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なぜ、元東大生は外資系コンサルティングファームに入社して町工場を継ぐことを決めたのか?!


はじめに


※ 写真と本文は関係ありません。
はじめまして。
運営メンバーの筆頭に名前がありながら、初めての記事投稿となる小川大佑(おがわだいすけ)と申します。
今回、初投稿にあたって自己紹介も兼ねて私のオーテック入社までの歩みを書きたいと思います!(使い慣れてないので拙い構成かもしれません。先に言い訳しておきます(笑))

大学時代(2007年~)

2007年3月に地元愛知県の東海高等学校を卒業し、4月から東京大学文科一類に入学しました。
家族旅行で飛行機に乗った際に『人権派弁護士が大企業(とその大手弁護士事務所)相手に公害(薬害だったかも)の被害者のために戦い、勝利する』という実話に基づく映画(今や題名も忘れてしまっていますが…)を見た際に非常に感激し、数学が苦手で理系を諦めていたことや「男たるもの何かの分野で一番になりたい。とりあえず文系の一番なら東大文Ⅰだろう」をいう邪ながらも強めの意思があり、文科一類を目指しました。

大志を抱いて東京に出てきたわけですが、法律の勉強の難しさ、周りの人のあまりの優秀さ(入試点数開示制度で確認したところ、自分は合格最低点たったの+7点!)に圧倒され、『僕は天才ではなく、努力して東大に入った層だからまずは頑張って卒業しよう』という方針に転換してしまいました…

ただ今考えると大きな誤解もあるのですが、当時は法律の勉強が法律の条文や過去の判例をこねくり回して(失礼!「論理的に構成して」)から答えを導くという後ろ向きな学問に見えてしまい、自分は新しい世界や時代を切り開けるようなビジネスの世界に身を置きたいと考えていたのも事実です。実際、3年次以降は法学部に進学しますが、法律ではなく政治コースを選び、将来に備えて経済学部や文学部(主に英語)の他学部の授業を単位制度が許す限り最大限選ぶなどして幅広く勉強してきました。

就活期(2009年~)

かくして法曹の道を諦めた私は就活をすることになりました。
当時は世界を揺るがすリーマンショックによる経済危機が直撃した時代で、それまでは高給目当てに大人気だった外資系金融機関に内定した一つ上の先輩が内定切り(というかリーマンブラザーズがつぶれた)に遭うなどしており、東大法学部生も国家公務員やインフラ系(電力、鉄道など)といった安定業種に人気が集まる時期でした。

私が就職先を選ぶ中で、当時は明確に家業を継ぐ意識は正直無かったのですが、もし家業を継いだら死ぬまでその業種に携わらなければならない(日本国憲法の保証する職業選択の自由は実質無くなる!)と思い、敢えて家業に関連する製造業(メーカー)に就職するのは避けていました。商社や広告代理店などの大手企業も人気でしたが、例えば就職後5年~10年して家業に戻るとした時に「ずっと東南アジアでエビを追っていました」「ずっとテレビCM作ってました」ではあまりに関連が無さすぎるし、大手企業は配属や転勤リスクが高すぎるということで大手企業への就職も避けていました。

こうした偏った思想の元、「色々な業種のトップ層と接することができる」「経営手法について学ぶことができる」「若い内から大きな役割を任されてレバレッジされる」という月並みなイメージから外資系コンサルティングファームに的を絞った就職活動を行いました。この業界は激務とも言われていましたが、「定年まで働くわけじゃないだろうし、若くて独身で体力と時間が許される環境であれば自分の限界を試すまで働こう」と思ってあまり気にはしてませんでした。あと、昔から物事の論理や因果関係を考えたり、人に何か教えるのが好きではあったのでそういう面でも合っていた気がします。

就職期 (2011年~)

3年次の夏に数社のインターンを経て秋には2社の内定をいただき、最終的に「ベイン・アンド・カンパニー・ジャパン」に入社することを決めました。
この会社に新卒で入社できたことは今振り返っても非常に幸運なことで今の自分にも繋がる社会人としての大事な礎となっています。

あとからわかることですが、当時はリーマンショック最中のプチ就職氷河期で新卒内定者は私含めて2人(しかもその一人も大学の同じクラスの友人!)という状況でした。コンサルティング業界が活況を呈して、毎年どのファームも数十人の新卒者を採用する昨今からは考えられない時代でしたね…

ちなみに2011年3月卒業というとまさに東日本大震災が直撃したタイミングで一生に一度の晴れ舞台である安田講堂での卒業式も中止になってしまいました。卒業証書の受け取りと友人との写真撮影で本郷キャンパスに向かったのですが、その際にリーマンショック時に東京電力に内定していわゆる『就職勝ち組』であった友人が青ざめた表情で「あんな事故(福島の原発事故)が起きてしまって採用や昇給・賞与が凍結されるかもしれないし、俺の人生どうなってしまうんだろう」と語っているのが今でも脳裏に焼き付いています。この経験から「業種も企業の大きさも人生の成功には関係ない!何が起きても生き残る自分の実力を身に付けなければならない」という覚悟を決めて大学を卒業しました。

最後に

今日一気に記事を書いてしまおうと意気込んでいましたが、思った以上に紙面を使ってしまったので、ベイン入社後の話は次回以降にしたいと思います。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。次回をお楽しみ(?)に!!

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