みんな同じじゃん

 結局みんな1日8時間・週5日の労働をして、余った時間を趣味という名の自己満足で埋めている。自己満足だから、当然のごとくお金にはならないし、誰も見ていないし、誰からも愛されない。一人の部屋で、愛の対極にある場所から生産性のない行為を生配信する。みんなある種のVTuberであり、ある意味においてはHIKAKINである。
 人間は頭でっかちになり、同じであるということに耐えられなくなった。このクソ暑い中、外に出て少し歩いてみれば、動物などどこにもいないけれども、私の中のイマジナリー・ハトの群れは皆、同じ顔をしているし、いかにも「ハトっぽい動き」をしている。「ハトっぽい動き」というのがどういうものなのかは、皆さんのご想像にお任せする。
 しかし、イマジナリー・ハトは自分が「ハトっぽい」ことに対して、どう思っているのだろうか。どのようにハトとしての自己を受容し、お前もハト、我もハトだと納得しているのだろうか。そこに耐え難い恐怖や、苦しみはないのだろうか(ない)。
 それは考えてみれば当たり前のことであって、動物はみんな同じであることも平気なのだ。誰かを出し抜いて一番になろうとか、ここらで一儲けして貧乏人を見下してやろうとか、そんなことは一切考えない。考える脳みそがない。
 人間の罪は脳みその肥大化によって生まれた。こうして訳のわからない文章を、あわよくば他人に読まれて「ハート」を押してもらいたいなどと下心を抱きながら打ち込んでいるこの私など、罪そのものである。
 

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