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なぜ、元東大生は外資系コンサルティングファームに入社して町工場を継ぐことを決めたのか?!(続編)

前回投稿から少し間が空いてしまいましたが、30名弱いる読者の期待(?)にこたえて本日はコンサル時代の私の経験について語ろうと思います。


最初のプロジェクト

入社後の社内研修を受けたのち、最初の配属が決まりました。
海外オフィスのプロジェクトの補佐として、海外オフィスがクローズしている時間に時差を利用して、私一人で東京でリサーチを続けるという仕事でした。
入社早々、海外オフィスのマネージャーが上司、時差を利用したリモート勤務(しかも今ほど一般的でない…)など、今思うと無茶ぶり感のあるアサインメントでした(汗)

マネージャーから「ある企業のあるセグメントの売上が急変動している理由を調べられるか」と聞かれ、色々調べましたが埒が明かなかったため、対象企業のIR窓口に問い合わせをしたら「この年度からセグメントの売上の認識方法を変えたからですよ」とシンプルな会計上の処理の問題であったことが判明しました。その結果を翌朝マネージャーに報告すると、「これは日本にいる君が直接リーチアウトしないと得られなかった非常に貴重なインサイトだ!」とやたら評価してくれました。こんな感じで数週間のプロジェクトが終わると東京オフィスでアサインメントを担当したマネージャーにも「無茶ぶりかなとは思ったけど何とかやり切って、なかなか骨のあるやつだと思った」と新卒補正はかかりつつも中々良いスタートを切ることが出来ました。

今の自分につながるプロジェクトとの出会い

数件のプロジェクトに携わった後に、「ある海外クライアントが日本市場に進出するための日本法人の事業の立上げを支援する」プロジェクトに配属されました。

ベイン東京オフィスの外国人マネージャーと日本人上司、私の3人のプロジェクトチームで初めてクライアントの東京オフィスに訪問しました。
東京オフィスといっても駅前のビルにある月ぎめレンタルオフィスの1室(50㎡くらい?)に日本法人の社長、立上げメンバー3名の計4人がいるだけで、我々コンサルスタッフ3名を含めても7人の小所帯でスタートしました。

一般的に外資系BIG3コンサルティングファームと聞くと、売上数千億~数兆円規模のグローバル規模の超大手企業をクライアントにプロジェクトを推進するイメージがありますが、私は文系出身でいわゆる「研究室」みたいな環境に所属したことがなくこの少人数でわちゃわちゃした感じにワクワクしつつ、「外資系コンサルにいながら、ベンチャー企業の立上げに関われるなんて、すごい貴重な機会じゃん!」と持ち前の前向きさでプロジェクトに取り組んでいきました。
ちなみにコンサルプロジェクトは数ヶ月から長くて1年位で終わったり、アサインメントが変わることが一般的ですが、私は結果的に2年以上このプロジェクトに従事していました!

充実したプロジェクトの日々

このプロジェクトでの経験、上司からの指導や助言、クライアントとの関わりなど今でも一つ一つの出来事を鮮明に思い出すことができます。全てを書いていたらそれだけで何篇ものシリーズになってしまいますのでここでは特に印象に残った出来事をいくつか記したいと思います。

プロジェクト配属後数ヶ月間は「研究室」環境で7人のメンバーで喧々諤々とサービスの設計やプライシング、提携先との交渉などを行っていました。自分の出したアウトプットがそのまま新事業の礎になると思うと、プレッシャーも半端なく、心が折れそうな時期もありましたが、ビジネスに関わっている当事者感満載の中で非常にエキサイティングな日々を過ごしていました。
一方、たまにクライアント社長から「今日は重要な提案の準備が終わったし、ワインでも飲みながらランチしよう」と誘われたり、立上げメンバーにはホームパーティーに誘われたり、大らかな部分もありました。

事業の立上げが決まると、オペレーション開始に向けて毎月数名の中途採用がしばらく続きました。クライアント社長から「今、我々の事業に一番詳しいのは君だから、入社時の研修も君にやって欲しい」と言われた時は非常に嬉しく、中途採用の方からも単なる外部の一コンサルタントとしてではなく、仲間(ある意味先輩?)として接していただくことができました。
そこから1年半位はクライアントのオフィス(この頃には駅前のレンタルオフィスから立派なオフィスビルの1フロアに移転!!)から出退社して、自分のオフィスには金曜午後や研修時だけ戻るなど、もはやどこの社員かわからないような生活を送っていました(笑)
ちなみに、クライアントの社員旅行やゴルフコンペ、駅伝大会にも参加するなど公私ともに本当によくしてもらいました。

もちろん日常では小さな問題や繁忙もありつつも概ねプロジェクトは順調に推移し、クライアント企業のビジネスも見込みを上回るほどの成長を続けていました。個人的にもプロジェクト期間中に昇進させてもらいまさに順風満帆とも言える状況でした。

ショッキングな出来事

こうしてプロジェクト内での自分の立ち位置も確立され、部下も付くようになりました。参加する会議も担当者レベルから経営者レベルに上がっていく中で、ある会議でクライアントのCFOに呼ばれました。

私が自分で構築した収益性モデルについて自信満々に説明して、CFOからの質問にも難なく回答をしていました。そして会議の終盤に準備した説明を一通り終えた頃にCFOがふと私に「で、あなたはこの事業を続けた方が良いと思う?やめた方がいいと思う?」と何気なしに聞かれました。
その質問に一瞬「ハッ」として答えを言いよどんでしまいました。その場で横にいたマネージャーがすかさずフォローを入れてくれ会議は無事に終了したのですが、自分自身ではその場で泣きそうなくらい悔しい思いをしました。

「我々はコンサルタントとしてクライアントの良きアドバイザーにならなければならない」この基本的な前提に対して、自分は何もできなかったのです。もちろん分析や構築した収益性モデルには自信があり、アナリストとしては全く不足の無い能力を持っていたと思います。でもクライアントが我々から買っているのは「精緻な分析」ではなく、「よい経営をするためのアドバイス」なのです。また一人のビジネスマンとしても「自分のポジションを取って意見表明(判断)する」ことは欠かすことのできない能力であるはずで、「精緻な分析」などその道具に過ぎないのです。逆に言うと「自分で自信を持って意見表明できるほどの根拠のない分析や知識では結局不十分だった」とも言えると思います。

この経験から仕事に対する向き合い方を一気に改めました。ここでの悔しさは片時も忘れたことがありません。今でも「(間違っていても良いとまでは言わないが)どんな場面でも必ず自分の意見を表明すること」「そのための準備や学習は怠らない事」の二点を肝に銘じて仕事に臨んでいます。

最後に

コンサル時代の経験についてはもっともっと書きたい事が山ほどありますが、きりが無いのでこの辺で締めようと思います。

クライアントの事業が無事立上り、次のフェーズに移行するタイミングで私もプロジェクトを卒業しました。クライアントからは社長から将来要職での起用を打診されたり、担当者から盛大に送別会を開いてもらったり、最後の最後まで本当にお世話になり、得難い経験をさせてもらいました。

本プロジェクト終了後にいくつか他のプロジェクトにも参画させてもらい、さらに内部昇進もした中で入社5年目を迎えたところで家業に戻る決意をしました。

次の回ではその辺りの経緯や考え方から述べていこうと思います。
今回も長らくお付き合いありがとうございました。次回をお楽しみ(?)に!

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