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似ているようで真逆の映画「joker」と「パラサイト」

本日、韓国映画「パラサイト」が外国語映画初のアカデミー賞作品賞のオスカーを手に入れた。

世間がパラサイト熱に沸く一方でこんな声もちらほら聞こえてくる。
「パラサイトって完全に韓国版ジョーカーじゃない?」

パラサイトが作品賞を受賞した同日、jokerを演じたホアキン・フェニックスは圧巻の演技で主演男優賞を射止めた。

「joker」と「パラサイト」
同年のオスカーを争った、”貧困と暴力”をテーマとした東西の映画。
何かにつけて似ている、似ている、と評されて来た。

しかし私は、初めて見た時からこの二作は全く異質なものだと感じていた。
世間が「joker」と「パラサイト」を似ていると言うたびに、違和感がムクムクと沸き立った。
「joker」と「パラサイト」が似ているなんてとんでもない!まるで違う!!

そう思って、すでに比較記事まで書いたものの、この時はなんで違うのか、何が違うのか上手く言語化できないまま、「格差映画ばっかり流行るの怖いよね〜」という非常にふんわりしたまとめしかできなかった。

でも、鑑賞から少し時間を置いた今、その決定的な違いに気がついた。

「joker」と「パラサイト」とでは、”貧困と暴力”という共通のテーマの下を流れる思想が真逆なのだ。

まず、「誰もが悪になり得るんだ!」と言う大きな共感を呼んだ悪のカリスマjokerことアーサー。
彼は初めから悪人だったわけではなく、むしろ社会の大多数より誠実で正しく生きていた。しかし、生まれ持った格差(貧困と障害)ゆえに、その正しさがむしろ弱さを強調してしまう、そんな人物だった。
彼は狂気に飲み込まれ、罪を重ねることでようやく、格差を乗り越え、この世界に生きる居場所を見つける・・・悪のカリスマとしての。
これは、人間は善を行うべき道徳的本質を先天的に持っており、悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こるとされる「性善説」に基づいている。

一方、「パラサイト」の半地下の家族は、冒頭からすでに善人ではなかった。
近隣住民のWi-Fi無断使用に始まるこの物語の家族は、雑な内職、経歴詐称、と軽微な罪や手抜きを(まあ、いいだろ・・・このくらい)という甘い考えの内に重ねていく。
そして、(まあいいだろ・・・このくらいいいだろ・・・)がどんどんエスカレートして行くうちに取り返しのつかないところまで転がり落ちてしまう。
これは、人間は本来弱い存在(悪)であり、それが善になるのは人間の意志で努力するからだとされる「性悪説」に基づいている。

そう、この二作品ではそもそも人間という存在の定義が真逆なのだ。

しかも、「joker」と「パラサイト」を似て非なるものにするのは、性善説と性悪説の対立だけではない。

「joker」を生んだ国、アメリカは徹底した自助努力型社会だ。
基本的に政府に頼らず、自分の力でなんとかしようとする。
アメリカで怪我をすると日本とは桁違いの医療費がかかるのがいい例だ。

jokerことアーサーもやはりアメリカ人らしく自分の意志で自分の人生を切り開く。初めは突発的なものだった狂気を自らの内に認め、受け入れ、意志を持って社会の上位層を倒し、ゴッザムシティに君臨する。
全てはアーサー自らが意志を持って選び取った結果だ。

一方、「パラサイト」を生んだ国、韓国は「恨(ハン)」の文化の国だそうだ。

(私は残念ながら韓国へ行ったことがないし、東アジアの歴史にも文化にも精通していないので、Wikipedia先生から学んだ付け焼き刃の知識だけで書いている。
ヘイトでは断じてなく、中立な立場から適切な言葉を選んだつもりだ。)

Wikipedia先生によると「恨(ハン)」とはこういった概念らしい。

恨(ハン)は朝鮮文化においての思想様式の一つで、感情的なしこりや、痛恨、悲哀、無常観を指す朝鮮語の概念。文化・思想においてすべいての根幹となっている。(中略)朝鮮民族にとっての「恨(ハン)」は単なる恨みや辛みだけでなく、無念さや悲哀や無常観、(虐げる側である優越者に対する)あこがれや妬み、悲惨な境遇からの解放願望など、様々な感情を表すものであり、この文化は「恨の文化」とも呼ばれる。

貧困層からの脱出を誓い、安易に騙されるパク一家をバカにしながらも、寄生させてくれるパク社長を最後までリスペクトし続けるパラサイトの貧困層たち。
叶うはずもない夢を描いて半地下の生活に戻って行くギウ。
憧れや嫉妬、解放願望と、ラストシーンの無常観。
この物語の根幹にあるのは紛れもなく「恨(ハン)」の概念だろう。

性善説に基づき自助努力を描いた「joker」
性悪説に基づき恨(ハン)を描いた「パラサイト」

同じ”貧困と暴力”を描いたアカデミー受賞作の根幹には東西の全く異なる歴史と文化が流れていた。

***

ちなみに、前回の記事でも書いたが、私は圧倒的に「joker」派だ。
直感的に分かってはいたのだが、今回こうして「joker」と「パラサイト」は根っこの部分が全然違うのだということを理解すると、私は昔から性善説派だし、自分の意志で運命を切り開けると信じて生きているタイプだから当然だなと納得した。

もちろん、「パラサイト」も素晴らしい作品で、脚本やメタファーの精巧さで言えば間違いなくパラサイトに軍杯を挙げる。

「joker」と「パラサイト」
格差を描いた東西両映画のアカデミー賞受賞に、改めて大きな拍手を!


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