室の中に浸透していて、まるでここが水槽の中のように静かでひんやりとして見える。

外は、深い雪。

昨日の夜から降り始め、今日は一日やむことなく、そして、深夜まで雪が風に流れ続けている。

今日は、何度か雪かきをしたから体が疲れているに違いないというのに、どうしても瞼が重くならず、私は何度も何度も寝返りを打ってはため息をつき、とうとう諦めて起き上がってみた。

しばらく、ベッドの上から窓の外を見つめる。

天から降る白い魔法が作り出すこの世界は、まるで時間が止まってしまったかのように特別なものに見える。

なにもかもが、白い結晶の中で、じっと目を閉じているような。

ベットの上に座って、私は隣に寝ている夫の寝息に耳を傾けた。

いつでも彼は、ベッドに入るとまず、私の枕のほうに体をずるずると移動してきて、しばらくのあいだ、手をつないだり、私の肩に頭を載せたり、足を絡ませたり、腕を背中に回してきたりする。

彼は、そうやって触れ合ったまま10分ほど眠る心の準備をしてから、いつもおもむろにキスをし、すっ・・・と離れて「Sleep well」と言いながら自分の枕に戻り、安心したように眠りにつく。

私はいつも、彼にとっての、一日が終わる安らかな瞬間を邪魔しないように、彼が気が済むまでじっとして、私も彼の痩せてゴツゴツした身体の足や手や肩に体を重ね、彼の皮膚と呼吸と体温を感じている。

私はこの一日の終わりの「二人の儀式」を、とても柔らかな気持ちで過ごしているのと同時に、動かないようにじっとしていることで、実は体が少し緊張しているというのも本音ではある。

だから、彼が眠りに落ちる直前、するりと身体を引いて離れていくときは、ホッとした解放感と、急に一人になる寂しさを同時に感じるのだ。


今夜は、その儀式が終わり、一人でシーツの中でしばらくたっても、まったく目が重たくならなかった。

無理やり目を閉じて眉間にしわを寄せているくらいなら、むしろ、目を開けて、青い水槽のような部屋で泳ぐ熱帯魚の妄想でもしていたほうがしっくりくる。

そう決めた私は、ベッドの上に座ったまま、しん、と静まり返った夜の音を聞いてた。

夫の寝息は聞こえてこないから、きっと彼はまだ眠りにつく前のまどろみ状態なのだろう。

敏感な彼のことだから、私がこうして起き上がっていることは気づいているはず。

私は、この静寂をかき乱さぬように、できるだけゆっくりと左足を羽毛布団の下から滑らせて、床へと着地した。

窓際に立った私の身体が、雪の光を借りて青白くぼんやりと光を帯びた。

魚のように忍び足でドアまで泳ぎ、ハンドル型のドアノブに手を置くと、小さく、キイ、と音がしてドアが開いた。

滑るようにしてすり抜け、真っ暗な廊下に出て、寝室のドアを慎重に、コトン、と閉めたら、密やかに静かに長い息を吐いた。


今日は、朝からずっと、胸がうずうずしている。

それは、ある事実について。

私が気づいてしまった、その事実。

「人間は、年齢を重ねると臆病になっていく」ということ。

新しいこと、初めての挑戦、または、初めてではないけれど久しぶりのことや、または前回の経験が痛かった記憶があることなど・・・・、それらを実行に移すまでに、昔よりも時間がかかっている自分に気づいた。

大人になるということは、自分を理解していくことだと思う。

そして、理解するにつれ自分の大切ななにか・・・守ろうとするなにかが増えることでもあり、ひょっとしたら人間が年齢を重ねるということは、それらを失ってしまうかもしれないリスクを選べなくなっていくものなのかもしれない。

私はこれまで、無鉄砲、と書いた大きな看板を背負って、大アピールしながら生きていたような人生だったから、こんなふうに守りに入って臆病な姿を自分自身に発見したことは、かなりな驚きと、ショックだった。

いや、何かの間違いだろ、まさかこの我武者羅気質の私がそんなわけない・・・・と何度も違う視線で見ようとしてみたけれど、いや、どれだけ見つめてみても、やはり私は以前よりも「臆病」になっている自分に出会う。

そんなバカな・・・・と受け入れがたい気持ちではあるが、現行犯逮捕状態で発見してしまったので、なんの言い逃れもできない。


なるほど、私はいつから「開拓者」から「保守の人」になったのだろう。

いま私がどうしても守りたいものとは、なんだろう。

すぐにピンとくる。それは「安全な居場所」。

私がわたしらしくいられて、すべてから愛され歓迎されると、心底信じることができる環境。

そこには、愛するものだったり、家族だったり、友人だったり、仕事だったり、夢だったり、野望だったりが、バランスよく配合されている。

その「安全な居場所」が侵されそうになると、火災報知器みたいに急にアラームが鳴りだして、「ちょっと待て、危ないぞ!」と私に知らせてくれるのだ。

すると私は、立ちすくんでしまったり、はたまた時には、怒った狼のように牙を向き、唸り声をあげて威嚇したりする。

ここ最近、そのアラームが鳴る頻度が増えてきているのだと感じる。


キッチンに入り電気をつけると、正面の窓ガラスに眼鏡をかけた黒髪の女性が立っていた。

コットンのグレーのパジャマ姿の彼女は、なんだか頼りなく、所在なさげに斜め下に首を傾けて憂う、思春期の少女のようだ。

電気ケトルに浄水器からお水を満たし、スイッチを入れた。

お茶好きのわたしの数えきれないほどあるハーブティーのラインナップの中から、少しスパイスが効いたアーユルヴェーダのハーブティーの箱を手に取った。

ティーバッグを、紙の個包装から取り出すときのカサカサという音が好きだ。

まるで、そよ風に吹かれている野の花みたいな音。

クスクスと笑っている、小人のような音。


電気ケトルが沸騰を知らせてくれるまでの間、カウンターに両手をついて、キッチンの窓に立っている半透明の女性と向き合った。

長く美しい黒髪、ふっくらした丸い頬、しっかりとした肩のライン、きょとんとした子供のような目。

ドイツにいるわたし。

ドイツでの暮らし、ヨーロッパでの生活は私にとって、新しい家族から愛されて幸せで満たされていた反面、ある側面ではこれまでとても不安定なものであったし、今まで日本やアジアで成功していた生き方が、まったく通用しない経験だった。

それは、苦しかったプロセスではあったけれど、でも失敗したりうまくいかなかったりしたことで、私がわたしらしく生きていくために本当に必要なものはなんなのか、という重要なことを学んだ貴重な経験だった。

これまでのように、日本やアジアに住んでいたら、永遠に気づくことはなかっただろう。

成長するものなんだ、人間は。

だから、ここからまた、始まっていくんだな。

人間の人生には、何度でも始まりがあると思う。

それは、人間は積み上げてきたもの=信じてきたものを、崩壊させていくことで、より一層、成長していくからだ。

だから、何度でもやり直せるし、それにやり直したときには以前とは必ず違うことになっているはずだから、「やり直し」とは呼ばずにその都度「始まり」と呼んだほうがピタリとはまる。


1.5リットルくらい入りそうな大きな陶器の急須(意外にもミュンヘンで見つけた!)にティーバッグを落とし、その上からお湯を入れる。

このお湯を注ぐときの、コポコポコポ・・・という音も好きだ。

まるで、耳から全身をマッサージされているような心地よい気分になる。

急須とエメラルドグリーンの海みたいな色のキレイな湯飲み茶わんを持ってリビングに移動する。

足音がしないように、しなりしなり、とスリッパを進める。

ソファーにふわりと座ると、柔らかいコットンのパジャマが、肌にとても優しく触れて、気持ちが安らかになる。

テーブルの上にはクリスマスに私が送ったカードと、去年の誕生日に私が送ったカード、そして、結婚記念日に送ったカードまで飾ってある。

よっぽど、あの人は私を大切にしてくれているんだなぁ、とふいに感じて、感謝でしみじみとハートが温かくなる。

急須から、アーユルヴェーダのハーブティーを湯飲み茶わんに注ぎ(コポコポコポ・・・)、熱くて持てないので、しばらく両手で包むように擦って、冷えた指先を温める。

雪の夜が静寂のベールを引いているので、陶器をさするスリスリという音さえも、部屋に響いて聞こえるようだ。

この湯飲み茶わんは、確か数年前に西表島を訪れた時に買った手作り陶器で、マングローブの絵が描いてあるお気に入りのもの。

ハーブティーのスパイスの香りがほんのりと鼻をかすめていき、その香りと指の温かさと、手作り陶器の親しみある土の触り心地で、ますます安らいだ気持ちになる。

湯飲み茶わんをしげしげと見ながら、西表島に一人旅したときの私は、どうだっただろうか、と記憶をたどる。

「開拓者」だったか、「保守の人」だったか。

あのころは「開拓者」だった。間違いなく。

やはり、思い当たるところは、この流行りのウイルスで牢獄に閉じ込められたような生活を強いられてからだ。

元来、旅人の私が、旅ができなくなってしまって、旅をしないで生きるって、どうやって生きたらいいのかわからなくなってしまった。


数か月前に会ったある友人が言った言葉が、ふいに響いた。

ずっと胸に残っていたのだろう。

「いつかやろういつかやろう、ってずっと思ってたことあるよね。でも、今の年齢考えると、その「いつか」ってもう来てると思うし、その「いつか」ってもうすぐ過ぎちゃうとも思う。だから、今しかないよね、いつかやろうと思っていたことをやるのは。」

本当にその通りだ。

そう言った彼女のバンダナ頭の背後に広がる、美しい巨石と清らかな渓流のうねりと音、そして太陽の眩しさと影が作る冷たさまでもはっきりと覚えている。

本当、その通りだわ。

私が、「いつかやろう」と思っていたことはなんだろう。

基本的に、やりたいことはやってきたけれど、それでも、まだまだ、たくさんある。

今のこの、内と向き合う時期に、これまでの生き方から変えていくチャンスが来ている。

これまでと違う生き方を選択するのだとしたら、私はなにを選ぶのか。

方向を定めて進んだ夢はすべて手に入れてきたし、そして、夢は必ず実現するものだと信じてる。

だから、いま、この地球の上で、なにを夢みたいのか。

かつて、後回しにしていた夢。

いつかやろう、と先送りにしていた夢。

それを、今やらずして、いつチャンスが来るというのだろう。

人生はいつだって、変えることができる。

だからといって、すべてを壊さなくってもいいんだ。

自分にとって、自分らしくあるために、本当に大切なものはいつも大事に持っていたらいい。

そして気づくことだ。

チャンスはいつだって与えられている、ということに。

あとは、自分の選択なのだ。


私はソファーから立ち上がり、電気のスイッチを消した。

しばらく目が慣れるまでそこに立ったまま、私と同じように暗い部屋の中に立っている、植木の大きな葉を見ていた。

目が慣れてきたのだろう、窓の外の雪が徐々に発光してくるように、部屋を青くしていく。

自分のハートをこのほの暗い水槽の部屋に泳がせてみる。

ゆらゆらと、背骨が揺れ、私は自分自身から自由になる。

引き寄せられるようにベランダに続く窓に向かった。

隣家の屋根の白い雪、木々の上に重なる雪が、黒い夜に生き生きと光っている。

向かいの家の一つの部屋に、淡い光が灯っていて、私と同じように眠れぬ夜を過ごしているであろう人を想像する。

ふと、ベランダになにか気配があった。

窓にもっと近づいてよく見てみると、ベランダの手すりの上に小さな白い妖精のようなものが立っていた。

それは、手のひらサイズくらいの雪だるまで、両手を大きく広げてニコニコと笑っていた。
いや、きっとこれは雪天使だな。

両腕に見えたのは、大きく開いた翼なのだろう。

小さな手で固めた跡も愛らしい。
小さな白い雪の天使が、ニコニコしながらベランダから我が家のリビングルームを覗いている。

私は思わずニッコリと微笑み、寝室で眠っている愛する人を想う。

もう一杯だけ、ハーブティーを飲んで温まったら、寝室に戻ろう。

彼の寝息と優しさに包まれながら眠れそうだ。

雪はまだ、ゆっくりと空から流れ続け、黒い夜に光を送り続けている。

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