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僕は跳び箱で言えば、踏みきり台の役割をしたいと思っている。

RIDE A LIFE JOURNEY Day4
*旅の出発前の子どもたちとの共同生活の様子です。


テント泊の朝。なかなか起き出してこなかった子どもたち。朝起きることは僕が教えることではなくて、彼らが自分の1日をはじめるためのものだと思うから僕からは起こしたりはしない。6時に起きると決めて、起き出してきたのが6時半ぐらいだったろうか。うっすら霜のおりる朝だったので、部屋に入ってしばらくはストーブを3人で囲みながらさっそくおしゃべりをはじめていた。


着替え、荷物の整理、部屋の掃除機がけ。それだけで1時間ぐらいかけていたろうか。僕も僕ですることがたくさんあるので、彼らがそうしてのんびり時間を過ごすなら、僕はそのうちに自分がやるべきことをやってしまう。

サッとほのかと2人の時間になったときに、話す。この子たちは、旅の意識というよりも、だんだんと生活の意識になりはじめているなぁと。これから旅がはじまると家を出てきた緊張がとけてきて、3人割と相性もよさそうだからいつでもおしゃべりが楽しくて、そうして目の前の自分たちで決めたやるべきことがボヤッとしてくる。

朝ごはん。ゆっくり。片付け。ダラダラ。
すでに旅をはじめるまでにやる自転車のこと、テントの張りかたもほぼやってしまっていて、あとはこのルートさえきっちり計画を立てたら、それから買い出し、パッキングをして、明日にでも出発できるということは伝えてある。けれどもルート計画をはじめても、最初大きな地図を指さしながらあーだこーだと自分の意見を出して、こっちのほうがいいと思うと言い合っていたのに、iPadを渡して実際に「距離がいくら」「フェリーに乗るならその時間や料金」みたいに調べる段階に入ったら、ダラダラと、そして必要のない情報を読み上げては「すげー!みてみてー!」みたいにやっている。ほのかと顔を見合わせて、困ったもんだと思いながらも自分たちのことなのでそれを作業しながら見守る。

昼ごはん。サッと食べて、ほのかと今日のデッドラインを決めてそこまでの動きで明日のことを考えようと話し合って子どもたちの動きを見つめる。自分たちで決めた次の作業開始の時間になっていても、それに気づいてやべーよ、と声かけしてくれている仲間がいるのにそのままダラダラとヘラヘラと皿を洗い続ける子どもたち。これはもうアカンやつだな、と喝をいれた。

「僕は君たちのしつけをするために預かっているわけでも、ここでの生活を楽しむために一緒に過ごしているわけでもない。僕は君たちと旅をするために、そしてその準備をするためにここにいんねん。だから、君たちがただ共同生活を楽しむことが目的やったら、僕はそんなことに付き合うつもりはない。君たちは何度も何度も約束をする。遅れるたびに反省の言葉をくれて、そして遅れる。」

「君たちは遅れてごめんなさい、迷惑をかけてごめんなさいというけれど、僕は君たちが遅れることにたいして怒っているわけではない。迷惑になってるとも思わない。何に怒ってるか分かる?それは自分が誰かと約束をするということ。僕は君たちの時間、僕らがこうして一緒に過ごせる時間のことをいつも考えてる。だからその時間を大切にしたい。だから約束したらその時間に間に合うように動いて、君たちのことをいつも待っとる。けれど君たちは約束の時間になっていても、そのことに気づいていても、ぜんぜん間に合わそうする姿勢を見せることすらなくふざけ続けてる。そのことにめちゃくちゃ腹が立つし、自分の心を踏みにじられている気がする。このまま、こんな調子で旅に出ることは僕はしたくない。だからみんな自分がこれからどうしたいかを考えて伝えて。」

そう伝えて10分間部屋を出た。
子どもたちはどんな答えを出すだろうか。
10分後。。。

「僕は口では、次はこうしないようにしますと言いながら、本当は合わせなくてもいいやと思っていたと思います」

「僕はふざける楽しいことよりも、旅のことで楽しいことをやりたい」

「次からはふざけることをしないで、ちゃんと次やること、時間を意識しながら動きたい」

という話になった。

「こんな調子ではいつまで経っても旅になんて出られないよ。」
という僕の問いに対しては、それでも自分たちだけでなんとかしたいという答えを3人が言った。

これについて、あらためて話をする。
これまでしてこなかった僕がどうしてこの旅をしたいかと思っているかということを、スポンサーに提出した企画書を出してきて彼らに話聞かせた。

「あの旅が自分の人生のはじまりの一歩になったような気がする」
そんな旅にしたいから、僕は導くことをしないで自発的な行動をしてほしいと思いながらやっているということ。

僕は跳び箱で言えば、踏みきり台の役割をしたいと思っていること。
それはつまり助走をつけて、踏み込んで、飛ぶのは子どもたちだけれど、そのジャンプが高く遠くまでできるようなお手伝いをしたいということ。
僕が言う自立というのは、子どもたちがすでにやりかたを見たり知っていること、いわゆる生活ができるようになることで、そこから先の見えないこと、まだ知らないこと、それを見えるように、なんとなく筋道がたてるようにできることが今回の旅で僕ができることだと思ってるという話をしたら、子どもたちはそれぞれこう話した。


「ほんとは大人にも入ってもらいたかった。けれど空気を読んで、自分たちでって言ったほうがいいかなと思ってた」

「自分たちのまだ分からない部分は教えてもらいながら、この旅でできるようになりたい」

「僕は決めたことができなかったり、間に合わなかったりしても、できることをやりきったうえでそうなるようにしたいし、大人と一緒に旅をしたい」

それぞれの言葉でこれからの旅へ向けた思いを語ってくれた。

僕はいつだって葛藤してる。こうして話をしたあとでさえ、自分がやったことは自分がこう子どもたちを向かわせたくて誘導していったんじゃないかとか、そういうことを。

子どもたちも僕が怒って気が縮まっているので、話がついたところで自由時間を作って、思いっきり自転車をこいでくることをルールに彼らを走りに出させた。お菓子を持って、ジュースを積んで跳びはねるようにして出ていった。

そのあいだに僕とほのかも用事ごとに出かける。ちょうど帰りに家に戻る子どもたちと一緒になったら◯◯が僕の横に並んできてこう言った。

「まさやん!僕思っていることを伝えられたらなんだかスッキリした!ありがとう!」

そう言ってニコニコしてうちに向かってぺダルをこいで走っていった。
そのあとのパンク修理の練習、うちのお母さんが作ってくれたハンバーグで両親とみんなでごはんタイム。みんなの様子を見ていると、一段階抜けたような晴れやかな顔、声も張りがあるようだった。

夜のミーティングでほのかが言った。
「私もずっとモヤモヤしているところがあったけれど、それはみんなも一緒だと分かった。だから今日ああしてお互いの思いを話すことができて、そしてスッキリできたからとても嬉しい」

今までのゴールの決まっている旅、集合してすぐ仲間とともに走りはじめた旅では、こういう生活(日常に近いという意味で)としての関わりはほとんどすることができなかった、いきなり集合して走りはじめて、自転車のことも、仲間との関わりも、旅もすべてがはじまってしまってからだったから、かえってこういう「あいまいなままの状態」みたいなのがなくて僕も子どもたちの様子にモヤモヤすることがなかったのかもしれない。


まして今回参加している子たちは、目標設定を自分たちでしないといけないという「目的がボヤッとしたまま」の状態で日々活動をしないといけない状況。そりゃそうやよな。と自分が一度僕もメンバーたちの気持ちも整理したあとでなんとなく合点がいくことがもうすでにいくつも生まれている。


そこはほんとに感謝しかない。ありがとう。ありがとう。

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